二十話
暑さと寝苦しさを感じ、目を覚ます。視界に入る天井は、いつもの暖かい木造では無く、冷たい石造りだった。
全身が汗だくだ。夜はそこまで気にならなかったのに、どうして今、こんなにも暑いのか。ベタつく身体に苛立ちを覚えつつ、ベッドから身体を起こした。
部屋を出て、灰色の階段を降りる。一階から、何やらいい香りが漂ってくる事に気づいた。
リビングのような、少し広い部屋。真ん中に置かれたテーブルに、食事を並べるリズの姿があった。
「おはよー、シオン。よく寝れた?」
「……暑くて、最悪だった」
そう。僕は今、リズの家にいる。
「こっち、座って食べなよ」
食卓には、焼きたてのパンや水々しいサラダ、卵料理のようなおかずが置いてあった。
「……これ、リズが作ったの?」
「そうだよ。自分で言うのも何だけど、僕、料理には自信があるからね。……あっ、別に毒とかエッチな薬とか、そんなのは一切入ってないからさ。安心して食べなよ」
ニヤリと白い歯を見せる。彼女が言うと、全く冗談に聞こえない。僕は一瞬だけ躊躇ったが、空腹には抗えず、食卓に着いた。
両手を合わせた後、フォークを手に取り、卵料理をのようなおかずに手を伸ばす。見た目はオムレツのようで、中には細かく刻んだ野菜が入っているようだ。
まずは一口、ゆっくりと口へ運ぶ。ふわふわとした食感。咀嚼する前に、卵が口の中でとろけていく。遅れて野菜の旨みが顔を覗かせ、僕の舌を喜ばせた。
「美味しい?」
感想を求めるように、横から僕の顔をまじまじと見つめてくる。
「……うん、美味しい」
「やったー! シオンの胃袋、掴んじゃった!」
リズはわざとらしく高い声で笑うと、僕の正面に向かい、食事を開始した。
意外だった。ボーイッシュで活発なイメージの彼女が、こんな繊細で家庭的な料理を作れるとは思わなかったから。
意外といえば、家の中の様子も、家具や小物が丁寧に整理整頓されており、そのどれもが小綺麗に保たれていた。きっと普段から、清潔を心がけているのだろう。
何というか、ギャップのような物を感じてしまう。僕は思わず、リズの顔をまじまじと見つめていた。
その視線に気づいたのか、彼女もこちらを見つめ返してくる。そして何か思う所がある様子で、怪訝そうな顔をして首を傾げた。
「……ねぇ、いつまでそんな暑苦しい服を着てんのさ。部屋に着替えが置いてあったでしょ? さっさと着替えなよ」
着替え……確かに、僕が寝た部屋には、リズと同じ服が掛けてあった。黒地に赤いラインが入った、やたら丈の短い服とスカート。絶対、僕には似合わないと思う。
「……ヒールの魔女になるなんて、言ってない」
彼女を睨みつける。彼女の思い通りになんて、されてたまるか。最後まで抵抗してやる。
リズは食器を置くと、僕の方へ腕を伸ばし、手で頬をなぞり始めた。
「いい加減諦めなよ、シオン。空を飛べない君は、この島から出られない。僕の言う事に従った方が、身のためだと思うんだけどな」
「……フローラが、きっと迎えに来てくれる」
この一言を言えば、きっとリズは怒るだろうと思った。案の定、彼女は手に力を込め、僕の頬をつねる。痛い。涙が滲みそうな程に。
「まだそんな夢を見ているの!? 来るわけないでしょ! 君みたいな一人の人間を取り戻す為に、わざわざこんな遠い場所までさ」
数秒間頬を痛めつけた後、引っ張るように手を離した。つねられた箇所を撫でる。赤く腫れているかもしれないと思った。
頬をさすりながら、リズを睨みつける。
「こんな誘拐みたいな事をして、許されるはずがない。代表者に合わせてよ。居るんでしょ? この学校の首席とか。会って話をつけたい」
「だめだめ。うちのボスには会えないよ。本物の神出鬼没だから。会いたいと思っている時に限って、現れてくれないからさ」
やや不満そうな顔をしながら、何か考え込んでいる。
「まぁでも、ヒールに入学するんだったら、誰かしら上の人に挨拶しなきゃだよね。うーん……」
「いや、だから入学しないってば」
反論するが、もはや僕の意見など、彼女の耳には入らないようだ。
「……よし、『姐さん』に会いに行こうか」
勝手に話を進められる。僕は黙ったまま、大口を開けてパンにかぶりついた。
家の外に出た瞬間、灼熱の日光に襲われる。物凄い強さの紫外線だ。暑いなんて物じゃない。立っているだけで大量の汗が出て、数秒で蒸発して塩が出来上がりそうだ。
リズ達ヒールの魔女が、健康的な日焼け肌をしている理由がよく分かった。
「だから言ったでしょ? その格好だと暑いよって。今からでも遅くないから、服を着替えて来なよ?」
暑そうに天を仰ぐ僕を見て、リズが煽るような口調で言った。
「……大丈夫。このままでいい」
「あっそ、まぁいいけど。じゃあ、行こうか」
面白く無さそうに言い放ち、リズは前を歩き出した。
閑散とした道を歩く。ポツリポツリと石造りの家が見えるが、不思議な事に人の気配は無い。魔女の一人や二人、すれ違うものと思っていたが。
しかし今は、そんな事を気にしている余裕は無い。頬を伝う汗を拭う。猛暑に体力を奪われ、自然と歩く速度が落ち始めた。
「シオンー、早く来なよー」
前をゆくリズに、急かされる。この過酷な環境に慣れているのか、その足取りは軽いまま、涼しい顔をしていた。
「……ねぇ、箒で、飛んで行けないの?」
息を切らしながら、すがるような思いで尋ねる。しかしリズは意地の悪い笑顔を向け、首を横に振った。
「甘えないでよ。君もヒールの魔女になるんだからさ。これくらいの暑さには慣れてくれないと」
「だから、ヒールには、ならな――」
「あー、何も聞こえないなー」
話を遮り、わざとらしく耳を塞ぎながら、僕の体たらくを煽るかのようにスキップを始めた。
「くそ……」
負けてたまるか。僕は歯を食い縛り、必死の思いで彼女の背中を追いかけた。
やがて、石で造られた三階建ての重厚な建物へと辿り着いた。その大きさは、エンターテイメントの校舎に引け劣らない。
「ご苦労様。よく着いて来れたね、偉い偉い」
リズは白い歯を見せて笑い、嘲笑うかのように僕の頭を撫でてきた。息を整えつつ、彼女の手を軽く払いのける。
「今から会う人……リズの言ってた『姐さん』って、誰?」
「んー、ボスの右腕のような人かな。面倒見がいい姉貴分なんだけど、ボスが余りにも怠け者だからさ。いつもそのフォローをさせられているんだ。全く、不憫なもんだよ」
ヒールは人を怖がらせる方法を学ぶ学校。そう聞いていたから、ここに居るのは変わり者の魔女ばかりだと思っていた。でも……。
「……立派な魔女なんだね」
リズの話を聞く限り、少なくとも今から会う魔女は、ある程度僕の話を聞いてくれそうだ。そう思うと、少し安心出来る。
「うーん。まぁでも、今は魔法を使えないんだよね……」
リズは困ったような表情で目を伏せる。
「魔法、使えないの? 魔女なのに?」
「うん。あの
「……色を、奪われる?」
首を傾げる。話の流れがさっぱり分からない。推測できる事は、ヒールとベビーフェイスは、仲が宜しく無いという事ぐらいだ。
「……まぁ、実際に会えば、きっと異変に気づくから。ひとまず行こう」
リズは建物内へと向かう。僕は先の見えない展開に一抹の不安を感じつつも、堅牢な雰囲気の校舎へと足を踏み入れた。
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