二十六話

 不気味な程に静かな夜。朧げな月明かりが、首席同士の邂逅かいこうを怪しげに照らしている。


「久方ぶりですね、フローラ」


「……そうね」


「うちの魔女達を虐めるのは、楽しかったですか?」


「私はシオンを取り返しに来ただけ。人の弟子を誘拐するなんて……あなたの教育が、成ってないんじゃないの?」


 お互い表情を変えぬまま、淡々とやり取りを続ける。漂う緊張感、そして険悪な雰囲気。側から見ている僕の方が、冷や汗を掻いてしまいそうだ。


「やれやれ、いつも言っているじゃないですか」


 エレーヌは面倒臭そうに頭を掻きながら、小さなため息を吐く。


「私達は悪役ヒールですよ。世間から恐れられるべき悪玉。悪者が悪事を働かない世界など、最高につまらないと思うのですが……」


「その身勝手な美学で、他校に迷惑をかけないで欲しいものね」


 厳しい指摘を受け、エレーヌはバツが悪そうに視線を逸らした。


「……まぁ、今回に関しては、リズの往生際が悪かったですね。彼女は完全に、引き際を見誤りました。悪役は、時に潔さも大事だと、そう教授しているのですがね」


 抑揚の無い声で、歯切れ良く話し続ける。ヒールの首席エレーヌ。この魔女は、掴み所がないという点で、フローラと良く似ている。

 しかし、明確に異なる点があると感じた。それは……よく喋る所だ。


「リズは利口な子です。そんな彼女も、やはり『天使の声』に心を掻き乱されてしまいましたか……」


 エレーヌが指を鳴らした、次の瞬間。僕の視界が反転し、前後左右の感覚が乱れる。


 おかしい。僕は確かに、フローラの隣に立っていた筈なのに。……どうして今、エレーヌの足元に寝転がっているのか。


 一瞬で、場所を移動した? いや、させられた……?


「気にすべき点は……。シオン。何故あなたが『その力』を授かったのでしょうか?」


 エレーヌはしゃがみ込み、僕の顔を見下ろす。幼い顔立ちに、暗い影がさす。

 彼女が何を言っているのか、まるで理解できない。さっきから、身に覚えのない話が続いている。


「あなたを食べてしまえば、その答えを知る事が出来るかもしれませんね。さぁ、どうしましょうか? シオン?」


 眼鏡の奥の瞳が、ギラリと光る。ただならぬ気配を前に、身震いを覚えた。唾をごくりと飲み込む。


 ……この魔女、僕が人間の男だという事に気づいている。


「ふふっ、どうして正体がバレた? といった顔をしていますね。はい、舐めないでください。私は一応、この学校の首席なのですよ」


 人差し指で、僕の唇をなぞる。むず痒さを感じ、即座に顔を背ける。そして助けを乞うように、フローラの顔を見つめた。


 彼女は眉間に皺を寄せ、エレーヌをジッと睨んでいる。


「……まぁ、軽い冗談です。本気にしないでください。ちょっとしたサプライズですから」

 

 再び指をパチンと鳴らす。またしても、視界と方向感覚が乱れる。


 気づけば僕は、フローラの足元へ尻餅をついていた。瞬間移動……? これが、エレーヌの魔法なのだろうか。


 慣れない感覚に、思わず口を開けて固まってしまう。その様子を見て、無表情だったエレーヌが微笑みを浮かべる。


「ふふっ、あなたのお弟子さん、実に面白いですね。無垢で可愛い。汚したくなる程に。今日は気まぐれで立ち寄った甲斐がありました」


「……シオンと会うために、ここに来たのね」


 フローラの眉間には、皺が寄ったまま。声色も、どこか機嫌が悪そうだ。


「えぇ。興味深い歌声が聞こえたので、もしやと思いましたが。まさか、あなたが再び『天使の声』を飼い慣らしているとは。……一体、何をお考えですか?」


「……別に。シオンはたまたま拾っただけ。それにも、飼い慣らしたつもりなんて無いから」


「成る程。……まぁ今は、そういう事にしておきましょうか」


 一つため息を吐き、眼鏡をくいっと上げる。どこか遠くを見つめる様な目で、語り続ける。


「何やら帝国の方でも、怪しい動きがあるみたいですし。時代の過渡期かとき、ですかね? そろそろ私達ヒールも、再起に向けて動き出す時なのでしょうか。面倒くさいですけれど」


「勝手にすればいい。帝国の企みも、あなた達の抗争も……興味ないから」


 フローラは目を逸らす。何かを考えるように黙り込む。そして再び口を開いた時……眉間の皺は、いつの間にか無くなっていた。


「この話はもう終わり。それより、お願いがあるの。私達を、家まで転移させて頂戴。箒で帰るのは、大変だから」


「あぁ、それでわざわざ、私の元へ来たのですか。フローラ、あなたも随分と横着者になりましたね」


「……あなたにだけは、言われたくない」


「はいはい、分かりましたよ。二人を遠くまで飛ばすのは、それなりに面倒くさいのですが……。まぁ、ここは一つ、貸しを作っておきましょうか」


 小さな身体を目一杯使って、気持ちよさそうに背伸びをする。ふぅ、と息を吐き、僕達に向き直った。


「では、二人で腕を組んでください。転移の途中で逸れないよう、ガッチリとお願いします」


 フローラと、腕を……? 僕は驚き、エレーヌを見つめる。

 彼女の表情は、微塵も変わらない。冗談なのか、それとも本気で言っているのか。感情が全く読めない。


「何を躊躇しているのですか? ただ腕を組むだけの事ですよ。あなた達、師弟関係なのでしょう?」


 首を傾げ、眉を顰める。僕がたじろいでいると、フローラの方から腕を組んできた。半ば強引に、僕を引き寄せるように。

 ふわりと甘い香りが、僕の鼻をくすぐる。


「うーん、もっと密着してください。抱き合うくらいの方が、いいかもしれません。出来るでしょ? 師弟関係なのですから」


 意地の悪い口調。この提案は、流石に悪意がある。間違いない。そんな事は僕でも分かった。


 しかし、フローラは僕の肩を両手で引き寄せ、そのまま僕を抱きしめた。密着する面積が増える。それだけで、心拍数が上昇し、身体が熱くなるのを感じた。


 抱き合って……と言われたが、彼女の背中に手を回す事が出来ない。非常に恐れ多い行動のような気がしたから。


「……これで、満足かしら?」


 ドクドクと、鼓動が強まる。これは、僕の音……じゃない。フローラの音だ。平気そうに見えて、実はフローラも同じように動揺しているのだろうか。


 どんな表情をしているのか。普段は氷のように無表情な彼女が、顔を少しでも赤らめているとしたら……。


 気になる。でも、強く抱きしめられているから、確認することが出来ない。非常にもどかしい。


「うーん、もう少しですね。そうだ、唇を重ねて――」


「いい加減にして! 調子に乗りすぎよ、エレーヌ!」


 僕を抱きしめたまま、フローラが怒声をとばす。珍しく、語気を強めている。


 当然だ。流石に口づけなんて、師弟関係のする事ではない。そんな事をされた日には、僕の方が昇天してしまう。


「あー怖い。全く、あなたは洒落が通じないですね」


 エレーヌは、残念そうに肩を落としていた。


「では、そろそろ暇乞いいとまごいを致しましょうか。お元気で。また会いましょう。フローラ。そしてシオン」


 パチンと指を鳴らす。すると視界が歪み、またしても方向感覚が分からなくなった。


 水の中にて、物凄い速さで身体を回転させられるような感覚。フローラと逸れないよう、彼女のジャケットをギュッと握りしめた。




 やがて視界が元に戻り、気づくと地面に横たわっていた。そして隣には、同じ状態のフローラがいる。水色の澄んだ瞳と、視線がぶつかる。


「あっ……」


 彼女の吐息が当たる。抱きつかれた状態で転移したからか、とてつもなく距離が近い。口をぽかんと開け、瞳を大きく見開いていた。


 あのフローラが、驚いたような顔をしている。この表情には、言い表せない程の価値がある。そう思った。


 ずっと見つめていたい。この時間が、永遠に続いて欲しいと願う。


 しかし、至福のひとときはあっという間に終わりを告げる。フローラは無言のまま立ち上がり、そそくさとこの場から立ち去ってしまった。


 僕もゆっくり立ち上がり、辺りを見渡す。ここは、フローラの家の前。本当に、あの膨大な距離を一瞬で移動してきたのか。


 エレーヌ……その性格がどうであれ、彼女はヒールの首席だ。きっとフローラと同じ、多大な力を持った魔女なのだろう。


 そして首席同士の会話には、『天使の声』だの『帝国の企み』だの、理解出来ない内容が多かった。分からないけれど……何処となく不穏な未来が、待ち構えているような気がした。



 重い足取りで扉をくぐる。すっかり我が家となってしまった小屋。ベッドへ崩れるように横たわる。

 二日しか経っていないのに、まるで長い旅行から帰ってきたような気分だ。緊張の糸が一気に解けた僕は、そのまま泥のように眠ってしまった。

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