狂乱の魔女

二十一話

 流石におかしい。今、校舎内を歩いているのだが、すれ違う魔女の数が少なすぎる。十人と少しくらいだろうか。エンターテイメントの足元にも及んでいない。


「ねぇ、リズ。ヒールの魔女って、こんなに少ないの?」


「うん……悲しい事に、少なくなっちゃったんだよ。元々は、うちの人数が一番多かったのにさ」


 リズは振り返らずに答える。顔は見えないが、その声色から、どこか悲しそうな雰囲気が滲み出ていた。


 一体、ヒールに何が起こっているのか……。そんな雲をつかむような疑問を抱きつつ、黙って彼女の後を歩いた。





 三階フロア、一番手前の部屋。リズはその手前で立ち止まり、扉をコンコンとノックする。


「……姐さん、リズだよ。入るね」


 部屋の中からの返事は無い。リズも返事を待つ事なく、扉を開けた。中からふわりと甘い香りが漂う。


 部屋の中は、派手なピンクとダークな黒で統一されていた。ベッドも、ソファーも、壁紙も、カーペットも……。


 そして壁際にドレッサーテーブルが置いてあり、メイク道具や髪飾りのような物で溢れていた。あまりにも女性らしい部屋で、少しだけ入るのを躊躇う。


 リズはズカズカと奥まで入り込み、少し膨らんだベッドに向けて声をかける。


「姐さん、具合はどう? 起きれる?」


「……ん。あぁ、リズ。いらっしゃい」


 眠たそうな声が聞こえた。もぞもぞと、誰かがベッドで寝返りをうつ。


「あのさ、紹介したい人が居るんだけど……」


「んー? 紹介?」


「ほら、シオン。早く入りなよ」


 リズは、未だに部屋の入り口で立ち止まっていた僕を急かした。そろりそろりと、リズの隣へ歩み寄る。ベッドに横たわる女性と、目が合った。


「って、ええ!? お客さん!?」


 ガバッと起き上がり、大きな瞳で僕を見つめる。褐色の肌に、肩の下まで下ろした金色の髪。寝起きだからか、かなり乱れている。


「ちょっとリズ、早く言ってよ! やっばー髪ボサボサ! ノーメイクだし、マジ無理なんですけど……。君、ごめんけど、ちょっとだけ待ってて!」


 そう言い放つと、飛ぶようにドレッサーテーブルへ向かい、腰掛ける。リズも彼女の後を追い、櫛を手に取った。


「髪の毛のセット、手伝ってあげるね」


「マジ!? めっちゃ助かる! ありがとー、リズ!」


「任せてよ。姐さんの髪、長くて整え甲斐があるからさ」


「リズも髪、伸ばしなよー? 絶対似合うと思うし」


「んー、長いと鬱陶しく感じちゃうんだよね。やっぱり今の長さが、丁度良いかな」


「そっかー、残念。まぁリズは可愛いから、どんな髪型でも似合うよね!」


「もー、やめてよ姐さん!」


 キャッキャと騒ぐ二人。どうやら、女の子達のおめかしタイムが始まったようだ。

 すっかり居場所を失った僕は、黙って部屋の外へ出た。




 ……それから数十分後。再び部屋の扉が開き、リズが顔を出した。


「お待たせ。入っていいよ」


 僕の手を取り、部屋の中へと招き入れる。先程寝起きの状態だった女性が、リズと同じ制服を着て、ソファーに腰掛けていた。


「さっきはごめんねー! あたしはヒール所属、『狂乱の魔女』セシルって言うから。よろー!」


 明るい声で挨拶をした後、片目を軽く瞑った。健康的に焼けた頬に、薄紅色のチークが映える。元々大きかった瞳は、アイメイクによって一層目立つようになっていた。


 そして長い金髪は後ろで纏められ、ピンク色の髪飾りで彩られていた。光を反射し、艶やかな輝きを放っている。


「……詩音です。よろしくお願いします」


「あぁ、あたし相手に、かしこまらなくて良いからね! リラックスリラックス!」


 謙遜するように、両手を横に振っている。カラフルで長いつけ爪のせいか、手が大きく見えた。


 つけ爪だけで無く、イヤリングにネックレス、ブレスレットなど、沢山の装飾品で着飾っている。それらは香水の甘い香りと共に、彼女の女性らしさを演出していた。


 明るくサバサバしていて、何処となく親しみやすい雰囲気だ。それゆえに、『狂乱の魔女』という物騒な二つ名が、独りで歩き出しそうな程に不似合いだと思った。


「……で、リズから聞いたんだけどさー。シオンちゃん、ヒールの魔女になってくれるんだって?」


 瞳を輝かせながら、手を握り込んできた。僕の白い手が、彼女のよく焼けた手によって包まれる。さながらオセロのように、僕の手も褐色に染まってしまいそうだ。


 隣では、リズが大きく頷いている。くそっ、こいつは……。どうやら僕がいない間に、勝手に話を進めたようだ。早く訂正しないと。


「違うよ。実はリズに、無理矢理連れて来られただけだから。ヒールの魔女になるつもりも無いし……」


「えっ、そうなの!? うちに入りたくて来た訳じゃないんだ……」


 悲しそうに呟きながら、握っていた手を離す。僕はリズを指差しながら、セシルに訴えかける。


「こんな無理矢理な勧誘、許されるの?」


「んー、別に問題は無いかなー? 魔女の社会に、法律なんて無いからさー。引き抜き、誘拐、洗脳……何でもありだよ」


 セシルはスラリと伸びる長い足を組む。短いスカートの中身が見えそうになり、すぐに目線を逸らす。


「うちを見てみなよ。みーんなベビーフェイスに取られちゃって、もぬけの殻だからさー」


「えっ? じゃあ、ヒールの人数が少ないのは……皆んな、ベビーフェイスの魔女になっちゃったって事?」


 僕の問いに、セシルは小さく頷く。ここに来た時から感じていた、掴み所のない疑問。その答えは、思ったよりも闇が深そうだ。


「ベビーフェイスの首席、『色彩の魔女』レティシア。あの子は他人の色彩を自由に変化させる事で、力を封じたり、洗脳して操る事だって出来るの」


「色彩を、変化させる……?」


「そーそー。最初はイメージ湧かないと思うけどねー。……ほら、私の姿を見て、何か気づく事ない?」


「別に何も……ん?」


 よく見ると、セシルの身体は影が差し込むように、少しずつ黒に染まっていた。言われなければ気づかないほど、微細な変化だ。


「レティシアは、ヒールを滅ぼそうとしている。それどころじゃない。きっとあの子は、いつか魔女と人間全てを支配し、この世界の頂点に君臨しようとしているんだ」


 眉間に皺が寄っている。目を伏せたまま、真剣な表情で話を続ける。


「そんな彼女と戦って、あたしは色を奪われた。まぁ、洗脳されなかっただけ、マシだと思うけどね」


「それで、魔法を使う事が出来なくなったの?」


「うん……何だったら、見せてあげるよ。あたしが魔法を使おうとすると、どうなるのか」


 困ったような笑顔で、指を構える。それを見たリズは、咄嗟に彼女を止めようとした。


「……!? 姐さん、ダメだよ!」


 しかし、リズの忠告を聞かず、セシルは指をパチンと鳴らした。その瞬間、彼女の身体は、指先から黒く染まり始めた。


「くっ……うぅ……」


 苦しそうな声を上げながら、胸を押さえる。その間にも、セシルの身体は黒に侵食されていく。褐色の肌も、艶やかな金髪も、大きな瞳も、派手な装飾品も……。


 あっという間に、全身が影そのもののような漆黒に染まってしまった。何とも異形で、不気味な姿。しかしその苦しみ方を見れば、明らかに彼女の意図に反した変化だと分かる。


「はぁ、はぁ……ど、どう? 可愛くない姿だよね? これが、『色を奪われる』って事だよ」


 ガクッと膝をつく。リズは慌てて、彼女に肩を貸す。


「どうして、無茶をしたのさ!?」


「『百聞は一見にしかず』でしょ? 実際に見せた方が、心に響くかなって思って。……あぁ、大丈夫。少し時間が経てば、元に戻るから、さ」


 ははは……と、か細い笑い声を上げる。しかし彼女を包む漆黒は、その表情すらも隠していた。


「シオンちゃん。これが、今のヒールだよ。少しでも、興味を持ってくれたら、嬉しい……な」

 


 弱々しく呟いたのを最後に、セシルは動かなくなってしまった。沈黙が、室内を支配する。リズは無言のまま、悔しそうに拳を握りしめていた。

 

 彼女を再び寝かせた後、僕たちは学校を後にした。




 その夜。ベッドへ横になったものの、なかなか寝付けない。セシルの話、そしてあの弱々しい声が、脳裏をぐるぐると回っている。


――これが、今のヒールだよ――


 ヒールとベビーフェイスの関係は、想像を絶する程に険悪らしい。そして魔女の国には、四つの学校がある。もしヒールが滅んでしまったら、次の標的は何処になるのだろうか?


 ……トリートメント? それとも、僕達エンターテイメント?


 背筋を這うような恐怖心に駆られる。こんなの、まるで戦争じゃないか。人間だけでなく、魔女同士でも争いを続けているのか。


 やめて欲しい。争うなら、他所で争って欲しい。せめて僕を巻き込まないで欲しい。


 ……僕とフローラの関係を、邪魔しないで欲しい。



 ゴソゴソと寝返りをうち続ける、落ち着かない夜。そんな中、突然窓を叩くような音が響いた。


 不審に思いながらも、恐る恐る窓に近寄り、ゆっくりと開けた。しかし、外には誰も――。


「わっ!」


 窓のすぐ横、死角に当たる部分から、突然何者かが姿を現した。僕は驚きのあまり、思わず床に尻餅をつく。


「あはは! ちょーウケる! シオンちゃん、びっくりしすぎなんですけど!」


 深夜とは思えないテンションで来訪したのは、『狂乱の魔女』セシルだった。

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