十四話
孤児院というのは、想像していたよりも小ぢんまりとした建物だった。隣接された庭から、子供たちの明るい声が聞こえてくる。
「到着しましたが……本当に、良かったのですか? あなた達にも、ステージの準備とかあるでしょうに」
「別に、大した準備なんて無いわよ。それに、今日の主役はシオンだから。主役がここに来たいって言ったんだから、そこは応じてあげるべきでしょ?」
「なるほど……新人さんを主役に抜擢とは。流石はエンターテイメント。サプライズが素晴らしいですね」
キャロリンとコラリーが会話する中、ソフィーが眼を輝かせながら声をかけてきた。
「ねぇねぇ! シオンはどんな魔法を使えるの? あのフローラさんの弟子なら、やっぱり幻想魔法?」
「いや……。僕は、その……」
しまった。こんな聞かれて当然な質問の答えを、準備していなかった。しどろもどろしながら、コラリーをチラリと見る。
コラリーは小さくため息を吐いた後、助け舟を出してくれた。
「……シオンは、『歌の魔女』よ」
「「歌の魔女?」」
キャロリンとソフィーの声が重なる。僕も思わず声を上げそうになった。そんな二つ名、初めて聞いたから。
「そう。この子の歌声には、とんでもない力があるの。今日のステージで披露するから、楽しみにしてなさい」
「そーなんだ! ねぇ、今ちょっとだけ歌ってみせてよ!」
「う、うん。良い――」
「ダメに決まってるじゃない!」
僕の言葉を遮るように、コラリーが断った。トリートメントの二人は、驚いたように眼を見開く。
「シオンは、魔力の量がとても少ないの。貴重な魔力を、こんな所で使えないわ」
「えぇー、残念……」
「それは仕方ないですね。ステージまで待ちましょう」
落胆するソフィーと、それを宥めるキャロリン。二人に聞こえないように、コラリーはそっと耳打ちで話す。
「アンタも安請け合いするんじゃないわよ。ボロが出たらどーすんのよ、バカ!」
「ご、ごめん……」
彼女の言う通りだ。僕は魔女の仮面を被った人間の男。少なくともお祭りの間は、バレてはいけない事実だ。
厳しくも気にかけてくれるコラリーの事を、まるでマネージャーみたいだと思ってしまった。
孤児院の庭に入るや否や、十人くらいの子供達が、はしゃぎながらこちらに駆け寄って来た。年齢は、幼稚園児から小学校低学年くらい、といった所か。
遅れて大人の女性が一人、ゆっくりとこちらへ来る。恐らくここの先生だろう。
「今年もお越し頂き、ありがとうございます。子供達も楽しみにしておりました」
「いえいえ。皆さんお元気そうで、何よりです。今日はよろしくお願いします」
キャロリンは落ち着いた佇まいで、軽く会釈する。先生はこちらを向き、少しだけ首を傾げた。
「……エンターテイメントの、魔女さん?」
「はい。ここに来る道中に出会いまして。一緒に来てもらいました。……大丈夫ですか?」
キャロリンの紹介を受け、軽く会釈をする。先生は両手を合わせ、笑顔で応じてくれた。
「もちろんです! 子供達もきっと喜びます。……さぁ、皆んな! 今日は魔女さん達に、いっぱい遊んでもらいましょう!」
「わーい! よろしくお願いしまーす!」
元気よく返事をする子供達。皆、戦争で両親を失っている。僕と同じように……。
しかし子供達は皆、瞳がキラキラと輝いている。絶望に目を曇らせた子供は一人もいない。どうして?
向けられた笑顔があまりにも眩しくて、思わず目を逸らす。
「よーし! お姉さんとお絵描きしたい人、この指とーまれ!」
「はーい!」
ソフィーが立てた人差し指に、二人の子供が触れた。そのまま、三人は孤児院の建物内へと向かう。
「キャロリンおねーちゃん! お菓子が食べたーい!」
「分かりました。では皆さんで、美味しいケーキを作りましょう」
「やったー!!」
キャロリンも、四人の子供達を連れて、建物内へと向かった。
「……お姉さんは、どんな魔法を使えるの?」
コラリーの周りに、三人の子供達が集まる。
「良いわ、特別に見せてあげる!」
コラリーは指をパチンと鳴らす。すると、目の前に虹色の鍵盤が姿を現した。慣れた手つきで、軽快に演奏を披露する。
「すごーい! 綺麗な音!」
「僕も演奏したーい」
「ふふっ、仕方ないわね。お姉さんが教えてあげるから、着いて来なさい!」
「はーい! よろしくお願いしまーす!」
得意げに歩き出すコラリーに、三人の子供達は着いて行った。
残されたのは、僕と、一人の男の子。子供達の中で、一番背が高く、恐らく一番年上だと思われる。ふわりと艶のある金髪に、青い瞳。いわゆる美少年だ。
どうしようか考えていると、男の方から口を開いた。
「魔女のお姉さん。少しだけ、僕とお話ししてくれませんか?」
柔らかい笑顔。しかしその声は少し掠れていて、今にも消えてしまいそうな程に弱々しかった。
「う、うん」
男の子は、庭に設置してあるベンチを指差す。二人でそこへ向かい、隣り合うように腰掛けた。
「ありがとうございます。僕、お話が大好きなので。あっ、僕はニコラと言います」
「僕は詩音。よろしく、ニコラ」
「よろしくお願いします。シオンさん」
ペコリと、礼儀正しくお辞儀をする。妙に大人びていると思った。話し方も、立ち振る舞いも。子供達の中では、群を抜いて落ち着いている。
「あ、あのさ……。君たちは、魔女が怖くないの?」
この町に来てからずっと気になっていた疑問を、ニコラへ投げかけた。
「はい。エンターテイメントとトリートメントの魔女さんは、皆さん優しいですから」
空を見上げながら、ニコラは話を続ける。
「『黄色と緑は、仲良くしろ。赤と青には、気をつけろ』。これが、この国に伝わる教えです。昔、両親に言われた事があります。制服の色をよく見なさい、と」
なるほど。黄色はエンターテイメント、緑はトリートメントか。赤と青は……何だろう?
なんて考えていると、今度はニコラの方から質問してきた。
「シオンさんは、どんな魔法が得意なのですか?」
「ぼ、僕は『歌の魔女』なんだけど。魔力の量が少なくて、今ここで魔法を使う事が出来ないんだ。この後のステージで、歌を披露しないといけないから」
先程コラリーが言った台詞を、ほとんどそのまま伝える。
「そうなんですか。実は僕も、身体が著しく弱くて。少しでも疲労を感じると、すぐ発熱してしまうんです」
彼は困ったような表情で、笑っている。
「その体質は、生まれつきなの?」
「いえ。元々は、遊びも運動も大好きでした。こんな身体になったのは、戦争の影響です」
「戦争?」
……まただ。この単語を耳にしただけで、沸騰するように心拍数が上昇する。
「はい。三年前、六歳の時でしょうか。僕の家は、帝国軍の襲撃に巻き込まれました。家族は皆死んでしまい、唯一生き残った僕も、化学兵器の後遺症でこんな身体になってしまったのです」
彼は過酷で衝撃的な過去を、淡々と話す。しかしその瞳は、僕のように悲しみで澱んでいない。……どうして?
「君は、悲しくないの?」
「えっ?」
「家族を失って、後遺症まで残って。もう生きたくないとか、そう思った事は無いの?」
僕は……ダメだった。目の前で家族を失い、そのショックで声が出なくなって。その後の人生は、何もかもが真っ暗だった。
「そうですね……。無いと言えば、嘘になりますが。でも今は、こうやってお話しするだけでも楽しいので。両親の分まで、強く生きていこうと思っています」
えへへ、と苦笑いを浮かべていた。ニコラを初め、この町の人々は、皆悲しい思いをしている筈なのに。それでも彼らは、笑っている。前を向いて、強く生きている。
……僕なんかとは大違いだ。そう思うと、自分が恥ずかしくなってきた。
先程までの自分をぶん殴ってやりたい。ここに来れば、僕と同じ気持ちの子供達に出会えると思っていた、情けないほど愚かな自分を。
「シオンさんも、魔力の量が少ないんですよね? ……ふふっ。何だか僕達、似ていますね」
違う。似ているだなんて、やめて欲しい。全然違う。僕は君達のように強い人間じゃない。
僕は今日、この町の人々を楽しませるために、歌を披露しなければならない。しかし、彼らの前に立って歌う事すら、申し訳なく思えてきた。
僕みたいに後ろ向きな人間が、死にたいと願っている人間が、どんな顔で人前に立てば歌えばいいのだろうか? どんな声で歌えばいいのだろうか?
……いや、分かっている。そんな資格、きっと僕には無いんだ。そう思うと、ここに居る事すら嫌になってきた。
「……ごめん。少し用事を思い出しちゃって。失礼してもいいかな?」
「えっ? あ、はい。分かりました」
早足で、出口へと向かう。特に行き先は無いけれど、とにかく町の外へ出たかった。
「あの、シオンさん!」
ニコラが叫んでいる。か弱い身体で、それでも僕に声を届けるために。
「お話……聞いてくれて、ありがとうございました! 今日のステージ、楽しみにしてますから!」
叫び声の後、ゴホゴホと咳き込む音が聞こえた。僕は彼に背を向けたまま走り出した。
人々が行き交う町の中を、がむしゃらに走って、走って、走り続ける。すれ違う住人の笑顔が、存在が、眩しくて。避けるように走り続けて、そして……。
僕は、お祭りから逃げ出した。
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