二十三話

 セシルが帰った後も、やはり中々寝付けず、随分と夜更かしをしてしまった。そして朝、やっと入眠出来たかと思いきや、リズによって直ちに叩き起こされた。


 リズお手製の朝食を食べた僕は、彼女の案内で、ヒールの学校やその周辺を回った。


 元々は栄えていた学校だ。それなりに設備は充実していて、見所はあった。人間の男を食べる様子を、実際に見せてくれると言っていたが、流石にそれは断った。


 午後からは、海を眺めながら浜辺を歩いた。箒に乗り、空から島全体を回った。リズは隣で、楽しそうにはしゃいでいた。

 しかし、そんな姿を見れば見るほど、何故かやるせない気持ちになった。今日見た景色は、どれも美しい筈なのに、今の僕にはモノクロに映った。


 リズは何かにつけて、僕を困らせるような冗談を言った。しかし僕は、気の利いた反応をする事が出来なかった。

 彼女の過去を知り、どんな顔で話せば良いのか分からなくなっていた。


 彼女を救う方法は、あるのだろうか。僕に、何かできる事はあるのだろうか。そんな事ばかりが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。


 そして遂に、僕はその方法を考えついた。




 太陽が西へ傾き、空が茜色に染まり始めた頃。僕達は、二人並んで帰路についていた。


「ねぇ、シオン。今日一日、何だか元気無かったみたいだけど。何かあった?」


 僕の顔を横から覗き込むように、目線を低くしている。


「……別に」


「ふーん。まぁ、望んでもいない場所に連れて来られて、元気一杯の方がおかしいか。でも、そろそろ観念しなよ。君を帰すつもりは毛頭無いからさ」


 拳を握りしめる。切り出すなら、今だ。向き合うんだ。リズという、一人の魔女……いや、女性と。


「ねぇ、リズ。どうして君は、人間の男である僕に固執するの?」


「んー、君といると面白いから、かな。魔女の姿をした人間ってだけで、笑えてくるし」


 ケラケラと高笑いするリズ。僕は表情を変える事なく、質問を続ける。


「……他には?」


「えっ、他に? うーん、あの不思議な声が、気になるからかな。魔女でも無い君が、どうしてあんな力を持っているのか」


 一昨日の話か。それは確かに、僕も気になるけれど、今欲しいのは、そんな回答じゃない。


「質問を、変えるね。もし、僕がフローラの事を恋愛的に好きだといったら、君はどう思う?」


「……は?」


 リズの表情から、笑顔が消失した。


「食べられたいとか、そんなのは抜きにしてさ。純粋に彼女の事を愛しているって言ったら……。それでも君は、僕の思いを『虚妄』って言うの?」


「……意味、わかんないんだけど。どうして急に、そんな事を言い出すの?」


 徐々に声が低くなる。確実に怒っている。当然だ。この話題は、リズにとって気持ちの良いものではない。


 それでも僕は、彼女の心に踏み込んで行く。


「リズ、君も本当は信じたいんだよね。魔女と人間の男は、互いに寄り添い合えるって。過去に君が、そう願ったように――」


 話の途中で、首を鷲掴みにされた。爪を立てられる。


「……ねぇ、おかしいなぁ。何でシオンが、知ったような口を利くの? 僕の何を知っているのさ?」


 ぎりぎりと、手に力を込められる。痛い。呼吸が苦しい。それでも僕は、リズとの会話を続ける。


「……昨晩、セシルが僕の部屋に来た」


「姐さんが、僕の過去について話したの?」


 ゆっくり頷く。リズは刺々しい視線で僕を睨みつけている。夕日が差し込み、表情に影が入る。


「だから何? 情けでもかけているつもり? もう百年以上も前の話だし、別に何とも思ってないから」


「それは嘘だ。何とも思っていないなら、僕に固執する事はないし、フローラとの関係を否定することだって無いはずだよ」


 リズの手が、一瞬緩む。やっぱりそうだ。今日一日中思考を巡らせ、辿り着いた仮説を彼女にぶつける。彼女の瞳を見つめながら。


「リズ。君は人間を怖がらせたいんじゃない。きっと君自身が、人の感情に恐怖を抱いている。だから人間を怖がらせて、その感情を殺そうとしている。違うのか?」


 瞳が大きく見開いた。差し込む夕日によって、少しオレンジがかった瞳。綺麗だと思った。


「ぼ、僕が、人間を怖がっている……?」


 声が震えている。リズは、明らかに動揺し始めていた。


「でも、昔は違ったんでしょ? 一人の人間を愛して、愛して、盲目になってしまうほどに愛した。その愛に裏切られるまでは、君は優しくて愛に溢れる魔女だった」


 首を絞める手が、少しずつ解けていく。呼吸が、楽になっていく。


「僕はそんな君を否定しない。肯定する為に、人間の僕が、魔女であるフローラへの想いを貫く。だから――」


 リズの冷たい手を取り、優しく包み込む。僕の体温で、温めるように。


「君が君の過去を……君自身を否定しちゃダメだ!」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、彼女の瞳が潤んだような気がした。すぐに目を逸らされたから、定かではないけれど。


「なんで……君に、そんな事が言えるんだい? 『骸の魔女』が来るかどうかも、分かんないのに。君だって、彼女に裏切られるかもしれないのにさ」


 リズは目を伏せ、弱々しく呟く。不安そうな表情だ。こんな彼女の姿、今まで見たことがなかった。


「僕は……フローラを、信じているから」


 安心させるように、そっと呟いた。


 その時だった。慌ただしい足音と共に、誰かがこちらへ駆け寄ってきた。


「リズ、大変だ!」


 ヒールの魔女だ。肩で息をしながら、鬼気迫る表情で話す。


「『骸の魔女』が、この島にやって来た!」


「えっ……!?」


 リズは目を見開いて驚く。僕も驚いていた。信じているとは言ったが、まさかこんなに早く来てくれるとは、思っていなかったから。


「そんな……あり得ない。本当に、こんな遠くまで来るなんて!」


「本当なんだ! 今もゆっくりと、こちらへ向かっている。もう既に、仲間が何人かやられた!」


 遠くから、甲高い悲鳴が聞こえる。かなり近くまで来ているようだ。

 リズは下を俯き、何かを考え込んでいる。


「どうする? ボスはいないし、姐さんは戦えない。勝ち目なんて――」


「……僕が戦うよ。行こう、シオン」


 真剣な顔で、唇をギュッと噛み締める。そして僕の手を取り、ゆっくりと歩き始めた。



 夕日に赤く染まる道を、リズに手を引かれて歩く。心なしか、彼女の呼吸が早まっているように感じた。


「リズ……」


 セシルの話を聞いた限り、恐らくリズはフローラに勝てない。そしてリズの緊迫した表情を見るに、恐らく彼女もそれを分かっている。

 現に、僕がこの世界に来た初日の事。リズとフローラが対峙した際、彼女は真っ先に逃亡していた。


 でも、今は違う。分かった上で、フローラに挑もうとしている。


「負けるもんか。『骸の魔女』なんかに」


 悔しそうな表情で、そっと呟いた。


 


 やがて、小さな建物が多く並ぶ場所に辿り着く。辺りは氷土に覆われており、所々、地面から氷柱が生えていた。ひんやりと冷たい空気が、頬を撫でる。


 そして遂に、フローラを見つけた。周りには、恐らく彼女に挑んで返り討ちにあったであろう、ヒールの魔女達がいた。――氷像のように、青白く凍結した姿で。


 フローラもこちらに気づいたようだ。氷のような視線で、こちらを見つめている。一日会わなかっただけなのに、物凄く久しぶりな気がした。


「良かった。探す手間が省けた。その子、私の弟子なんだけど。返してくれない?」


 無表情のまま、穏やかな口調で話す。一方、リズは無理矢理笑顔を作っているようだ。


「嫌だね。シオンは渡さないよ。ヒールの魔女になるんだから」


「そう。じゃあもう頼まない。……力ずくで、取り返すから」


 冷たく言い放つと、ゆっくりとした足取りで近寄り始めた。


 フローラの放つ、冷ややかな雰囲気を前に、リズの手足は小刻みに震えていた。

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