三十話

 明くる朝、今日も二人で朝食を摂取する。フローラは熱いスープを冷ますように、優しく息を吹きかけている。立ち込める白い湯気が、温度の高さを物語っている。


「昨晩、ここに戻る途中。あのソフィーって子に出会ったんだけど、何だか気味の悪い化け物に襲われていた。シオンは、何もされなかった?」


 スープを見つめたまま、不意に話しかけてきた。……フローラも見たのか。あのトカゲの化け物を。


「僕は、大丈夫。……ソフィーは、無事だったの?」


「えぇ。私が化け物を、夜空の星に変えてあげたから。あの子、お礼を言いながら、凄く悲しそうな顔をしていたけれど……何でだろう?」


「……さぁ、分からない」


 いや、分かる。助けて貰ったとはいえ、あんなに可愛がっていたペットを、一瞬で星に変えられたんだ。きっと複雑な心境だったのだろう。心中お察しする。


 でもまぁ、ひとまず彼女が無事で良かった。僕は胸を撫で下ろしつつ、折角始まった会話を途切れさせないよう、この流れでフローラに問いかける。


「聖女様と、『魔女実習』について話したんでしょ?」


 フローラの眉が上がる。意外そうな顔で、僕を見つめている。


「えぇ。……何故、あなたがそれを知っているの?」


「ソフィーに教えて貰ったよ。君が何も話してくれないから」


 皮肉を込めて言った。しかし、フローラは意に介さない様子で、すました顔をしている。


「そう。説明する手間が省けて良かった」


 目を逸らし、スープを口に運ぶ。開き直ったような態度。そんな彼女をこっそり睨みつけてやったが、恐らく気付かれていない。


「……で、あの手紙には、何が書かれていたの?」


「そうね。魔女実習に、ヒールとベビーフェイスの魔女も参加するって書いてたわ」


 フローラは淡々と話す。反対に、僕は呼吸するのを忘れそうな程に驚いていた。


「ミシェルは否定的な意見だった。でも私は賛成だから、説得しに行ったの。直接話せば、彼女も納得してくれた」


「……どうして賛成なの? その二校が参加するなんて、危険しかないと思うんだけど」


 ついこの間、僕を誘拐したばかりのヒールと、不気味で得体の知れないベビーフェイス。そして何より、両者の仲はとてつもなく険悪だ。ひと悶着が起きる予感しかない。


 しかし、フローラは事務的な語り口で説明を続ける。


「そもそも、舞踏会バルに乗り込む自体、危険な事だから。魔女仲間の数は、出来るだけ多い方が良いでしょ?」


 ソフィーはともかく、ヒールやベビーフェイスの魔女達を、仲間と呼んでも良いのだろうか? 本当に、信用しても良いのだろうか?

 魔女に心を許すなと言ったのは、フローラなのに。


 ……いや、それ以前の問題だ。


「どうしてそんな危険な場所に、僕を行かせようとするの? 僕は魔女じゃない。帝国への侵入がバレれば、命を奪われるかもしれない」


 そう。僕が帝国へ赴く、その目的が分からない。フローラが、何を考えているのかが知りたい。


「あなたには、もっと色んな経験をして欲しいの」


 ……収穫祭フェスタの時も、同じような事を言われた気がする。


「舞踏会では、帝国の絶対君主――女帝ヴァレリアの演説がある。彼女の話を聞いて、あなたが何を思い、何を感じたか。無事に帰って来て、私に聞かせてちょうだい」


 いつの間にか朝食を食べ終えていたフローラ。ゆっくりと立ち上がり、僕を見下ろすような視線を向ける。


「それが、この実習におけるあなたの『課題』だから」


 そう言い残し、小屋から去って行った。僕もスープを口に運ぶ。しかし、まだ熱くて飲む事が出来なかった。




 およそ一週間ぶりに、エンターテイメントの学校へとやってきた。まだ思い出は少ないものの、少しだけ懐かしさを感じる。

 フローラの人気っぷりは相変わらずで、久しぶりの登校というだけで、生徒達の視線や歓声を集めていた。



 そして午後。僕はハリエットを手伝うため、花園へと足を運んでいた。中央には、今日も大きな桜の木が満開に咲き乱れている。


「いやー、助かるよ! 丁度お花を植え替えたかったの」


 桜の下に立つハリエットは、桜の花びらよりも華やかな笑みを浮かべている。その足下には、赤や白、紫色など、色とりどりなスイートピーの鉢植えが置いてあった。

 その内の一つを差し出し、「よろしくね!」と微笑みかけてくる。僕は小さく頷き、鉢植えを受け取った。



 二人でしゃがみ込み、小さなスコップで土を整える。実家が花屋さんだったから、こういった作業は何度も行ってきた。

 懐かしさを噛み締め、何かがこみ上げそうになるのを我慢する。

 

「朝は、コラリーちゃんと歌の練習をしたんだよね?」


「うん。……コラリー、いつも以上に素っ気なかったんだけど。何か知らない?」


「あー……。コラリーちゃん、不器用だからなぁ」


 そう、今日の彼女は口数が少なければ、ほとんど目も合わせてくれなかった。久しぶりの再会だったのに、まるで歓迎されていないように感じた。


「あの子ね、シオンちゃんがヒールに誘拐された時、我先に追いかけようとしてたんだよ。結局、フローラちゃんに止められたんだけどね」


「そ、そうなんだ……」


 だとしたら尚更、再会を喜んでくれても良い筈なのに。


「それからね。シオンちゃんが魔女実習に参加するって聞いた時、フローラちゃんに猛抗議していたんだよ」


「えっ? コラリーが?」


「うん。結局、フローラちゃんの思いを変えることは出来なかったみたいだけどね」


 意外だった。コラリーといえば、涎を垂らすほどフローラに懐いていたはず。そんな彼女が、異議申し立てをするなんて。


「コラリーちゃんはね、君の事が心配なんだよ。でも、何をしてあげられる訳でも無いから、悶々とした気持ちを抱えているんだと思う」


 花を一つ植え終えたハリエットは、こちらを向いた。優しく微笑みながら、片目を瞑る。


「だからさ、そんな彼女を、優しく見守ってあげて。君が変わらない態度で接するだけで、きっと彼女の気分は晴れると思うから」


「……分かった」


 同じように、僕も花を植える。ほのかにやわらかい香りが漂い、心を癒してくれる。花言葉は……確か『門出』や『喜び』だったかな?


「私もね……。本当は、シオンちゃんを帝国に行かせたくないんだ」


 隣から、小さなため息が聞こえた。いつも笑顔のハリエットが、珍しく表情を曇らせている。まるで枯れてしまいそうな花のように、儚げな雰囲気を醸し出す。


「気をつけてね。魔女と帝国は、過去に二度、戦争を行っている。共和国と違って、私達を快く思わない人間が沢山いるから」


「でも、戦争があったのは、随分と昔の話なんでしょ?」


 リズの話では、ずっと昔にヒールと帝国による戦争が行われた。しかしヒールの首席が終戦協定を持ちかけた事で、戦争は終結した筈だ。


「うん。協定が結ばれて以降、魔女と帝国は適度な距離を保ち続けている。でも今、一つだけ気がかりなことがあってね。私も詳細は分からないのだけれど……」


 一呼吸置いたのち、ハリエットは言いにくそうに呟く。


「どうやら帝国で『魔女狩り』って言葉が、横行しているみたいなの」


「魔女狩り……?」


 物騒な言葉によって、僕の心拍数が上昇する。外から吹き付ける風が、桜の木を強く揺さぶっていた。

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