魔女実習編

描画の魔女

二十七話

 ヒールでの騒動以降、日常生活に喜ばしい変化が起きている。



 ……フローラが、僕の小屋で一緒に食事をするようになった。


 最初は、ただの気まぐれだと思っていた。しかし二日経った今も、向かい合って夕ご飯を食べている。どうして……? 一体彼女に、どのような心境の変化があったのか。


 ……少しだけ、期待を抱く自分がいる。


 しかし、二人で囲む食卓に、特別会話がある訳ではない。フローラからは殆ど話しかけて来ないし、僕から話しかけても、きっと会話は続かない。


 今日も無言のまま終わる……そう考えていた矢先、フローラがポツリと呟いた。


「……明日から、また学校に行くから」


 フォークを器用に使い、サラダを口に運ぶ。瑞々しいレタス。見ているだけで、シャキシャキという音が聞こえてきそうだ。


「もう、休養は大丈夫なの?」


 僕の問いに、小さく頷く。フローラはこの二日間、学校に行っていない。先日の戦闘で消耗した魔力を取り戻す、療養期間だと言っていた。


 彼女無しでは、当然僕の移動手段が無いわけで……僕もこの二日間、ずっとここで過ごしていた。



 学校、か……。煉瓦造りの立派な建物を思い出す。


「ねぇ、フローラ。明日から僕は、学校で何をすれば良いの?」


 今までは、収穫祭フェスタに向け、主に歌の練習を行ってきたが……。お祭りが終わった今、僕はどう過ごすべきなのだろうか。


「そうね……」


 水を一口飲んだ後、ゆっくりと答える。


「引き続き、コラリーと歌の練習をして欲しい。それと、ハリエット。彼女の庭園造りのお手伝いもしてあげて」


 水の入った透明なコップを、優しくテーブルに置く。水面が揺らぎ、小さく波打つ。


「あの二人……あなたと出会ってから、少しだけ魔力が高まっている。彼女達だけじゃない。あのヒールの魔女も、そうだった」


 リズの事か……。どうして、彼女達の魔力が高まっているのか?

 考えられる答えは、一つ。


「……それは、『天使の声』のおかげ?」


 口に出した瞬間、フローラはわざとらしく目線を逸らす。図星か……。彼女の横顔を見つめながら、問い詰める。


「ねぇ、教えてよ。『天使の声』って、何なの? 僕の声、どうなっているの? フローラ、知っているんでしょ?」


 知らない筈は無い。先日のエレーヌとの、意味深な会話。フローラは、僕に何かを隠している。


「……あなたは、知らなくていい」


 頬杖を付き、素っ気無く返す。そんなの、おかしいと思う。僕自身の事なのに、知らなくて良いなんて。余りにも、僕の気持ちを置いてけぼりにしすぎだ。


 フローラは今、全然目を合わせてくれない。思い返せば、彼女はいつもそうだ。自分から近寄ったと思えば、すぐに離れていく。

 今だって、こうして同じ場所に居るのに、心は全く違う場所に居るように感じる。


 そして、心をかき乱されるのは、いつも僕の方なんだ。そんなのはずるい。僕だって、僕だって――。


 ……負けてたまるか。


 僕は立ち上がり、フローラの目線の先へ移動する。無理矢理視線を合わされた彼女の瞳が、驚いたように丸くなる。


「シオン……?」


 彼女の瞳を逃さぬよう、強く見つめる。そうだ。もっと見て欲しい。僕から目を逸らさないで欲しいんだ。僕だけを、見ていて欲しい。


 さらに彼女の注意を引くため、僕は普段言わないような台詞を口にする。


「……まだ、僕を食べる気にはならない?」


 フローラは怪訝そうな顔で、眉を顰める。


「急に、なに?」


「君のおかげで、僕は歌う事の楽しさを思い出せた。君の言う『精力』も、少しずつ付いていると思うんだけど……まだ、足りない? 美味しそうに、見えないかな?」


 僕の言葉を受け、小さくため息を吐く。


「『一ヶ月後』って、約束したでしょ? まだ、あと二十日もあるから」


 再び目を逸らされた。負けじと一歩前へ、フローラとの距離を詰める。少しだけ、彼女が後ろへ仰け反ったような気がした。


「今回みたいに、またさらわれるかもしれない。この度は、無事に帰って来れたけれど……。君に食べられる前に、他の誰かに命を奪われるのは嫌だ」


「その時は、また私が助けるから大丈夫」


 ……あぁ、まただ。また優しい言葉に、心を揺さぶられている。彼女は僕を動揺させる一言を、いとも簡単に口にする。

 

 つくづく自分は、心の弱い人間だと思う。これじゃまるで、フローラの掌で踊らされているみたいじゃ無いか。そんな自分が、何だか歯痒く思えてきた。


「どうして君は、そんな台詞を平気な顔で言えるの? 普段は冷たいのに、急に優しくなるのは何故? ……分からない。僕は君の気持ちが、全然分からないよ」


 このまま、フローラの事を信じ続けても良いのか不安になる。……けど、彼女のそんな部分に惹かれている自分もいて、頭と心がぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。


 フローラが、再びこちらを向く。水色の瞳で、僕を睨み返してくる。


「私も分からない。どうしてあなたは、私に食べられたいと願うの? 私よりもあなたの方が、意味不明だと思うのだけれど」


「それは……」


 言いかけて、言葉に詰まる。今度は僕の方が、目を逸らしてしまった。薄々気づいている、自分自身の本心。痛い所を突かれた気がした。

 


 ――本当は、食べられたい訳じゃ無い。ただ純粋に、彼女の側に居たいだけなんだと、そう気づいてしまったんだ。


 いつからか、フローラを思う気持ちが、死にたいという希望を凌駕していた。


 二十日後が、運命の分かれ道。フローラに食べられるか、ここから追い出されるかの二つに一つだ。

 それならば、食べられて一つになる方がまだ良い。そんな結論に至ってしまう。


 もし、願いが叶うのなら……三つ目の選択肢が欲しい。食べられる事も追い出される事もなく、ずっと彼女の側に居られる選択肢が。


 でも、その方法が見つからないのだ。


 頭が痛くなる。どうして僕とフローラは、こんなにも歪んだ関係でしか居られないのか。僕たちが『人間』と『魔女』だから?


 下を俯く。黙り込んでいる内に、フローラは立ち上がっていた。そして食事を置いたまま、ゆっくりとドアの方へ向かっていく。


「……まだ、あなたを食べる気にはならない。を言っている内は、絶対に食べたいと思わないから」


 厳しい口調で、吐き捨てるように言った。


「フローラ……」


 遠ざかる背中を見つめる。僕は……どうすれば良いんだ? 考えた所で、気分が悶々とするだけ。



 その時だった。ドアをノックする軽い音が、部屋に響く。僕達は一瞬顔を見合わせる。そして、フローラはドアをゆっくりと開けた。


「あ……お、お取り込み中すみません! 私、トリートメント所属の『描画の魔女』ソフィーと申します!」


 ドアの先で、見覚えのある女性が立っていた。手には薄緑色の封筒を持っている。


「五日後の『魔女実習』について、うちの首席からフローラさんへの、伝言をお届けに来ました!」


 これでもかと言わんばかりに、深々とお辞儀をする。弾みで床へずり落ちた眼鏡を、慌てて拾い上げていた。

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