十九話

 また随分と、遠い場所まで来たものだ。リズと共に空を飛ぶ事、数時間。周囲の環境は、いつの間にか砂漠から海へと変わっていた。


「そういえばさ。君、名前なんて言うの?」


「……詩音」


「ふーん、可愛い名前だね。やっぱり食べちゃおうかなー?」


 戯けた声で言いながら、後ろを振り返ってきた。僕は返事をする代わりに、しがみ付く手にギュッと力を込める。


「いてて。もー、冗談なのに」


「……ねぇ、まだ着かないの?」


「そんなに慌てないでよ。もうすぐだからさ」


 半ば強制的に連れて来られた。とは言ったものの、少しだけ興味はあった。魔女が人を食べるとは、どういった事なのか。


 ――僕も近い未来、フローラに食べてもらいたいから。


「さぁ、見えてきた。あれが、僕達の学校『ヒール』が存在する島。魔女が、人間を怖がらせる方法を学ぶ場所だよ」


 リズが指差す先に、一つの小さな島が見える。オレンジ色の淡い光に照らされており、どこか怪しげな雰囲気を醸し出していた。



 上陸したのは、石造りの小さな建物が何軒も並ぶ場所。真夜中という事もあってか、他の魔女達の気配は無く、辺りは不気味に静まり返っていた。


「こっちだよ」


 リズによる案内の元、オレンジ色の明かりに照らされた道を行く。暫く進むと、地下へと続く階段が見えた。つかつかと、足音を響かせながら降りていく。



「助けてくれー!」


「食べられるのは嫌だー!」


 下の方から、何やら騒々しい叫び声が聞こえてきた。


「……なに、この声?」


「今に分かるから。さ、早く降りよう」


 リズはニヤリと笑う。褐色の肌に対し、白い歯が妙に生えていた。


 階段を全て降りた先には、まるで監獄のような空間が広がっていた。牢屋に閉じ込められた人間の男が、鉄格子を握りしめながら叫んでいる。


「出してくれー!」


「頼むよ! もう悪い事はしないから!」


 目を見開き、こちらに向かって必死に助けを求めていた。


「か、彼らは……誰?」


「帝国で大きな罪を犯した、どうしようもない人間達さ。実に醜い有様だろう? 今まで他人の命を奪ったり、散々悪事を働いたってのにさ」


「そんな……なぜ帝国の犯罪者達が、ここに捕えられているの?」


 僕たちが会話している今も、男達の叫び声は響き続ける。両手で塞ぎたくなるほどに、耳が痛い。


「僕たちヒールの魔女は、帝国相手に協定を一つ結んでいてね。まぁ簡単に言うと、帝国の人間をむやみやたら食べるのを辞める代わりに、罪人達を譲り受けるって内容さ」


「どうして、そんな協定が結ばれたの?」


「うーん、ずいぶん昔の話になるけど。僕たちヒールの魔女が、余りにも人を無作為に食べるもんだからさ。帝国側が怒って、戦争をふっかけてきたんだ。で、その争いを終わらせる為に、うちの首席が協定を持ちかけたって訳さ」


 なるほど。その協定によって、ヒールと帝国は適度な距離感を保っているのか。


 にしても、魔女と人間の戦争、か。魔女側が一方的に勝利しそうなものだが……。ヒール側から終戦協定を持ちかけたのは、何か理由があったのだろうか?


 そんな疑問が頭をよぎった。しかし質問する前に、リズが口を開く。


「『悪い事をしたら、魔女に食べられる』これが古くから、帝国に伝わる教えなんだって。だから人間にとって、僕達ヒールの魔女は恐怖の対象になってるのさ」


 話しながら、助けを求める男達に笑顔で手を振っている。男達の表情が、恐怖で歪んだ。


「まぁ、僕は人間を食べる事さえ出来れば、他はどうでも良いんだけどさ」


 僕の方に向き直ると、今度は首を傾げながら尋ねる。


「でも、一つ疑問なんだよね。シオン、君はどうして魔女を怖がらないの? この間も、そして今日も。幾度となく、僕に食べられかけているのにさ」


「……別に、怖くはないよ。食べられても良い、そう思っているから」


「えっ?」


 リズの瞳が、驚いたように大きく見開く。


「誰でも良いって訳じゃないよ。フローラだけ。彼女に食べてもらう為に、僕は今を生きているんだから」


「……何、言っちゃってんの? 食べてもらう為って、嘘だろ? それが何を意味するのか、本当に分かって言ってるの?」


 眉をひそめ、明らかに困惑した様子のリズ。先程までの戯けた笑顔は消え、怪訝そうな表情を浮かべている。


「分からない。確かに食べられるのは、痛いかもしれないし、苦しいかもしれない。でも、彼女に認めてもらえるのなら、彼女の笑顔が見られるのなら……」


 一呼吸置き、リズの瞳をまっすぐ見つめて言う。


「僕は、それで良いと思ってるから」


 そうだ。フローラだから、許せるんだ。僕に生きる意味を与えてくれた、歌う事の楽しさを思い出させてくれた、彼女だから……。


「そんな……あり得ない。『食べてもらいたい』だなんて……間違ってる! シオン、君は絶対に間違っているよ!」


 何故だか分からないが、リズが分かりやすく取り乱し始めた。話し声や身振りが、徐々に大きくなる。


「君の思いは、ただの憧れだ! 人間が魔女に対して『恋心』を抱くなんて、虚妄以外の何物でもない!」


「恋……じゃないと思うけど。僕はただ――」


「うるさい! だとしたら尚更、君の考えは歪んでいるんだよ! 言っただろ? 人間は魔女を怖がらなければいけない! ましてや、人間の方から魔女に寄り添うなんて……そんなのちゃんちゃら可笑しいよ!」


 地下にいる為か、彼女の話し声が反響し、耳を刺激する。先程まで騒いでいた罪人達も、いつの間にかおとなしく黙り込んでいる。


 リズは僕に近づくと、両手で胸ぐらを掴んできた。そのまま牢屋の鉄格子に押し付けられる。後ろで罪人達の驚く声が聞こえた。


「もし、『骸の魔女』が、その歪んだ妄想を抱かせる元凶だとしたら……。君はもう、エンターテイメントに居ないほうがいい」


 僕の瞳を真っ直ぐに見つめている。その眼は澄んでいて、いつに無く真剣だった。


 何故、彼女にスイッチが入ってしまったのか。その原因が全く分からない。当然だ。僕はリズという魔女の事を、何も知らない。

 


「誰が騒いでるのかと思ったら、リズじゃん! こんな夜中に、何やってんのさ?」


 どこからか、二人の魔女がやって来た。リズはバツが悪そうに、僕の胸ぐらから手を離す。そして大きく深呼吸をした。まるで昂った感情を、沈めるように……。

 

 話しかけてきた魔女達は、リズと同じ褐色の肌を持ち、同じような服を着ている。そしてそれぞれ、人間の男を一人ずつ連れていた。


「そういう君たちは、夜食かい?」


 リズは乱れた服の襟元を直しながら、魔女達に尋ねる。


「そー! ちょっと我慢できなくなってさー!」


 満遍の笑みで話す魔女。その後ろで、一人の男が真っ青な顔で騒ぎ始める。


「ま、待ってくれ! オレはまだ、昨日来たばかりなんだ! もっと前に来た奴も――」


 魔女は話を遮るように、騒ぎ立てる男の頬を引っ叩いた。


「うるさいなぁ! 順番なんてどうでも良いんだよ! 君たちに選ぶ権利は無いの! 分かった!?」


 そんなやり取りをする傍ら、もう一人の魔女が、僕の事を物珍しそうに眺めている。


「ねぇリズ。エンターテイメントの魔女が、どうしてここに居んの?」


「あぁ。……今日は、学校見学だよ」


 リズはニヤリと笑みを浮かべると、僕の方に手を置いた。


「この子はシオン。今日から、ヒールの魔女になるから。皆んな、仲良くしてあげてね!」


「えっ?」


 ……聞いていない。そんなつもりは毛頭ない。なんて思いを込めて、リズを睨む。しかし、彼女は戯けた笑顔を僕に向け、からかうように片目を瞑っていた。



―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――


 いつもありがとうございます。作者の小夏てねかです。


 おかげさまで、「魔女の君に食べられるまでの1ヶ月間」が500PVを達成致しました。ありがとうございます。


 感謝の思いを近況ノートへ綴っておりますので、ぜひそちらもご覧頂けたらと思います。


 今後ともよろしくお願い致します。


小夏てねか(7/16更新)

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