ヒール編

岩の魔女

十八話

 青白い月が世界を淡く照らす、怪しげな夜の空。僕とリズを乗せた箒は、風を切りながら空を飛ぶ。遠く、より遠くへと……。


 未だに手足は岩によって拘束されており、一切の抵抗を許してくれない。僕はただ、溶けそうな程に暗い夜空を見上げる事しか出来なかった。


「ねぇ、元気にしてた? あれからずっと探していたんだよ」


 不意にリズが話しかけてきた。僕は月を見つめたまま、質問を質問で返す。


「僕を……どこに連れて行くんだ?」


「決まってるじゃないか。だーれも来ない場所だよ」


 ふふっと楽しそうな笑い声が聞こえた。彼女は、僕が人間の男だという事を知っている。僕はこれから起こるであろう出来事を予想する。


 ……殺される。


 後悔した。一人で行動した事を。コラリーやハリエットと共に移動するべきだった。そうすれば、今頃はフローラの元へ到着していただろうに。


「……この辺にしようかな」


 そう呟くと、空飛ぶ箒の高度が下がり始めた。やがてゴツゴツとした岩の上に着地する。


「ここは……」


 辺りを見渡す。暗くてはっきりと見えないが、サラサラとした砂の山が、遠くまで連なっているのは分かる。どうやら僕たちは今、砂漠のような地帯にいるらしい。


 不意に、リズに身体を押される。両手両足の自由が効かない僕は、情けないくらい簡単に倒れてしまう。その上から、リズが馬乗りになった。


 黒地に赤いラインが入った、丈の短い服。ただでさえ目のやり場に困るのに、下から見上げると、日焼け跡の白い肌が視界に入ってしまう。僕は思わず目を逸らした。


 しかし彼女は容赦なく、僕のジャケットに手をかける。そして慣れた手つきで、前を大きく開けた。

 フローラの魔法によって白骨化した、僕の体幹があらわになる。その身体をまじまじと眺め、リズは首を傾げた。


「君さぁ、その格好、何? 魔女の真似事でもしているつもり?」


「……君には、関係ないから」


「ふーん、まぁ、『骸の魔女』の趣味なんだろうけど。でも残念だったね。たとえ姿形が変わっても、僕は誤魔化せないから」


 今度はスカートのカギホックに手をかけた。これ以上は、まずい。そう思った僕は、彼女の手を止める為に質問を投げかける。


「……どうして、僕だって分かったの?」


「そんなの、決まってるじゃないか」


 リズは手を止め、ゆっくりと僕の隣に寝転ぶ。そして僕の首筋に顔を近づけ、初めて出会ったあの時のように、臭いを嗅ぎ始めた。

 彼女の吐息が当たり、ぞわりとした感覚に襲われる。


「あの時も、これくらい近距離で君を感じたんだからさ。間違えるはずが無いよ」


 僕の首筋をなぞる様に、彼女の舌がゆっくりと這う。ざらざらとした感触。悪寒が走り、鳥肌が立った。


「も、もう気が済んだでしょ? フローラが心配しているだろうから、その、僕を帰してよ」


「……はぁ? 何言ってんの?」


 突然、不機嫌そうな声色に変わった。


「君さぁ、こんな状況で、他の魔女の名前を出さないでよね。気持ちが冷めちゃうじゃないか」


 リズは僕の髪の毛を鷲掴みにすると、僕の顔を、自身の腹部に押し当てるように引き寄せた。丈の短い服のせいで、僕の鼻は直接臍のくぼみに吸い込まれる。

 

 視界が彼女の褐色肌で溢れる。そして爽やかな柑橘系のような香りが脳を刺激した。僕の中の何かが、少しずつ壊されていく。


「ほら、どう? 人間の男は、こういうのが好きなんでしょ?」


 僕は必死に抵抗した。彼女の臍から、顔を離そうとした。しかし魔女特有の力強さを前に、手足を封じられた僕の抵抗など、まるで力士に挑む子供のようだった。


 やがて、頭がぼーっとしてきた。クラクラする。自分が自分で無くなってしまいそうな感覚。駄目だと分かっていても、彼女に屈してしまいそうになる。それくらい、リズという魔女の持つ雰囲気は危険だ。


「ふふっ、いい子いい子。すっかり僕の虜だね。じゃあ、そろそろ君のこと、食べちゃおうかな」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべると、リズは舌舐めずりをしながら、自身の唇を僕に近づけてきた。


「……やめろよ」


 溶けそうな思考を、必死に働かせる。負けるものか。屈するものか。


「いい加減にしろよ」


 僕の脳裏にはただ一つ、フローラが一瞬だけ見せた笑顔があった。

 そうだ。フローラに食べてもらうんだ。こんな所で死ぬわけにはいかない。


 抗うんだ!


「うるさいなぁ、立場分かってる? そんな口の利き方――」


「やめろって言ってるだろ!!」


 大きな声が出た。いつの間にか、前髪に留めてあるブルースターの花が、青色に強く輝いている。


 リズの表情が固まる。瞳を見開き、口をぽかんと開けたまま、僕の事を見つめている。


「えっ……? 何、その力……? 君、本当に人間だよね? 信じられないんだけど」


 少しずつ間合いを取るように、僕との距離を空ける。何かに憑かれたように、暫くその場に立ち尽くしていた。

 やがて、我に返ったように大きなため息を吐く。


「……あーあ、何だか気持ちが冷めちゃった。今日の所は、これで勘弁してあげるよ。また気が向いたら、食べてあげるから」


 不満そうに呟き、パチンと指を鳴らす。すると、僕の両手両足を固定していた岩が消え、自由に動かせるようになった。


 ゆっくりと立ち上がり、はだけた服を整える。よく分からないけれど、どうやら助かったみたいだ。


「……早く、僕を元の場所へ帰してよ」


「んー、どうしよっかなー……」


 リズはわざとらしく口笛を吹いている。まるで僕のことを煽るように。

 ……本当に、僕をどうするつもりなんだ?


 しかし、戯けていた彼女の雰囲気が、突然変わる。何かに気づいたように、険しい顔で夜空を注視し始めた。


「リズ……?」


「しーっ! 静かにして!」


 小声で囁くと、僕の手を引っ張り、二人して岩陰に身を潜めるようにしゃがみ込んだ。


 彼女が睨む視線の先には、白い明かりが見える。何かが空を飛んでいるようだ。距離が近づくと共に、その姿があらわになった。


 魔女が五人、箒に跨っている。その後ろを、大きな檻のような箱が飛んでいた。魔女達は皆、白地に青いラインが入った服を着用し、大きなマントを羽織っている。

 

 そして檻の中には……人間の男が数人、捕えられていた。閉じ込められている筈なのに、妙に落ち着いている。まるで何かに憑かれたように、ただ一点を見つめていた。


 そんな男達に向けて、魔女達が一方的に語りかける。


「大丈夫、安心してください! 魔女に食べられる事は、痛い事でも、苦しい事でもありません。この世の全てのしがらみから解放される、その神聖な儀式なのです!」


「ええ、あなた達は、本当に幸せ者です! 私達魔女の一部となる事で、その魂が救われるのですから!」


「さぁ、共に参りましょう! 私達の学校へ! 歩みましょう、気高き魔女の道を!」


 洗脳するかのような怪しい語り口で、次々と言葉を投げかけていた。


「あれは……?」


「『ベビーフェイス』。偽善者集団の学校だよ。奴らに見つかったら、色々と面倒くさいんだ」


 気づかれないよう声を潜め、囁くように話を続ける。


「何が『救われる』だ。ちゃんちゃらおかしいよ。魔女が人を食べるのに、理由なんて要らない。君もそう思うだろう?」


 舌打ちをしながら問いかけてきた。しかし僕には、彼女の思いを理解する事が出来なかった。


「分からない。結局、君たちもさっきの魔女達も、人を食べる事に変わりはないんでしょ? だったら、同じだと思う」


「……はぁ。君、ぜんっぜん分かってないね」


 わざとらしく、大きなため息を吐く。そしてベビーフェイスの魔女達が遠ざかったのを確認した後、ゆっくりと立ち上がった。


「良いだろう、着いてきな。君に見せてあげるよ。この世界の人間が思い描く、魔女の姿。本物の悪役ヒールが、どういう物かをね!」


 リズはニヤリと笑う。その不敵な笑顔を前に、僕は思わず生唾を飲み込んだ。





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