二十九話

 ソフィーはプイッと顔を背けると、元の位置に戻り、スケッチを再開した。


「……魔女なのに、人間を食べた事が無いの?」


「当たり前でしょ! 私たちの学校は、『人々を癒やす方法』を学ぶ場所なんだから」


 画用紙を見つめたまま、眉間に皺を寄せている。


 人々を癒やす……その言葉を聞き、確かにそうだと納得した。ソフィーの描いた絵を見ていると、どこか心の奥が晴れるような感覚になる。


「じゃあソフィーも、絵で人間を癒やしたくて、トリートメントに所属したんだ」


 不意に彼女の手が、ピタリと止まった。


「わ、私は……そもそも、選択肢が無かったの」


 都合が悪くなったのか、どことなく視線が泳いでいる。


「生まれつき、力が未熟で、魔法の使い方も下手だから。収穫祭の時も、自分が描いた絵に襲われちゃったし」


 あの時の光景を思い出す。巨大なハムスターのような動物に追いかけ回され、馬乗りされていたソフィー。

 ……あの化け物は、彼女が描いた絵だったのか。


「私には、人間を捕らえる力すら無かった。周りの魔女達が次々に人間を襲う中、私は自分の魔法に振り回されるだけ。いつの間にか、周囲から浮いた存在になっちゃったの」


 呟くように話しながら、左手でペンを走らせる。サラサラと、画用紙を擦るような音が響く。


「私だけじゃ無い。何かしらの理由で人間を食べられず、孤立してしまった極少数の魔女。聖女ミシェル様は、そんな私たちを導いて下さったの」


 改めて、絵を描いている姿を観察する。視線を素早く往復させ、止まること無く、ペンを滑らせるように動かしている。手際が良いと思った。


「そうして出来上がったのが、トリートメントの学校。その人数は、私や聖女様を合わせても七人だけ」


「えっ……七人? たったそれだけなの?」


 思わず聞き返す。先日訪れたヒールより少ない人数だ。果たしてそれは、学校として成り立つのだろうか?


「うん。寂しいよね……。でも、だからこそ私たちは、固い絆で結ばれているんだ! 少数精鋭ってやつだね!」


 一瞬だけ、こちらへ微笑みを向けてきたが、すぐに画用紙へ目線を戻す。カリカリと、ペンを走らせる音が響く中、僕は控えめに呟く。


「知らなかったよ。君たちに、そんな過去があったなんて」


 トリートメントだけじゃ無い。僕は魔女達の歴史や成り立ちについて、殆ど何も知らない。本当に、何も……。


 でも、こうして少しずつ紐解いていくのもまた、味わい深い事だと思う。


「そっか。シオンは記憶が無いんだったね」


 ソフィーは困ったように、苦笑いを浮かべている。僕は小さく頷いた。

 こんな時、記憶を失っているという設定がとても役に立つ。


「うーん、そうだね。私なりの表現で説明すると……魔女には、三種類の色があるって考えると、分かりやすいかな」


 ソフィーは右手の指を三本立てる。そして一本ずつ折り曲げながら、説明を続ける。


「今でも人間を食べ続けている『黒』。今まで一度も食べたことが無い『白』。そして、過去に一度だけ人間を食べ、後悔し、それ以降食べなくなった『灰色』」


 折り曲げた三本の指を、再び伸展させる。


「黒は、ヒールとベビーフェイス。白は私たちトリートメント。そして灰色は……もう、分かるよね」


 僕は目を伏せる。過去に聞いた、コラリーやハリエットの言葉を思い出したから。

 


――昔、目の前で命が消える瞬間を、見てしまったから。あんな音、もう聞きたくない――


――私も一回だけ、食べたかな。もう遠い昔のことだけどね――

 


 ソフィーの表現で言えば、エンターテイメントの魔女は『灰色』に該当する。となると、彼女達は長い間、想像を絶するほどの苦悩や後悔を抱えているのかも知れない。


 今も尚、自責の念に駆られていて、その罪滅ぼしとして、人々に娯楽を提供しているのだとしたら。その心中を想像するだけで、胸が締め付けられる。

 

 ……果たしてフローラは、どうなんだろう?


「……まぁ、全員が全員、これに該当するとは限らないけれどね。ざっくり分けると、そんな感じかな」


 ソフィーは付け加えるように言った後、ペンをゆっくりと置いた。


「よし! 描けたよー!」


 満足そうに、両手で画用紙を掲げる。随分と早いものだ。僕は彼女に近寄り、画用紙に描かれた絵を鑑賞する。


 この短時間で作成したとは思えない程、繊細な部分まで書き込まれている。写真のような再現力に加え、ソフィーらしい、柔らかいタッチで描き出されていた。


「……はい、これ! 記念にあげるよ!」


「えっ? 良いの?」


「うん! 私、一度描いたものは、また何度でも思い出して描くことが出来るから!」


 さらりと物凄い事を口にした。つまり、一度絵に描いてしまえば、目で見た光景を、この先ずっと記憶に残す事が出来るという事か。


 超記憶症候群ハイパーサイメシアとは少し違うが、とんでもない能力だと思った。これも、魔法の力なのだろうか。


「……凄いね、ソフィー」


 素直にそう思った。絵の才能も、その能力も。彼女は自身の事を未熟と言っていたが、それはあくまでも戦闘に適していないだけ。


「えっ? ……えへへ、そうかなぁ!?」


 ソフィーは分かりやすく上機嫌になり、照れくさそうに自身の頭を撫でている。


「よーし! 折角だから、シオンにもう一つ、凄いものを見せてあげるよ!」


 力強い口調でそう言うと、肩掛けカバンから、黄色のファイルを取り出した。


「ここだと狭いから、一緒に表へ出ようか!」


 余程褒められた事が嬉しかったのか。ソフィーは鼻歌混じりに、軽い足取りで外へ出る。少しだけ不安がよぎったが、僕もゆっくりと後に続いた。




 外はすっかり暗くなり、今日も青い月が、地上を照らしている。


「よく見ててね! 私の事を、もっと凄いって言わせてみせるから!」


 すっかり天狗になってしまったソフィーは、黄色いファイルから一枚のイラストを取り出した。何が描いてあるのかは、暗くてよく見えない。


 イラストを地面に置き、パチンと指を鳴らす。すると、画用紙から白い煙がもくもくと立ち込め、あっという間に周囲を覆っていく。


 そして煙が晴れると、そこには巨大なトカゲのような化け物が姿を現していた。……先程感じた不安は、見事に的中したようだ。


「じゃーん! 『リジャードちゃん』だよ!」


 象のように大きな身体に、くねくねと伸びる長い尻尾。大きな口からは、細長い舌が見え隠れしていた。なんとも奇妙な風貌に、言葉を失ってしまう。


「凄いでしょ? 収穫祭の時、孤児院で子供達と一緒に描いたんだー!」


 得意げに話しながら、化け物トカゲの身体を優しく撫でる。トカゲは気持ち良さそうに、喉をくるくると鳴らしていた。よく懐いているみたいだ。


「……この間のハムスターみたいに、襲ってきたりしないの?」


「ハムスター……あぁ、『ハムスチャン』の事ね!」


 ……ハムスチャンって言うのか。何というか、独特なネーミングセンスだ。


「大丈夫! この子はとってもおとなしい女の子なの! 尻尾を踏んだりしない限り、怒ったりしないよ!」


 ソフィーは説明しながら、こちらに歩み寄る。そこで僕は気づいてしまった。トカゲの長い尻尾が、彼女の足元まで伸びている事に……。


「グギャァァァ!!」


「リ、リジャードちゃん!?」


 ソフィーに思いきり尻尾を踏まれたトカゲは、大地を揺るがすような雄叫びを上げる。そして細長い舌を、ソフィーにくるりと巻きつかせ、彼女を持ち上げた。


「ちょっと!? お、落ち着いて! めっ! おすわり!」


 ソフィーの声かけも虚しく。痛みで我を失った様子のトカゲは、彼女を舌で捕らえたまま、物凄いスピードで走り去って行った。



「あ、あぁ……」


 呆気に取られ、変な声が漏れる。あっという間に、トカゲの足音も、ソフィーの悲鳴も聞こえなくなった。

 嘘のように静まり返った夜空の下。一人取り残された僕は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

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