閑話 名前

そりゃあ名前で呼べるなら苦労はしない。


でも考えて見てほしい。


幼稚園や小学校の頃なら楽々越えられるハードルだったものが何故中学校辺りからハードルが爆上がりしたのかを。


簡単だ。周りが苗字で呼ぶようになり、名前を呼ぶイコール仲良し、異性を名前で呼ぶイコール好きもしくは付き合っているみたいな空気を醸し出し始めたのがいけないと思う。


もちろん真のリア充ならそんな細かいこと気にせずに名前で呼び合うだろう。むしろそこら辺を意識してる方が恥ずかしい奴まである。


なのでオタクという陰キャは苗字で相手を呼び、内心密かに下の名前で呼んだりするのだ。


僕とて名前で呼びたい。彼女たちが呼んでくれてるんだから。


でもやはり恥じらいというか周りの目を気にしてしまう。


美澄さんは学校が違うからそう影響は受けないだろう。でも、神楽道さんは同じクラスだ。今でも彼女が青音くんと呼ぶだけでからかわれる始末。そこで僕がここのさんと呼んだらどうなる? コイツらさてはヤッたな? みたいに思われるんじゃなかろうか。


ほら、一線を越えたカップルは呼び方が変わるみたいなジンクス? あるじゃない? ない?


そんな感じで呼ぶのが少し恥ずかしいのです。


僕は早々にアジトの四階のプライベートルームに入り、一人で練習をしていた。


「と、桃菜さん! 一緒に遊ぼうぜ! ……なんか違うなぁ」


こんな感じのやり取りをしていたっけ? もう少し知的な感じのやり取りをしていたような。


「こ、ここのさん! 僕と『セレクトワールド』で勝負だ! ……ふぅむ。爽やか過ぎるかな?」


もっとフラットな感じだよね。


「桃菜! ここの! 一緒にパーティゲームやらない? ……やっぱり呼び捨てはハードル高し!」


ノリや勢いなら言えなくもないけど、シラフで呼ぶには少しワイルド過ぎないか? 僕はもっと穏やかな喋り方だったよね。


「桃菜さん、ここのさん……一緒にゲームをやりましょうか」


なんだこの偽物野郎みたいな喋り方は。


こう今一度考えると、僕はその場のノリで大抵話してるよね。深く考えてないというか、なんというか。


僕はダメだ〜とカーペットに倒れ込む。


「遥さんや千秋さんみたいに、勘違いしなくて済むような女の子なら割と直ぐに呼べるんだけどなぁ〜」


僕は愚痴るように言う。遥さんは幸くんの事が好きだし、千秋さんは秋くんのことしか眼中に無いからね。


「大切な相手だから悩んでるんですね」

「えっ? あ、アスタさん……聞いてたの?」

「ごめんなさい。シリウスさんに話しかけるタイミングが無くて……覗いたみたいになりました」


ドアの前には既にメイド服に着替えたアスタさんが立っていた。別に良いと思うけど、律儀に着替えてくれるから目の保養になる。


今の僕は寝そべっている。分かるね? チラリズムだよちみぃ。アスタさんの太ももはふっくらと柔らかそうだし、膝枕されたら熟睡出来そうだ。


「罰として膝枕してよ (別にいいよ〜)」

「ひ、膝枕ですか!? わ、分かりました〜」


あれ!? 僕、本音と建前言い間違えた?


靴を脱いでアスタさんが僕の傍まで来て正座する。


「お、弟以外にしたことないので……寝心地悪かったらすみません」

「お、おう……かまへんで」


顔を赤らめて言われるとこっちまで照れるし、今更無しとは言えないよ。


「し、失礼しますね」


僕の頭を優しく膝の上に載せてくれる。


「ど、どうでしょうか?」

「みこねさん……最高だよ」

「な、名前で呼ばないでくださいっ」


天にも登るとはこと事だ。


美澄さんにも一度だけされたけど、あの時は師匠にぼろ負けして味わう余裕が無かったんだよね。ほんっと馬鹿だよ、僕って奴は! 美少女の太ももの感触を覚えてないなんてさ!


今度こそしっかり堪能するぞ! と、目を閉じて後頭部に意識を集中させる。


「……ふふっ。なんだか、弟を思い出します」


僕の前髪を撫でる感触にドキッとして、それを誤魔化すように尋ねる。


「弟さんは何歳なの?」

「今年で中学生になったはずです……」

「……そっかぁー」


ニュアンスからして長い間会ってないのかもしれない。


アスタさんの声音は優しく、そして寂しそうに感じた。


何かと雑談したりするけど、彼女からは親しい友人や知り合いを聞いたことがない。


もしかしたら、故郷を離れてからひとりぼっちなのかもしれない。


だから僕は少しだけ励ましたくて、意識して甘えるように声を出す。


「みこねお姉ちゃ〜ん。耳掃除してぇ〜」


おや? なんだからおねショタの気配が? いやいや、セーフだ。だってアスタさんは童顔だし。理由になるのか、それ。


まあ、ぶっちゃけやったあとに後悔しています。やらなければ良かった! 今は羞恥で顔が真っ赤になっているだろう。


「……甘えん坊なんですね……しょうがないからお姉ちゃんが耳のお掃除をしてあげます。横を向いてもらえますか?」

「えっ、あ、うん」


僕は言われたとおりに横にむく。そのおかげでアスタさんの柔らかい太ももが頬にダイレクトアタック。僕は理想の枕を見つけた。


「失礼しますね〜」


当たり前のように耳かきを持っていたらしく、シームレスに耳掃除が始まった。


何気に人に耳掃除されたのは初めてです。


(く、くすぐったい……でも、なんか気持ちいいかも)


お店ならうん千円かかりそうなことをタダでやってもらっているという優越感もある。


「私、最近楽しいんです。皆さんのお世話をするようになって、こんなに人と触れ合う機会を失っていたんだって気付きました」


柔らかく温かい声音から発される言葉は子守唄のように心地よく耳に響く。


「故郷は田舎なものですので、まわり近所はみんな親戚なぐらい知らない人は居なかったんです。でも、都会に憧れて上京してきて驚きました。こんなにも人というのは変わるんだなぁって、環境によって全然ちがう世界に紛れ込んだような気持ちになったんです」

「さながら現代の不思議のアリスなんだね」


僕の例えにクスリと笑い、目を細める。


「そんなに幼くないですよ〜反対側を向いてくれますか?」

「うぃ〜」


反対側の頬が幸せになる時が来たぜ。


「私はきっと故郷に帰りたくなっていたんだと思います。……でも、シリウスさんにからかわれて、お嬢様に誘われて……最初はお給料が良いからという理由で誘いに乗ろうと思いました。でも、今は皆さんと一緒に居られるのが楽しいんです」

「……」


それは僕も同じだった。


ここに居るみんなは本音で接する。


もちろん隠し事が無いわけじゃないけど、誠実であろうとする。


だから、ここは僕だけじゃなくてアスタさん、そして他のみんなにとっても居場所になりつつあるのかもしれない。


「お嬢様はとても素敵で綺麗な人です。私とお話している時はいつも私に意識を集中して接してくれます。なんだかそれが認められているような、受け入れられているような嬉しい気持ちになるんです」

「美澄さんは真面目なんだかお茶目なんだから分からないよね……」

「ふふっそうですね。でもお茶目なのはシリウスさんの前だからだと思いますよ?」


そうかなぁ。そうだとしたら照れくさいけど、凄く嬉しいよ。


美澄さんは僕に尽くしてくれる。その期待に応えられるか分からないけど、失望させたくないから僕なりの方法で期待に応えよう。


「拓斗さんも凄いお金持ちだと聞いています。ですがそれを鼻にかけることなく人を気遣える素晴らしいお人です。時折婚約者様に対する想いが零れるような言動は同じ女性として羨ましくもあります」

「拓斗は女性には常に一定の距離を置くように接するよね。それは拒絶だからじゃなくて、婚約者さんに誠実であろうという心の表れなんだよね」

「はい。たまに……たまにですよ? お話が長くて私にはよく分からなくて申し訳なくなります」

「ははっそうだね〜たまに長ぇよ! って思うよね」


拓斗は案外寂しがり屋なのかも。彼はこのアジトで僕達と接している時はいつも楽しそうに話をする。長いしくどいけど、最後まで聞いてあげてしまう人ばかりだ。みんな本当にお人好し。


「ここのさんは感情の起伏が激しいお方で、最初は戸惑いましたけど、それが彼女なりの接し方を模索しているのだと分かりました。意外と不器用な人なんですね。本当は凄く根が優しいのだと思います」

「神楽道さんは〜そうだね。彼女は普段別の自分を演じているから少し素で居るのが照れるのかも」

「私たちの前で素であろうとしてくれるのはとても嬉しいことですね」

「……うん」


神楽道さんは僕たちの中で一番普通に生きるのが難しい女の子だ。それでいて一番普通に生きている。それは絶え間ない努力と覚悟が彼女にあるからだ。


だからこの場所に居る間ぐらいは羽を休めてもいいだろう。ここに居る人はみんな彼女を傷つけたりしないのだから。


そこで耳掃除が終わったのか、耳の中から耳かきを取り出される感触がした。


「向き直ってもらえますか?」


僕は言われたとおりに仰向けになる。


天井の天球がアスタさんの後頭部に降り注ぎ、まるで天使に見下ろされているような感覚になる。


柔らかく慈愛に満ちたような表情で、彼女は僕の頬を撫でる。


「そして、一番ノリが良くて、一番優しくて、一番温かいあなたが居るこの場所だから、皆さんはこの場所がお好きなんですよ?」

「そうかな……僕なんかでも、みんなの帰る居場所になれるのかな」


きっとこうして産まれも育ちも違うみんなが一緒に居られることがひとつの奇跡なんだ。


僕はこの繋がりを失いたくない。


「なれます。あなたがそう望むのなら」


アスタさんの子守唄のような声に僕は少しだけ眠くなってしまう。


「僕ね。美澄さんが好き」

「はい」

「神楽道さんが好き」

「はい」

「拓斗が好き」

「はい」

「アスタさんのことも好きだ」

「……はい」


少し照れくさそうになりながらも受け入れてくれた。


「僕、決めたよ。強くなるって。少し乱暴かもしれないけど、この拳でみんなを護ってみせるよ……とても大切なんだ。みんなが」

「はい。それは私も同じ気持ちです……これ程広い都会でこうして触れ合える人に出逢えるのは、きっと星空の中から一つだけの一番星を見つけ出すぐらいの奇跡なんだと思います」


今ならきっと呼べるよね?


彼女たちの名前をさ。


もう大切な人達のことで恥ずかしがったりしないよ。


僕はようやく出せた結論に安堵してアスタさんの膝枕で眠った。


………………


…………


……


ふと目が覚める。


いつの間にか横を向いていたようだ。


僕の目の前には穏やかな寝息を立てるアスタさんの顔が。


「……? ……!?」


えっ。ヤっちゃったの!? いやいや、さすがにそれはないだろう!


そもそもここカーペットの上だし。ペットじゃないからセーフだ! きっと。


そこで僕はお腹周りに手が回されていることに気づいた。


首だけ曲げて背後を見ると、美澄さん……桃菜さんが僕に抱きついて背中に顔を埋めて寝ていた。


パニック! パニック! パニックみんなが慌ててる!


でも起こすわけにはいかないからじっとします。


少し室内を見渡せば、少し離れた場所に体育座りで寝に入っている神楽道さん……ここのさんが居るし。壁際では拓斗が背中を壁につけて、片膝を立ててカッコよく寝ているし。


(みんな寝ちゃっている……時刻は、もう夜じゃん)


どうやら僕が寝たあとにみんなが来て、そのまま寝ちゃったみたいだ。


いやどういう意味だよ!


僕は取り敢えず今日が金曜日だったことに安堵する。


(なんなら夏休みだし)


そう。明日から夏休みなのだ。


ちなみに遊ぶ気満々の僕は、桃菜さんに夏休みの宿題をみんなでやっつけよう! の企画を立案しノータイムで可決された為、速攻で片付けてやるぜ!


嫌なことはさっさと片付けるに限るよね!


ということで。


「おやすみなさ〜い……すやぁ」


アジトでおやすみ。

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夕暮れときの青春剥離 灰色ユリシス @tukuyomi55

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