十話
『シオン』と、確かに名前を呼ばれた。彼女とは初対面のはずなのに……。
「どうして、僕の名前を知っているの?」
「だって君、学校中の有名人だから。あのフローラちゃんの、お弟子さんなんでしょ?」
この学校では、フローラと一緒にいるだけで目立つようだ。前から薄々思っていたが、彼女は有名人なのだろう。
目の前では、女性が優しく微笑んでいる。僕は、ポケットから桜の花を取り出し、彼女に見せるように差し出した。
「この花をくれたのは、君?」
「うん、そうだよ! コラリーちゃんに頼まれてね」
「コラリーが?」
「うん。疲れているシオンちゃんを、私の力で癒して欲しいって。それで、お花の香りを使ったの」
驚いた。コラリーがそんな事を思ってくれていたなんて。
桜の花を嗅ぐ。少ししか寝ていないのに疲れが取れていたのは、この優しい香りのおかげだったのか。幼い頃の懐かしい夢を見たのも、きっと……。
コラリーの優しさに感謝しつつ、今は目の前の女性について知るために、質問を続ける。
「どうして、ここに桜が咲いているの?」
そう尋ねると、女性は目を輝かせながら僕の手を取った。
「すごい! 君、桜を知っているの?」
「えっ……?」
「だって、桜は外国の木だから。知っている魔女の方が、珍しいんだよ!」
僕の手を強く握りしめる。痛い。コラリーもそうだったが、魔女達は皆んな力が強い。この華奢な身体の何処に、そんな力が秘められているのだろうか。
「……あっ、ごめん! 痛かったよね?」
僕の思いを感じ取ったのか、慌てたように手を離す。
「ここは、いったい何なの?」
「ふふっ、綺麗な花園でしょ? 世界各地から、少しずつお花を分けて貰っているの。で、ここで大切に育てているんだよ!」
「少し、見て回っても良い?」
「うん、良いよー!」
ゆっくりと、花園を歩いて回る。本当に多種多様の花が飾られており、まるで博物館に来たような気分だ。僕は花を一つずつ指差し、女性に尋ねる。
「これ、アジサイだよね?」
「そうだよ! きれいでしょ?」
「こっちは、ダリア?」
「うんうん、丸いお花が可愛いよね!」
「これは、シクラメン?」
「正解! 君、物知りだね!」
話せば話すほど、女性の機嫌が良くなっていく。瞳の輝きが増していく。
反対に、僕の中ではある疑問が湧いていた。
どの花も、開花時期が異なる。これ以外にも、ひまわりや水仙、朝顔など、どの花も綺麗に咲き乱れている。こんな事、本来なら有り得ない。……魔法を使わない限りは。
「どうしてここの花たちは、どれも満開なの?」
「そんなのは、簡単。私が『花の魔女』だからだよ!」
えへん、とふんぞり返りながら、得意げに言った。
予想通りの返答だった。これは魔法の力。どうやら彼女には、花を咲かせる能力でもあるらしい。
「あっ、ごめん! 自己紹介がまだだったね!」
あちゃー、と自身の頭を小突き、ぺろっと舌を出す。
「私、ハリエット! フローラちゃんとは、昔からのお友達なの! よろしくね、シオンちゃん!」
「……よろしく」
花が咲いたような、満遍の笑顔。フローラとは打って変わって、表情豊かな女性だと思った。
……フローラも、彼女くらい分かりやすければ良いのに。
「それにしても、シオンちゃんはお花に詳しいんだね!」
「両親が、花屋さんをしていたから」
「へぇ〜、お花屋さんかぁ! いいねぇ……」
自身の髪を指でなぞりながら、何かを考えている。そして思いついたように口を開いた。
「ねぇ、シオンちゃん! 今日一日、私に付き合ってくれない?」
ハリエットは無垢な笑顔で、首を傾げる僕に手を差し伸べた。
学校を出た僕たちは、森の中を歩いて移動する。辛うじて道と呼べるような獣道を、ハリエットと並んで歩く。
「ねぇ、箒で飛んで行けないの?」
「うん。空を飛ぶと、探し物を見逃しちゃうかもしれないから。それに、こうしてゆっくり自然の中を歩くのも、気持ちいいでしょ?」
そう答えるハリエットは、とても楽しそうに見える。
どうやら、この森で探したい花があるそうだ。一人で探すのは退屈だから、僕を連れてきたらしい。ちょうど今日、歌の練習が休みで良かった。
「見て! 薔薇が咲いてる!」
ハリエットが指差す先に、赤と白の薔薇が並んで咲いていた。
「綺麗だけど、棘に気をつけないとね」
鮮やかな花びらを支える茎には、見るだけで痛々しい棘が生え揃っていた。
「……まるで、フローラみたいだね」
思わず口に出た。ハリエットが驚いたような表情でこちらを見ている。
フローラと、もっと沢山お話がしたい。彼女の事、もっと知りたいし、色んな表情が見たい。そう思うほど、魅力的な女性だと思う。
しかし、そんなフローラには棘が生えている。安易に触れられぬよう、僕達は見えない壁に隔てられているようだ。それは心の壁。魔女と人間という、絶妙な距離感。
……そんな壁、今すぐにでも無くなってしまえば良いのにと思う。棘で傷だらけになってでも、フローラに触れてみたい。
「うーん、そうだなぁ。フローラちゃんは何というか、不思議な子だよね。でも、彼女は凄いんだよ! 何たって、エンターテイメントの首席なんだから!」
「首席……?」
「そー! 一番頭が良くて、魔法も得意で、行動力もあって……。この骨のファッションも、彼女が流行らせたんだ!」
見せびらかすように、骨が剥き出しになった左腕を掲げる。その姿はただ不気味なだけに感じるが、魔女達にとってはファッションで、オシャレのつもりらしい。
「でもね、あの子は勤勉で努力家すぎるから、たまに無茶をしちゃうんだ。だから私は思うの! 出来るだけ、側で彼女を支えたいって」
ハリエットは真っ直ぐな瞳で、白骨化した拳をギュッと握り締める。
花の魔女……彼女は確かにそう言った。しかし、彼女が帯びる雰囲気は、魔女のイメージとは到底かけ離れている。魔女と呼ぶには、彼女は余りにも優しすぎる。
「ねぇ、ハリエット。君は、人間の男を食べた事あるの?」
「えっ!?」
聞いた後で、自身の過ちに気づいた。ハリエットは僕の事を、魔女と思ってくれている。今の質問は、魔女が魔女に尋ねる内容では無い。
「あっ、ごめん。僕、記憶が無いみたいだから……。信じられないんだ。魔女が人間の男を食べるなんて」
「あ……あぁ、そうだよね! びっくりしちゃった」
ふぅ、と小さく息を吐き、安心したように胸を撫で下ろしている。
「私も一回だけ、食べたかな。もう遠い昔のことだけどね」
困ったような苦笑い。明るい印象しか無かった彼女の顔に、影が差す。
ハリエットが人の命を奪う姿を想像する。それは余りにも、今の彼女からは乖離しており、慌てて脳裏に浮かんだ映像を消去した。
「じゃあ、フローラは?」
「うーん、フローラちゃんは――」
言いかけて、ハリエットは何かに気づいたように前方を注視する。
「下がって」
僕を庇うように、一歩前に出た。先程までの柔らかい笑顔は消え、顔を強張らせている。
「……そこに隠れているのは、誰かしら?」
彼女の一言に反応し、前方の木陰から二人の人間が姿を現した。
「うっ、動くな! 魔女どもめ!」
銃のような武器をこちらに向け、威嚇する女性。そして彼女の後ろで、男の子が怯えるような瞳でこちらを見ている。まるで化け物を見るような眼で。
二人ともボロボロの軍服みたいな格好で、身体のあちらこちらに包帯を巻いている。まだ若い。恐らく僕と同い年くらいか、年下だろう。
そんな少年少女が、傷だらけで銃を握っている……。
「あなた達、帝国兵ね。こんな所で何をしているの?」
ハリエットは物怖じ一つせず、彼女達に問い詰める。
「お、お前たちに教える義理はない。さっさと食料を寄越せ! それと森の出口を教えろ!」
「……なるほどね」
ハリエットは優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと彼女達に歩み寄る。
「お、おい! それ以上近づくな! 本当に撃つぞ!」
女性の語気が強まる。銃を握る手が、小刻みに震えている。
「落ち着いて。悪い事はしないから。二人とも、酷い怪我よ。先に治療をして、その後――」
話を遮るように、パァンと甲高い音が響いた。木々に止まっていた鳥達が、驚いたように一斉に飛び立つ。
突然の出来事に、僕の頭は真っ白になる。目の前では、頭を撃ち抜かれたハリエットが、スローモーションのようにゆっくりと仰向けに倒れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます