二十八話

 金縁の眼鏡を掛け直し、広いおでこに光る汗を拭う。清潔感のある、白と緑の制服。


 宵の口に尋ねて来たのは、トリートメントの魔女――先日の収穫祭で、一緒に孤児院へと足を運んだソフィーだった。


「これ、聖女様からの伝言です!」


 ソフィーは手に持っていた薄緑色の封筒を、フローラに差し出す。


「……ミシェルから?」


 封筒の中から手紙を取り出し、黙々と読み始めた。



 二十秒ほど経っただろうか。読み終えた時、フローラは険しい表情をしていた。


「少し、出掛けてくる」


 つかつかと歩き、小屋の外へ出る。指をパチンと鳴らし、箒を出現させた。


「あ、あれ!? フローラさん!?」


 戸惑うソフィー。頭にハテナを浮かべるように、首を傾げている。


「ミシェルと、直接話してくる。……すぐ戻るから、二人でお留守番してて」


 フローラは飛び立ち、あっという間に薄暗い空へと消えていった。



「あ、あははー。……行っちゃった」


 困ったように苦笑いをした後、クルッとこちらを振り返る。やや短めな水色おさげ髪が、夜風に吹かれて小さく揺れている。


「久しぶりだね! シオン!」


 満面の笑みを向けて来た。久しぶりと言っても、まだ五日くらいしか経っていないけれど。僕も同じように返事をする。


「……久しぶり。あの手紙、何が書いてあったの?」


「さぁ? 私も中身を読んで無いし、聖女様からも『魔女実習についての伝言』としか言われてないから」


「……その『魔女実習』って、何?」


「あれ? シオン、知らないの?」


 ソフィーは目を見開く。知るものか。フローラは、僕に何も教えてくれないのだから。


「魔女が帝国の行事にこっそり参加して、人間達の生活を観察する課外授業だよ。毎年、うちとエンターテイメントの魔女で協力して行っているんだけど……」


 得意げに胸を張り、腰に手を当ててふんぞり返る。


「なんと今年は、私が行くことになったんだー!」


 それは、名誉な事なのだろうか。魔女達の話を聞く限り、帝国は物騒なイメージしかない。どうしても、『戦争』の二文字が頭を過ってしまう。

 ……極力、近づきたくは無い場所だ。


「そうなんだ……。大変だね。頑張って」


「え? なんで他人事なの?」


 ソフィーが首を傾げる。無垢な瞳で、僕を見つめながら。


「シオンも、行くんだよ? エンターテイメントの代表として」


 ……えっ?


「聞いてないんだけど」


「あれー? フローラさんは、知ってる筈なんだけどなー」


 つくづく思う。フローラは、本当に何も教えてくれない。呆れるほどに。

 収穫祭の時もそうだ。ステージの主役という重要な事でさえ、コラリーの口から告げられたのを思い出した。


「……じゃあ、僕も帝国に行かなきゃいけないんだ」


「そうだよ! 二人で頑張ろうね!」


 ……どうしてそんなに嬉しそうなのか。


「帝国って、危険じゃないの?」


「危険だよ! 特に今回参加する『舞踏会バル』は、国外の者が入れないよう、厳しい検問があるみたいだからね。絶対に、魔女ってバレないようにしなきゃね!」


 ……どうしてそんなに楽しそうなのか。


「……バレたら、どうなるの?」


「大丈夫! シオンは私が守ってあげるから!」


 ……どうしてそんなに自信があるのか。


 ため息を一つ吐く。また、フローラに問い詰めなければならない事が、増えてしまった。



「そんな事よりさー。ここ、シオンの家なの?」


 話題を変える。ドア越しに、小屋の中を覗き込んでいる。


「うん。フローラに借りているんだけどね」


「へぇー! ちょっと、中に入っても良い?」


「いいけど……」


「やったー! お邪魔しまーす!」


 元気よく挨拶し、小屋の中へと足を踏み入れた。


「おしゃれな部屋だねー! ……ねぇ、スケッチしてもいい?」


「スケッチ?」


 ソフィーは指をパチンと鳴らす。すると何処からか、肩掛けカバンが現れる。その中から、紙とペンを取り出した。


「私、絵を描くのが大好きなんだー!」


「まぁ、それくらいなら、良いよ」


 この部屋には、ベッドとテーブルくらいしか置いていない。おしゃれか否かは、議論の余地があると思うが……。少なくとも、彼女の目にはそう映ったのだろう。


「やったー! ありがとー!」


 彼女は部屋の隅に座り込み、慣れた手つきでペンを走らせる。


 彼女の出したカバンに視線を移す。中には、これまでに描いたであろうイラスト達が、びっしりと入っていた。


「……これ、見てもいい?」


「うん、良いよー!」


 テーブルの椅子に腰掛け、カバンの中身を探る。沢山の絵が入っており、恐らく種類ごとにファイル分けしてある。僕は青いファイルを手に取り、鑑賞を始めた。


 まず目についたのは、風景画。鮮やかな煉瓦造りの家が並ぶ町。その中央には、背の高い時計台がある。きっとこれは、収穫祭が開催された町だ。


 そして、小さな子ども達と、彼らに囲まれる若い女性の絵。これは途中立ち寄った、孤児院の風景だろうか。


 子供達と戯れる、コラリーやキャロリンの絵もあった。


 最後の一枚は、人物画だった。誰かが歌っている絵。前髪に青く光る花びらを留めている人物。……多分、これは僕だ。

 表情の細部まで描かれており、少しだけ恥ずかしい。



 次に、紫色のファイルを手に取る。そこには、先程までとは全く異なる雰囲気の絵が、二枚綴りで出てきた。


 祈りを捧げる人間達の前で、翼の生えた天使のような生き物が、安らかな顔で歌っている絵。……何処となく、先程の僕が歌っている絵と、姿勢や表情が似ている気がする。


 そしてもう一枚は、涙を流す人間達の前で、角の生えた悪魔のような生き物が、苦悶表情を浮かべている絵。よく見ると、悪魔の半身は石のように変化しているみたいだ。


 それらはまるで、対になるように描かれている。何かの風刺画だろうか?


「ソフィー。これはなんの絵?」


「あぁ、それね。人間達の間で伝わる、御伽話をモチーフにして描いたんだ。内容は……えっと、あれ? 忘れちゃった!」


 困ったように苦笑いしながら、首を傾げている。……まぁ、ソフィーの事だ。特に深い意味は無いのだろう。そんな事を思いながら、今度は緑色のファイルを手に取る。


 

 まず最初に、白い教会のような建物の絵があった。次は、祈りを捧げるトリートメントの生徒達。そして最後は、優しそうな笑顔の女性が描かれた人物画だった。


「どう? 聖女様だよ! 綺麗に描けているでしょ?」


 いつの間にか、ソフィーが隣に来ていた。得意げな顔で、僕の顔を覗き込む。まだスケッチの途中だったのか、左手にペンを持ったままだ。


「綺麗な人だね」


 全てを包み、許してくれそうな表情。まさに聖女と呼ぶに相応しい雰囲気が、絵から伝わってくる。


「うん! 私達トリートメントの象徴であって、憧れの的。ミシェル様のお陰で、私達の学校が成り立っているの!」


 ソフィーは上機嫌な様子で、まくし立てるように話す。

 しかし、僕はこの絵から、優しさ以外のものを見つけようとしていた。


「……でも、聖女様も結局は魔女なんだから、人間の男を食べた事があるんでしょ?」


 別に嫌味を言ったつもりは無い。ただ、この笑顔の裏に、何か別の一面を隠していると思ってしまう。


――魔女に対して、下手に心を許しては駄目――


 かつてフローラに言われた一言が、僕の心に根付いているのかも知れない。


「ちょっとシオン! なんて事を言ってんの!?」


 ソフィーの口調が、突然強くなる。手に持ったペンで、僕の頭を優しく小突いている。痛くは無い。むしろくすぐったいくらいだ。


「トリートメントの魔女は皆んな、一度として人を食べた事なんてないんだから!」


 彼女は頬を膨らませながら、僕を睨みつけていた。

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