二十五話

 歌い終えてから、数分後。フローラが小屋の中に入ってきた。数々の魔法が被弾した筈なのに、その身体は傷一つ付いていない。

 理不尽な強さ。これも、幻想魔法の成せる技なのだろうか。


「お待たせ、シオン」


 無表情のまま、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。そして、リズの傍に座り込む僕を見て、首を傾げた。


「……どうかした?」


「いや……本当に、生きているのかなって、気になっただけ」


 リズの身体は、透き通る程に凍りつき、冷気を放っている。もしこれが人間なら、この状態から復活するなんて有り得ない。


「……魔女は、死なないから。時間が経てば、氷が溶けて元通りになる」


 フローラはリズの氷像に歩み寄る。そして彼女の顔を鷲掴みにし、手に力を込め始めた。


「例え、この氷が粉々に砕けたとしても、この子が死ぬ事はない」


 微笑みを浮かべるリズの顔に、ピシピシと小さな亀裂が入る。粉々……。見るに耐えない光景を想像してしまう。


――死ぬ事は無いけれどさ。それでも、痛みや恐怖は感じるんだ――


 リズの言葉を思い出し、思わず目を逸らした。

 

 しかし、フローラはそっと手を離す。小さくため息を吐いた後、リズの凍った頭を優しく撫でた。何度も、何度も……。


「……まぁ、そこまでするつもりは無いから。今回は、これで許してあげる」


 一方的に言い放ち、リズの肩を軽く叩いた。冷たさの中に、垣間見える優しさ。やはりフローラ、君はずるい。


「さっさと帰るよ、シオン」


 素っ気無い口調と共に、僕の手を取る。こんな遠くまで迎えに来てくれたのに、今は目も合わせてくれない。本当に、フローラは何を考えているのか分からない。


 でも、それで良い。僕はそんな彼女の隣にいる事を望んでいる。刹那に見せる優しさが、笑顔が、堪らなく魅力的だから。


 ゆっくりと立ち上がる。やはり、フローラしかいない。僕は、彼女の為に生きているのだと、再認識させられたのだった。





 外に出ると、日はすっかり沈んでいた。フローラの作り出した幻想は消失し、今は青白い月が夜空に鎮座している。


 先程までの戦闘が、まるで嘘のように静まり返った道。前を進むフローラに、置いて行かれないように歩く。気温は徐々に上昇しているようで、既に氷が溶け始めている。


 周囲を見渡すと、凍った魔女達の姿があり、その身体から、白い煙が立ち上っていた。


 フローラは、一言も話さない。僕は沈黙を破るように、彼女へ質問を投げる。


「ねぇ、フローラ」


「何?」


「君は、人間に恋をした事がある?」


 フローラの歩みが、少しだけ遅くなる。数秒黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「魔女は死なない。でも、人間の生には限りがある。どれだけ愛しても、人間は魔女を残してこの世を去っていく。……分かる? 魔女にとって、人の命は余りにも儚すぎる」


 難しい答えが返ってきた。しかし、彼女の気持ちは何となく理解できる。

 確かに逆の立場だとしたら……相手がいつかこの世を去ると知っていて、自身が取り残されてしまうと分かっていて、それでも相手を愛する事が出来るだろうか。


 悶々と考え込んでいる中、不意にフローラが立ち止まった。夜空を見上げながら、さらに話を続ける。


「でも……その儚さこそ、人間の持つ最大の美しさだと思う。短い命だからこそ、沢山笑って、怒って、悲しんで、そして楽しい思いをして欲しい。だから私は、人々に娯楽エンターテイメントを提供し続ける」


 力強い言葉。フローラが口にすると、より深みが増す。月明かりに照らされた横顔、水色に輝く瞳、風に靡く髪……。

 彼女の発言と相まって、それら全てが、より一層美しく見えた。


「そしてシオン。は、あなたにも言える事だから」


 そう呟き、フローラはは再び歩き始めた。が何を指しているのか。彼女の発言を思い返すが、結局答えを導き出す事は出来なかった。




 氷が溶けかけてぬかるむ地面を、ゆっくり踏みしめながら歩き続ける。何処へ向かっているのだろうか。いつものように、箒で帰らないのだろうか。


 やがて、フローラは大きな木の前で立ち止まる。無表情のまま、木の上を見つめている。

 視線の先には、赤縁の眼鏡をかけた一人の女性……もとい、小さな女の子が、太い木の枝に立ち、ゆっくりと辺りを見渡していた。丸みを帯びた短い髪が、月明かりを艶やかに反射する。


「これはこれは……随分と凄惨せいさんな光景ですね」


 変わり果てた姿の地上を眺めながら、小さなため息を吐く。落ち着いた声。子供のような見た目に反して、随分と大人びた話し方だった。


 こちらをゆっくりと振り返る。褐色の肌、そして黒地に赤いラインの入ったワイシャツを羽織っている事から、彼女がヒールの魔女である事は分かる。


 他の生徒達と異なるのは、その大胆な格好だ。下着の上に、かなり大きめのシャツを羽織っただけ。短いスカートすら着用していない。


 パチンと指を鳴らした直後、視界から彼女の姿が消える。不思議に思い、目を凝らして注視していると、今度は後方から声が聞こえた。


「はぁ……。事後処理が、色々と面倒くさいですけど。まぁ、セシルが何とかしてくれるでしょう」


 ゆっくりとこちらへ歩み寄る。僕の肩くらいしか無い身長。日焼け跡の付いていない、褐色な胸の谷間が幼さを薄めている。僕は思わず目を逸らした。


「こんばんは。骸の魔女と、そのお弟子さん。確か名前は……シオン、でしたっけ?」


 ペコリと、小さな頭を下げる。どうして、僕の名前を……?

 困惑する僕の横で、フローラは眉間に皺を寄せて彼女を睨んでいた。


 女の子は僕の顔を見上げる。眼鏡の奥の瞳が、月明かりに照らされてキラリと光る。


「初めまして、エレーヌと申します。一応、ヒールの首席という事になっているみたいです。以後、お見知り置きを」


 何処からか強い風が吹きつけ、ワイシャツがヒラヒラと靡く。露出する肌。

 しかし、彼女は一切動じない。威風堂々とした佇まいは、その幼い容姿に反して貫禄溢れていた。

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