花の魔女
九話
懐かしい場所に来ていた。
こじんまりとした花屋。鮮やかな花が店内を彩り、優しい香りに包まれている。
店内では、花に水を与える女性と、レジカウンターでお金の計算をする男性が居た。二人とも、お揃いの白いエプロンを身に付けている。
そこへ、ランドセルを背負った一人の少年が、明るい声と共に入って来た。
「ただいまー!!」
「あら詩音、お帰りなさい」
女性は水やりの手を止め、優しい声で出迎える。
「あれー? 今日はお客さん、一人も居ないね」
カウンターにいた男性も、優しい声と共に少年へ近寄る。
「ははっ。いつもの事だよ。この時期はイベント事が無いから、花を買う人が少ないんだ」
困ったように苦笑いしながら、少年の頭を優しく撫でる。
「ふーん、そうなんだ……」
「なぁ、詩音。またお前の歌を聞かせてくれないか?」
「良いよー! お客さんを呼び寄せる歌を、歌ってあげるね!」
少年は、片手用の小さなスコップをマイクに見立て、楽しそうに歌い始めた。
「ほんと、詩音は歌が大好きよね」
「きっと将来は、スター歌手になるだろうな。そしたら、父さん達も忙しくなるぞ」
「もう、貴方ったら」
はしゃぐ子供と、その姿を暖かく見守る両親。ありふれた家族の姿。花に囲まれている為か、より一層明るく、幸せそうに見える。
そんな懐かしい光景が、どんどん遠く、白く滲んでいく。彼らの声が、徐々に小さくなっていく……。
眩ゆい光に煩わしさを感じ、目を開ける。日光が木々を避けるように差し込み、僕の顔を照らしていた。
どうやら、学園内にある中庭のベンチへ横になっている内に、いつの間にか眠ってしまったらしい。相当疲れが溜まっているようだ。
ゆっくりと上体を起こす。すると、何やら薄ピンク色の花が一輪、僕の身体に添えてあった。
よく見ると、それは桜の花で、ほのかに甘い香りが漂っている。
辺りを見渡す。しかし桜の木なんて、どこにも生えていない。というかこの世界に来て、一度も見たことがなかった。
一体、誰が……?
不思議に思いつつ、小さなピンク色の花をポケットに入れる。そして立ち上がり、急ぎ足でコラリーが待つ教室へと向かった。
「……遅かったじゃない」
「ごめん、いつの間にか眠ってた」
遅いと言われても、それほど時間は経っていない筈。それでも、コラリーは腕組みをして仁王立ちし、眉をひそめてこちらを見つめていた。
「あっそ。じゃ、もう休憩は要らないよね。続きを始めるよ」
拍子抜けした。もっと小言を言われると思っていたから。
物足りなさを感じつつも、僕はポケットに入れた一輪の花を取り出し、コラリーに見せる。
「これ……」
「なに、その花は?」
「寝ている間に、僕の身体に添えてあったんだけど。コラリー、何か知ってる?」
僕の手に乗せた花を、穴が開くようにじっと見つめている。暫しの沈黙が、教室を支配する。
「……知らないわよ」
耳たぶを触りながら、素っ気無く答える。それ以上話す事は無く、彼女はピアノの椅子に向かった。
外が薄暗くなった頃、本日の練習が終わった。
「ふぅ、かなり良い感じに仕上がってきたわね」
「だと良いんだけど……」
正直、分からない。コラリーの演奏も、彼女が作った歌も、素晴らしい。しかし、僕は上手く歌えているのだろうか?
……今の僕に、人々に楽しんで貰える歌が歌えるだろうか?
「……シオンの、お陰なんだから」
「えっ?」
らしくない事を言われた気がして、思わず聞き返す。
「ちょ、調子に乗るんじゃないわよ! ちょっといい声が出るからって! あんたなんか、まだまだ成長途中なんだからね!」
「あ、うん……」
コラリーは大きなため息を吐いたのち、落ち着きを取り戻した声で話す。
「明日の練習は、お休みにするから。明後日に最終確認して、三日後のお祭りに臨むわよ」
「明日、休みで良いの?」
「うん。私もピアノの練習がしたいし。シオンも疲れが溜まっているでしょ?」
いや、本当に休みが必要なのは、僕じゃなくてコラリーの方だ。毎日僕の練習に付き合いながら、自身の演奏も練習しているのだから。
疲労を臆面にも出さないのは、音の魔女としてのプライドがあるからか。それとも、そもそも魔女は疲れを感じない生き物なのだろうか。
いずれにしても、僕はこの言葉を伝えなければいけない。
「……ありがとう」
「べっ、別にあんたの身体を労ってるとか、そんなんじゃ無いんだから! ばか!」
お礼を言ったつもりなのに、何故か顔を真っ赤にして怒声を浴びせてくる。どうして……?
感謝の気持ちって、上手く伝わらないものだと改めて思った。
帰宅した僕は、椅子に座り、ポケットから桜の花を取り出して眺めていた。相変わらず、ほのかに甘い香りが漂っており、何処となく心を落ち着かせてくれる。
そこへ、フローラが夕飯を持って来てくれた。僕はお皿に乗っているおかずを二度見する。サラダに意外な物が入っていたから。
「これ……全部食べれるの?」
見た所、入っているのは赤い薔薇と黄色いマリーゴールドの花だ。今まで食べた事なんてないし、味の想像も出来ない。
「ええ、食用のお花。友達に貰ったの」
そう答えると、僕の向かいの席に着く。机に頬杖を着き、早く食べろと言わんばかりにこちらを見つめている。
「……いただきます」
フォークを使い、薔薇の花を口に運ぶ。
「……美味しい?」
頬杖を着いたまま、首を傾げている。
「うん、美味しい」
もっとクセがあるかと思ったが、意外と食べやすい。素材が良いのか、それともフローラの調理が上手なのか。
「そう。じゃあ、そのように伝えておくから」
僕はポケットに入れた桜の花に触れる。花という共通点しかないけれど、僕の中で一つの仮説が浮かび上がる。
「ねぇ、この食用花をくれた友達は、学校の人?」
「そうだけど?」
もしかしたら、フローラの友達と、僕に桜の花を添えてくれた人は、同一人物かもしれない。
「会っても、良いかな?」
「……良いよ。明日、学校でね」
短く返事をすると、フローラは立ち上がり、扉へと歩き始める。
まただ。また彼女は、用事が済むと何処かへ行ってしまう。
もっと話を聞きたい。もっといろんな表情を見たい。彼女が素っ気無い態度を取れば取る程、僕はフローラを求めてしまう。
「ねぇ、フローラ」
「なに?」
「どうして僕を、お祭りの主役に選んだの?」
やっと聞けた。ずっと気になっていた事。彼女が何を考えているのか。
しかし、フローラはこちらを振り向かない。
「……お祭りが終わったら、教えてあげる」
それだけ言い残し、彼女は足早に去って行った。
初めて、校舎の三階まで登った。
長い廊下を真っ直ぐ歩き、木でできた大きな扉の前に辿り着く。この先に、フローラの友達が居るそうだ。ポケットに手を入れ、桜の花を触る。
大きく深呼吸し、扉をそっと開く。その瞬間、木漏れ日の明かりと共に、優しい風が吹き込んできた。どうやら屋外に出たみたいだ。
バルコニーのような空間。色とりどりの花が所狭しに並べられ、眩しさすら感じる。優しい香りが充満し、自然と心が癒される。
そして中央には、大きな桜の木が満開に咲き乱れていた。
「いらっしゃい……あら?」
声をかけてきたのは、花に水やりを行う女性。桜の花より少し濃い、ピンク色の長い髪。制服から覗く左腕は、肘から指先までが骨の姿になっている。
「シオンちゃん、だよね? ごきげんよう!」
ひらひら舞う花びらを背景に、彼女が見せる満遍の笑み。花の可憐さに引け劣らない程に、眩しく感じた。
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九話お読み頂き、ありがとうございました。
突然のお知らせなのですが、友人から詩音とフローラのイラストを頂きましたので、近況ノートにて公開させて頂きました。
お時間ありましたら、ぜひご覧頂けると幸いです。
以上、小夏てねかでした。(7/6更新)
※このお知らせは、四話にも掲載しています。
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