八話
今日も歌のレッスンが始まった。
コラリーの演奏に合わせて、僕の歌声を披露する。それが、お祭りにおける催し物の『トリ』になるそうだ。
大勢の前で歌う姿を想像する。そんな場面は、過去に山ほど経験した。しかし、今回は状況が全く違う。
見知らぬ世界で、魔女という仮面を被って歌わなければならない。予想できない未来に、一抹の不安を覚えてしまう。
そして催し物の内容は、全てフローラが決めている。勿論、僕が中心となって歌を披露する、という事も。
その話を聞き、彼女が何を考えているのか、ますます分からなくなった。どうして僕なんかを、主役に選んだのだろうか。
「ちょっと、またリズムが遅くなってるわよ!」
すかさずコラリーの怒声が飛ぶ。考え事をしていたからか、拍子がずれていたようだ。
……正直、歌いにくい。この曲の明るい雰囲気は何というか、僕に合わない気がする。まだ昨日歌った曲のような、悲しい雰囲気の方が良かった。
「ほら、今度は音程が下にずれてる。感情も全然こもってないし。真面目にやんなさいよ!」
演奏の手を止め、険しい表情で睨みつけてきた。
「ごめん……こんな明るい曲、どんな気持ちで歌えばいいか分からないよ」
「もう、我が儘言わないでよ。陰気で根暗なあんたの為に、この曲を――」
言いかけて、コラリーの表情が一変する。何かに気づいたように窓際へ駆け寄り、身を乗り出して空を見上げた。
「どうしたの……?」
僕も彼女に着いていく。そして同じように空を見上げるが、生い茂る木とその隙間に顔を出す青空以外、なにも見えない。
「何かあるの?」
「……戦闘機が、三機。かなり大きい。空襲用ね」
「えっ、空襲!?」
……心に深く刻まれた傷が、チクリと痛む。
「ええ。恐らく帝国軍が、隣の共和国を狙って――」
コラリーの声が遠のく。蘇る記憶。それは僕から両親と声を奪った出来事。鎖で縛られた心が、ドクドクと鼓動を速めていく。
不安が強まり、呼吸が荒くなる。足が震え、ふらふらする。ダメだ。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ……!
「――ねぇ? ねぇってば」
気づくと、コラリーが首を傾げながらこちらを覗き込んでいた。いつになく優しい顔をしている。
「戦争、怖いの?」
「な、なんで……?」
「あんたの音、乱れに乱れてるから。呼吸も、拍動も。……過去に、何かあった?」
鋭い指摘に、思わず困惑する。しかし、それでも僕は何事も無いように振る舞う。
「別に、何もないよ。ただ戦争が嫌いなだけだから」
嘘をついた。きっとこれは、見え透いた嘘だ。
「……そう。なら良いんだけど」
コラリーは、それ以上追及して来なかった。ため息を吐きながら、目を伏せている。
「私も戦争、大っ嫌い。どうして人間は、同じ種族同士で命を奪い合うのかしら? 死からは、悲しい音しか生まれないのに」
戦争の理由なんて、きっとどの世界でも同じだ。考え方や、価値観の違い。略奪、そして復讐……。人が皆持っている、生存本能の裏返し。
「……それが、人間なんだよ」
皮肉を込めて、そう呟いた。
「ふーん。魔女の私には、よく分からないや」
まるで興味が無さそうに返事をした後、大きく伸びをしている。僕は小さくため息を吐き、再び窓から外を眺めた。
穏やかな風が木々を揺らす音。それ以外何も聞こえない、静かな世界。しかし生い茂る木々の向こうでは、兵器を積んだ戦闘機が空を飛んでいる。人が人の命を奪う為に。
やはり想像しただけで、悪寒を感じてしまう。
人間同士の戦争に対して、魔女達はどう向き合っているのだろうか。何か干渉しているのだろうか?
……僕は、どう向き合えば良いのだろうか?
「でもね、こう思わない? もしこの世が楽しい音で満ち溢れたら、きっと争いや殺し合いなんて無くなるって」
考え事をしていると、コラリーが再び話しかけてきた。
「そんな事、出来るの?」
「出来る。いや、音の魔女として、やらなきゃいけないの。そのためなら私、どんな事でも頑張るって決めたんだから」
かつて、僕も同じように思った事があった。自分の歌を聞いて、人々が平和を願うようになってくれる。そう信じていた時期が、僕にもあった。
目の前のコラリーに、かつての自分を重ねる。僕は幼き頃の自分に問いかけるように、彼女に尋ねた。
「君はどうして、そこまで頑張れるの?」
「昔、目の前で命が消える瞬間を、見てしまったから。それはこの世のものとは思えないほど、悲しい音だった。あんな音、もう聞きたくない。だから――」
澄んだ瞳で空を見上げる。僅かに顔を出した青空から日差しが差し込み、キラキラと彼女の顔を照らした。
「音の魔女として、私がこの世界から、悲しい音を全て消してみせるから!」
彼女の表情、そして言葉には、強い意志が籠っていた。それはコラリーが、お祭りにかける思い。
コラリーの話を聞いて、懐かしい曲を思い出す。かつて僕は、この歌を歌ったことがあった。
記憶を辿るように、サビの部分を歌い始める。
「な、なに……!?」
隣で、コラリーが驚いたような声を上げている。しかし僕は、歌う事を辞めない。一言一句、歌詞に感情を込めて歌う。
それは戦争という、終わりの見えないトンネルの中。悲しみに包まれながらも、ひたすらに平和を希う歌だった。
歌い終わるや否や、コラリーの上擦った声が飛んで来る。
「な、なによ!? 急に歌い始めたりして。び、びっくりしちゃったじゃない……」
分かりやすく困惑している。そんな彼女に、出来るだけ優しく微笑みかけた。そして歌を通して伝えたかった事を、出来るだけ簡潔に告げる。
「……君は、本当に音楽が好きなんだね」
コラリーの青い瞳が、今までで一番丸くなった。
「あ、当たり前でしょ!? 急に気持ち悪い事言わないでよね、バカ!」
つま先で脛を蹴られた。痛くて、思わず後ずさる。
「それと! ……君じゃなくて、コラリーだから。いい加減名前で呼んでよ、シオン」
そわそわしながら小声で呟き、窓の外を見つめている。彼女の白い頬は、薄っすらと赤く染まっていた。
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