第二章 多面性
第一話 新たな日常
六月中旬。
僕はカラオケ店でいつものようにバイトをしていた。
時刻は夕暮れとき。
社会人が帰れるかどうかでホワイトかブラックか決まる時間。
学生にとっては遊びに行くか決めている時間。
そんな半端な時間。
あと三十分もすれば、大勢の人たちがカラオケして行く? と押し寄せてくるだろう。
ちょっぴり暇なこのひと時に、僕はカウンターの真横のルームから聴こえてくる歌声に耳を傾けていた。
『〜♪』
目を閉じると脳裏に歌っている姿が思い浮かぶ。
(相変わらず上手なぁ)
間違いなく僕の知り合いでぶっちぎりの上手さではあった。
歌っているのは何を隠そう、光崎先輩である。
少しゆったりとした喋り方から想像できないほど、力強い歌声である。
本来ならバイトの時間だが、個人経営店故の緩さなのか、光崎先輩は店長から暇な時はカウンター横のルームで歌ってもいいよと言われているのだ。
もちろん他のバイトの人には内緒だ。
僕が近い年頃で、優しそうだからお願いしてみたとは光崎先輩の言葉。
(だって……こんな良い声で歌われたら、何でも許しちゃうよ)
この至福の時間は週に一度あるかないか。
僕がバイトを始めてから二ヶ月程度しか経っていないわけで、貴重で希少なひと時だ。
少なくともその期間の間に、光崎先輩は非常に真面目な人だと分かったからOKを出したのだ。
むしろ率先してオススメしているぐらいだ。
暇な時間ぐらい良いじゃないか。
何もかもルールで縛りつければ、いい世界になるのか? そんなことは無いだろう。
(器の広い人を多く育てた方が社会は上手く回るのでないだろうか?)
寛容な人達は、みんないいひとな気がする。
八方美人だと揶揄する人もいるだろう。
それで損をしていることもあるかもしれない。
でも、人に嫌われるような生き方はしていない筈だ。
少なくとも、細かいことにケチを付けるような人よりは、ね?
少し眠気を感じつつ、僕は再度光崎先輩の歌声に耳を傾けた。
窓の外は夕暮れときであった。
☆☆☆
僕は早朝に走り込みを始めた。
タンタンタン。
中学時代から愛用しているメーカーのランニングシューズを履いて、リズミカルに走る。
ブルートゥースヘッドホンであるヨハネ君は泣く泣くお留守番である。
走ると揺れるし、ズレるからね。
その代わり、決戦兵器であり、勝利の女神たるブルートゥースイヤホンのジャンヌちゃんを装着しての参戦である。
(フィットしすぎて、付けてるの忘れそうだ〜)
お気に入りの乗れるアニソンを垂れ流し、走り続ける。
走るのが苦手な人が居たらとりあえず音楽を聴きながら走れとオススメしたい。
走るのが苦手な人というのはペース配分が面倒とか、体力が無いとか言うけど、リズムに乗れれば割と走れるのだと。
特に音楽というのは最初から最後までリズムが一定なのだ。
一件そうは思えない曲……ゆったりとした始まり方をしてサビで激しくなるみたいな波の大きな曲ですら、良く聞いてみるとトントントンと一定のリズムを刻んでいるのだ。
それに合わせればいい。
最初はウォーキングぐらいで合わせて、どんどんテンポを上げていけば走れるようになる。
持続したいならば、音楽を聴け。By青音
そんな格言を皆に薦めたい。
僕は隙あらば音楽に没頭している。
そうすると、集中力が増していくから。
今は中学三年生の頃の体力と、感覚を取り戻す為に走り込む。
(次はバテないぞ!)
師匠と呼んで一方的に慕っているリュークさんと次やり合う時が来たら、絶対にバテない為の体力作りである。
僕と美澄さん、ついでに非戦闘員として雇われたアスタさんの三人がエトワールのメンバーだ。
アスタさんとは、喫茶店ステラで僕が二度に渡り失礼きまわりない態度を取ったウェイトレスのお姉さんのことだ。
彼女は美澄さんに気に入られ、エトワールのアジトがあるビルの管理をするという形で、雇われている。
本名は五峰院みこねさん。可愛らしい名前だからと呼んで欲しくないらしく、美澄さんから与えられたコードネームのアスタと呼んで欲しいと頼まれたのだ。
そんなエトワールの活動は? と、言われれば正直答えずらい。
何せ正義感から動いているわけでも、なにか信念がある訳では無い。
純粋に裏社会の浅瀬を歩き、解決出来そうな問題があったら首を突っ込むみたいなフワッとした組織だ。
(構成メンバーが少ないからなぁ)
非戦闘員のアスタさんを抜けば、脳筋担当の僕とボスの美澄さんだけだ。
お互い普通の生活では満たされない器を持っている。
このエトワールの活動の目的があるとすれば、空っぽの器を満たす方法を探すことだろうか。
美澄さんと出逢うキッカケであり、師匠と死闘を繰り広げた事件からそう時間は経っていない。
だからしばらくゆっくりしようと提案し、美澄さんに了承され、今は肉体改造の期間だと自分で決めた。
そんな早朝、人気のない河川敷にて、目の前で走るシルエットを目撃。
ゆっくりとしたペースで走る人のようだ。
徐々に距離が迫っていき、明確な姿を視認する。
(スパッツだと!?)
なんと、前を走っていたのは小柄の女の子。
しかもスパッツを履いているのだ!
キャップを被り、ポニーテールを後ろの隙間に通している、活発そうな女の子。
そしてスパッツ。
短パンにスパッツを組み合わせた動きやすく、スポーティなスタイル。そしてスパッツだ。
もはやスパッツしか視界に入らない。
(朝からなんという眼福だろうか!)
自分でいいのもなんだが、僕は女の子の太ももが好きなのだ。
いわゆる絶対領域。
それと対極にあるスパッツ。スコート。短パン。
全部好きです。大好きです。
チラリズムも素敵だし、ほんのり形をなぞるフィット感も最高。
むっ! 不味い。朝から鼻血の予感。
少し鼻を押えて走るペースを落とす。
ち、違う! 後ろから上下するスパッツが拝みたいとかそういう理由でペースを落とした訳では無い! 信じてくれ!
そうして屈辱的に女の子の少し後ろを走ることに甘んじる。本当に屈辱的だ!
そうして一緒に走っているように見える間隔を取っていると、ストーカーみたいな気分になる。
(こういうさ、同じように走っている人とかち合うと前に出ずらいよね)
なんか抜かすと、そんなチンたら走ってのか、アァん? みたいに感じさせるかもしれないし、だからって今みたいに後ろにいると、ストーカーだと思われて気持ち悪く感じるかもだし。
ランナーにとっての永遠の問題なのかもしれない。
そうやってしばらく走っていたら、女の子からリアクションがあった。
彼女は指を一キロ先ぐらいにそびえるビルを指す。
そして僕に向き直り、クイクイと挑発するように指を曲げてくる。
(おお!? やんのかおめぇ!? 可愛いスパッツだからって容赦しないぞ!)
間違えた。可愛い女の子だからが正しいです。つい、本音が出てただけなのでお気になさらず。
僕は分かったと頷く。
そして走りペースを合わせ、二十メートル先のコンクリートの境目をスタートの合図だと互いにアイコンタクトで把握する。
(3……2……1……GO!)
一気にペースを上げて走り去る。
全盛期の体力は戻っていないが、これでも体力テストはいつも一位だった意地を見せてやる!
タンタンタンッ! ちょうど聴いていたアニソンも激しいサビに突入したのも幸いして、割と素晴らしい速度をキープ。
(ふっ……余裕だぜぇぇー!?)
横には規則正しい呼吸で並走するスパッツ少女。
(こ、このペースに着いてくるだと!? ……へっ! おもしれえ女だぜぇ!)
お決まりのセリフも心の中で言えて気分はヒートアップ。
タンタタンタンタタン! フルスロットルだ!
今の持てる全ての力を振り絞り駆ける!
チラッ。
ニコッ。
(余裕で着いてくるやんけぇー!!?)
あどけない笑顔を向けられました。恋に落ちそうです。多分吊り橋効果。
タタタンタタタン! もはやペース配分を考慮しない全速力。
チラッ。
にぱぁ。
(すっげぇー嬉しそうに走るやんけぇー!)
もはや男の意地だった。
「ふっふっふっふっふっ!」
「はっはっはっはっはっ♪」
残り百メートル。
既に短距離に挑む速さであった。
その時、僕の脳裏にこんな一言が浮かんだ。
『もっと加速はしたくないか? 少年』
あ、いいす。もう、限界なので。
微笑みかけてくる走りの女神様には帰ってもらう。
そして、ゴールを先に切ったのは……スパッツであった。
(くっ……見事だ……スパッツよ! あ、違う。……少女よ!)
もはやスパッツに負けたと言っても過言ではない。
「やったー! ボクの勝ちだねっ! せんぱ〜い♪」
「はぁ……はぁ……へぇ?」
全身で喜びを表す彼女に言われた一言に顔を上げる。
太陽を彷彿させるような笑顔の少女は僕を先輩と呼んだ。
だから確認しなければならない。
「君……何年生?」
「中三だよ♪」
悲報。僕氏、中学三年生の女の子に走りで負ける。
いや、女の子だからバカにしているとかではないよ?
僕はこれでも体力にはそこそこ自信があったし、中学時代は陸上部とタイマン張れるぐらい足は速いのだ。
五十メートル走6.5秒と我ながら速かった。
そんな僕が衰えているとはいえ負けた。
それは一キロという距離を走ったことを甘味しても、彼女は速い部類に入る。
「君は陸上部?」
「正解っ♪」
やっぱり。多分全国レベルだ。
なんで早朝の河川敷で、全国レベルの陸上選手とタイマン張って負けてんの、僕。
これから学校あんのに。
「朝練は?」
「あるけど、ここで走るのが好きだからね〜」
走ったあとのストレッチを始めながら答えてくれる。
不味い! スパッツが素敵なことになってる。
年下と分かった以上はまじまじ見ることが犯罪のように感じてしまう。
「せんぱい足速いね〜陸上部?」
「帰宅部」
「うっそぉ〜」
口にはそう出しているけど、驚いた様子はない。
それに僕はここ最近この時間に、この河川敷で走ってたけど、彼女を見かけたことはない。
はたして嘘を言っているのか、細かいことは気にしないのか判断つかなかった。
「そうだっ。ジュース奢ってよ♪」
眩しい笑顔に僕は敗者らしく、ジュースを奢ることにした。
この子との出会いははたして偶然なのだろうか?
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