魔女実習
三十一話
結局、『魔女狩り』という言葉の詳細を知らぬまま、時間だけが流れ……。あっという間に、帝国へ出発する時がやって来た。
「おはよー! 天気が良くて、良かったね!」
朝日が昇り始めた時間帯に、ソフィーが迎えに来てくれた。僕は眠い目を擦りながら、彼女が跨る箒に乗る。
「
「……うん」
手のひらサイズの黒い箱を、肩掛けカバンの中にしまってある。これがソフィーの言う、魔法箱。昨日の夜、フローラから受け取ったものだ。
――この箱を開ければ、私の幻想魔法が使える。でも、それは一回だけ。いつ、どのように使うか、よく考えて使うことね――
そんな事を言っていたフローラは、今ここに居ない。見送りくらい、してくれても良いのにと思う。
でも、この箱のおかげで、近くにフローラが居てくれるような気がして、少しだけ心強かった。
「じゃー、出発進行! 落ちないように気をつけてね!」
掛け声と共に、箒がふわりと浮かぶ。そして風を切りながら、滑るように飛行を開始した。僕は振り落とされないよう、ソフィーの肩に掴まった。
森を越え、山を越え谷を越え……いつしか地上の景色は、日の光を鮮やかに反射する草原へと変わっていた。艶やかな緑色の絨毯に、目を癒される。
「あそこが、集合場所だよ」
ソフィーが指差す先には、柔らかい草原の中に、強固な石の建造物が建ち並んでいた。まるで遺跡のような、神秘的な場所だ。
ゆっくりと地上へ降り立つ。暖かい風が、足元を優しく撫でる。柔らかい草を踏みしめながら、ソフィーの後ろを着いて歩く。
「うーん、誰もいないなぁ……」
キョロキョロと、辺りを見渡すソフィー。ヒールやベビーフェイスの魔女を探しているようだ。僕も周囲を気にかける。
すると、風の音に紛れて、何処からか言い争いのような声が聞こえてきた。
「そんな破廉恥な服装、絶対に認めません! 魔女の恥晒し! 今すぐ着替えてください!」
「うるさいなぁ。君の服こそ、見ているだけで暑苦しいんだよ。マントなんて着けちゃって、恥ずかしくないの?」
「なっ!? 恥ずかしい……ですって!? こ、これは私達の制服なのですよ!? それを侮辱するなんて、許せません!」
聞き覚えのある声。その主が誰なのか、すぐ分かった。
「……居たよ」
「えっ?」
ソフィーに伝え、大きな建造物の裏側に回る。そこでは予想通りの人物が二人、互いに睨み合いながら口喧嘩を行っていた。
一人は、ヒールの魔女。ついこの間僕を誘拐したリズだ。
そしてもう一人は、白と青の制服に、厚めのマントを羽織った女性。唾付きキャップの下に見える、赤いロングヘアー。
間違いない、僕がこの世界に来たばかりの頃に出会った魔女、アネットだ。彼女にも、危うく
リズと視線が合う。僕の存在に気付くなり、彼女の表情がパッと晴れる。
「あっ、シオンだ!」
手を振りながら、笑顔でこちらへ駆け寄って来る。そこで僕は、彼女の容姿の変化に気づいた。
「リズ、その傷……」
彼女の日に焼けた両頬には、雷模様の傷があった。まるでその部分だけ、ひび割れているかのように見える。
「あぁ、これね。……覚えてる? 僕、骸の魔女に凍らされて、砕かれそうになったでしょ? その傷跡だよ」
「あ、あぁ……」
忘れてなどいない。もしあの時、フローラが怒りに身を任せ、あのままリズを粉々に壊していたら……。ツギハギのように、全身に傷が及んでいたのだろうか。
勝手に想像してしまい、気分が悪くなる。思わず顔を顰めてしまった。
「そんな顔しないでよ。こんな傷、消そうと思えば消せるんだけどさ、あえて残しているんだよ」
「どうして?」
リズは傷を撫でながら、照れ臭そうに苦笑いを浮かべている。
「……この傷を見れば、君の歌を思い出せるからさ」
「えっ……?」
それは一体、どういう――。
「どう? こんな僕は、可愛くない? 変……かな?」
いつになく真剣な表情で詰め寄り、僕を真っ直ぐ見つめてくる。
「……別に、変じゃないと思う」
思わず、そう答えた。
ヒールでの一件、成り行きはさておき、リズはフローラという格上から逃げる事無く立ち向かった。
頬の傷は勇気の証。そう考えると、彼女が以前よりも大人びて見えてくる。
「ふふっ。やっぱりシオン、君は魅力的だよ」
ギリギリ聞き取れるくらいの声量で、ポツリと呟いた。
「ねぇ、仲直りしたいんだ。無理矢理ヒールへ連れて行っちゃって、ごめんね。お詫びの印じゃないけどさ……。よかったら、これ食べてよ」
いつに無く塩らしい口調。しかし、僕の返事を待つ事なく、口の中に何かをねじ込んできた。米粒ほどの大きさの、冷たい氷の塊。
「……これ、何?」
舌の上で転がすと、爽やかな柑橘系の香りが口一杯に広がる。氷は唾液によって速やかに溶け、無くなってしまった。
あれ? この香り、どこかで……。
「あーあ、食べちゃった」
塩らしい態度が一変。リズが意地の悪い笑顔を向ける。嫌な予感がした。
「僕さぁ、やっと昨日、解凍されて動けるようになったばかりなんだけど。まだ身体の色んな所から、溶け切ってない氷が出てくるんだよねー」
「い、色んな所……?」
ごくりと唾を飲む。リズはニヤニヤ笑いながら、僕の耳元で囁く。
「……君が食べたのは、僕のおへそから出てきた氷だよ」
「えっ!?」
やられた。一瞬でも、リズを信用した僕が馬鹿だった。お腹をさする。リズの氷が、この中に……。
「あはは、面白い顔! 冗談だよ! 僕が料理得意だって事、知ってるでしょ? それ、ただのアイスキャンディーだから!」
こちらを指差してケラケラ笑うリズ。……本当に、タチの悪い冗談だ。
彼女を睨む。そんな僕を見て、リズは余計に笑いを強める。そんなやり取りに割り込むように、アネットが怒声を飛ばしてきた。
「ちょっとあなた達! 何をさっきから、ぺちゃくちゃ喋っているのですか!? 遊びに行くわけじゃ無いのですよ!」
眉間に皺を寄せ、つかつかと、早足で僕の方に詰め寄る。その威圧的な態度に、思わず後ずさりをしてしまう。
「……あなた、何処かでお会いしたでしょうか?」
首を傾げながら、僕の顔をまじまじと見つめる。どうやら、過去に出会った事を覚えていないようだ。
「……いや、初対面だけど」
それとなく誤魔化す。これ以上、僕の正体がバレる訳にはいかないから。
「そうですか。失礼しました。私はアネット。別に馴れ合うつもりはありませんが、どうぞよろしくお願いします」
「僕は詩音。よろしく、アネ――」
「くれぐれも、私の足を引っ張らないよう努めて下さいね」
僕が言い切る前に、アネットはプイッとそっぽを向いてしまった。
「あぁ……」
言葉を詰まらせてしまう。リズは舌打ちをしながら、アネットを睨みつけている。険悪な空気が、この場を支配した。
「じゃ、じゃあ、みんな揃った事だし。そろそろ魔法箱を使おうか!」
悪い空気を払拭するように、ソフィーが明るい声で切り出した。そして肩掛けカバンから、黒い箱を取り出す。
……えっ? 一回きりなのに、今使うの?
戸惑っている中、リズ、そしてアネットも、無言のまま箱を取り出していた。
「――聖女様の『光魔法』」
「――ボスの『転送魔法』」
「――レティシア様の『色彩魔法』」
三つの箱は、互いに呼応するように輝き始めた。
「……ほら、シオンも」
ソフィーに急かされ、言われるがままに箱を取り出す。
「――フローラの『幻想魔法』」
首席の魔法を込めた箱が、四つ揃う。その瞬間、箱の輝きが一層強まった。そして何処からか、強い風が音を立てて吹き付ける。
何か予測不可能な事が起こりそうで、思わず目を細めた。
「強き力が集結する時、隠されし道が開かれん」
ソフィーの声に呼応するように、四つの箱から眩い光が放たれ、建造物を強く照らす。すると、何も無かった石の壁に、トンネルのような空洞が現れた。
中はもやもやと霧がかっており、先が見えない。まるでこの世の場所とは思えないような異質さを放っている。一体、何処に続いているのだろうか。
「……じゃあ、行こうか」
三人は、トンネルに向かって歩み始める。僕は一瞬だけ躊躇ったが、彼女達の後に続いた。
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