十一話

 小鳥たちのざわめきが、徐々に収まる。森の中は時間が停止したように静まり返った。


 倒れたハリエットは、ピクリとも動かない。


「な、なななんだ。魔女も、し、死ぬんじゃないか。きょ、教官め、ううう嘘をつきやがって」


 引き金を引いた張本人は、信じられないという様子で目を見開く。真っ青な顔は、ガタガタと小刻みに震えている。


「……お、お姉ちゃん。あの魔女、殺しちゃったの?」


 蚊の鳴くような声で、後ろの男の子が漸く口を開いた。大粒の涙が、頬を伝っている。


「う、ううううるさい! し、仕方なかったんだ! お前を、た、食べられたく無かったから!」


 女性は無理矢理に笑顔を作ると、より一層震えが強まった手で、今度はこちらに銃口を向けた。


「つ、次はお前だ! お前も、こ、殺す!」


 僕は反射的に両手を上げた。これが正解なのかは、分からない。ただ相手を刺激しないように、安心させるように、敵意が無い事をアピールしたかった。


 しかし、女性は銃を下ろさない。彼女が人差し指に少し力を加えれば、僕の命は一瞬で終わる。まだ、死にたくはない。フローラに食べられるまでは。


 再び、静寂が訪れる。僕は女性から目を離せないし、彼女も僕を睨み続ける。そんな胃に穴が空きそうな時間は、永遠に思える程長く感じた。


 突然、指をパチンと鳴らす音によって、静寂が破られる。直後、銃口を塞ぐように、白い花がポンと咲いた。あれは……きっとポピーの花だ。


「はい、そこまで」


 僕の隣では、先程頭を撃ち抜かれたはずのハリエットが、いつの間にか立ち上がっていた。


「なっ……何だこれは!?」


 女性は慌てた様子で銃口を見つめる。そしてポピーの花を引き抜こうとするが、可愛らしく咲いた花は退いてくれないみたいだ。


「あはは……ごめんね。シオンちゃんを傷つけちゃったら、フローラちゃんに会わせる顔が無くなるから」


 ハリエットはこちらを向いた。額からは血液が大量に溢れ出ており、顔一面が真っ赤に染まっている。流れる血が頬を伝い、顎から地面へと滴り落ちていた。鉄のような匂いが鼻をつく。


 彼女は微笑んでいる。その笑顔を見て、僕は背中を這うような寒気に襲われた。これ以上無いくらい、鳥肌が立った。どうして? ハリエットは、優しい女性なのに……。


 簡単だ。彼女が魔女だから。魔女という存在の異質さ、そして不気味さを、再認識させられたからだ。


 ハリエットは女性達の方を向き、再びゆっくりと歩み寄る。血に染まった顔に笑顔を浮かべながら。一歩進むごとに、顎から血液が滴り落ち、地面に不気味な血痕を残す。


 女性は後退りしながら、握っていた銃を力無く地面に落とした。


「く、来るな……化け物め」


 腰を抜かしたように、地面に尻餅をつく。完全に戦意を喪失した顔で、震えながらハリエットを見上げている。

 男の子は、ただ涙を流して女性にしがみ付いていた。


 再びハリエットが指を鳴らすと、地面から白やピンクの花が、女性達を包むように咲き誇った。恐らくあれは、ヒナギクの花。


 優しい香りが、辺りを包む。血の匂いと花の香りが混ざり合い、異質な空間が造られる。そして花の開花に反応するように、女性や男の子の生傷が癒えていく。


「や……めろ」


 しかし、恐怖に支配された女性達は、自身の傷が癒えている事に気づいていないみたいだ。


 ハリエットはしゃがみ込み、女性と目線を合わせるように語りかける。


「頑張ったんだね。こんな若いのに、悲惨な戦争に駆り出されて。お姉さんとして、弟を守るために強く立ち振る舞って」


「ひっ……!」


 血に塗れた両手で、女性の頬を包み込む。ハリエットの血液が、べちゃりと付着する。女性はこれ以上無いくらい、怯えた表情をしていた。


「大丈夫だよ。私はあなた達の味方だから」


「い、いやぁぁぁ!!!」


 悲鳴を上げ、ハリエットの手を振り払う。そして男の子の手を取ると、声にならない叫び声を上げながら走り去って行った。


「あぁ、行っちゃった……」


 ハリエットは、振り払われた手を見つめながら寂しそうに呟く。そしてこちらを向き直った。


「シオンちゃん、どこも怪我してない?」


「う、うん。僕は大丈夫だけど……」


 ハリエットの額には、痛々しい傷が残っている。未だに出血は著しく、ポタポタと血液が滴り落ちていた。


「ハリエットは、痛くないの?」


「ううん、すごく痛い。身体も、心もね」


 少しだけ目を逸らした。笑顔のままだが、その表情はどこか儚げで、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

 返す言葉が見つからず、黙り込んでしまう。


「……顔、洗ってくるね」


 困ったような苦笑いを浮かべ、彼女は歩いて行ってしまった。


 一人取り残された僕は、ゆっくりとその場に座り込む。一気に力が抜けた。そのまま横になりたいくらいに、疲れがどっと押し寄せてくる。


 高々、数分程度の出来事だ。しかし、今見た光景は、そのどれもが脳裏に深く刻まれてしまった。

 震えながら銃を握る女性も、血に塗れて笑うハリエットも、女性の怯えた表情も……。


 深くため息をつく。改めて、僕は今までとは違う世界に居るのだと、再認識させられたみたいだ。



 

「シオンちゃん、こっち! こっち来て!」


 ぼーっと座り込んでいると、ハリエットに呼ばれた。彼女の顔は、撃たれた傷を含め、何事も無かったかのように元通りになっていた。


 軽快にスキップするハリエット。僕は言われるがまま、彼女の後ろを着いて歩く。


「……さっきの人達、どうなったかな?」


 背後から、彼女に質問を投げかける。


「どうだろう。治療は済んだから、身体は問題無いと思うけど。何事も無く、元気で無事に帰って欲しいな!」


 あっけらかんとした答えが返ってきた。僕はさらに質問を続ける。


「ハリエットは、憎いとか思わないの?」


「えっ?」


「頭を撃たれて、痛い思いをして、挙げ句の果てに化け物とか言われて……。あんなに酷い事をされたのに、どうして怒らないの? どうして、優しい言葉をかけれるの?」


 ハリエットは立ち止まり、うーんと考え込む。僕は息を呑みながら、彼女の返答を待った。

 

「花には、色んな種類があるでしょ? 毒を持つ花、棘がある花、そして花言葉が怖い花」


「うん……」


「でもね、そんな花達にも、良いところは必ずあるんだ。例えば見た目が美しかったり、お薬の材料になったり、良い香りがしたり……」


 ハリエットは、道の脇に咲く白い花を指さす。あれは、トリカブトの花。強い毒性を持っているが、その花には人を魅了する美しさがある。


「花がそうであるように、誰しも必ず、良い部分を持っているから。だから私は、なるべく皆の良い所を見ていたいんだ」


 ゆっくりと後ろを振り返り、曇り一つない笑顔をこちらに向けてきた。


「人間も魔女も、絶対的な悪なんて無いんだよ!」


 僕は、返す言葉が見つからなかった。それはハリエットの思考が、僕の心には無い物だったから。世間では『性善説』とでも表現するのだろうか。正直に、素晴らしいと思った。


 ハリエットは再び歩き始める。僕は無言のまま、彼女の後ろを着いて歩いた。

 


 暫く進むと、川の水が穏やかに流れる音が聞こえてきた。


「ほら、あそこ見てよ!」


 川の畔にある、大きな岩の影。人目から隠れるように、青色の花が幾つも集まって咲いていた。それは星のような形の花びらを持つ、可憐な花。


「……ブルースター?」


「そうだよ! 私が探していたお花。明後日シオンちゃんが披露する歌に、ぴったりの雰囲気でしょ?」


 ハリエットは軽い足取りで、花の側へと歩み寄る。


「まさか……僕のために、この花を探しに来たの?」


「うん。だって、シオンちゃんの晴れ舞台だもん! 私も精一杯お手伝いするから、良いステージにしようね!」


 えへへ、と笑いながら、ブルースターの花を一輪摘み取る。そして髪飾りのように、僕の前髪に刺してきた。


「改めて、エンターテイメントへようこそ!」


 目の前で、無垢な笑顔が咲き誇る。あまりにも眩しくて、嬉しくて、少しくすぐったくて……。


 やはり僕は、返す言葉が何も見当たらなかった。

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