第十三話 ゾーン

「リュークさん。少し時間ちょうだい? 本気の本気出してみせるから」


彼の返事を待たずに、僕は完全に脱力する。


強火の炎を一度弱火にする。


そこに薪を焚べる。炎は中火に。


石炭を焚べる。炎は強火に。


油を注ぐ。炎は燃え盛る。


……そして水をぶっかける。


全身に猛火が駆け巡る。


「あはっ」


熱い。熱い。凄く熱い。


額から汗がドバドバ流れてて鬱陶しい。


「あははっ」

「お前……それは!?」


熱に浮かされて頭が回らない。


「あはははっ」


喉がカラカラだ。


「あははははっ」


四肢に力が溢れる。


「あはははははははっ」


思考がクリアになり、全身を歓喜が駆け巡る。


「あははははははははははははっ!!!」


帰ってきた。


僕の熱が!


滾る歓喜が!


渇望していた戦いが!


帰ってきた!!


「ふぅーーーー! お待たせしたねっ! こっからは期待出来ると思うよっ!」


滲み出る喜びが声を弾ませる。


きっと僕は満面の笑みを浮かべていることだろう。


「お前……入ったのか? 今、ここで・・・

「やっぱりリュークさんにはなんなのか分かるんだっ?」


リュークさんは驚いたように言う。


身体を動かしたくて堪らなくて、左右に揺らしてしまう。


視界がつられて左右に揺れる。


ユサユサユサと。


それだけなのに楽しい。


「お前こそ、それがなんなのか分かってるのか?」


質問に質問で返されたんだけど、バカにされてるぅー?


分かってるさぁー。


「“ゾーン“。あるいは“火事場の馬鹿力“でしょ?」


肉体のリミッターを外して、人離れした動きを可能とする状態。


「“トランス状態“とも呼ばれるっけぇーあははっ! やめてよねぇ〜クスリキメてるみたいじゃーんっ」


これは自分の力で入った“天然物“なんだからさー。一緒にして欲しくないなぁ。


リュークさんはタバコを取り出し、火をつける。


「すぅーっ。ふぅーっ」

「お預けぇ? ここでぇ? 生殺しだよぉ?」

「少し待てよ。俺も嬉しくて堪らねえんだからよ。ヤニでも吸ってねぇーと。クールでいられねぇのさ」

「むっ。それはだめっ! 分かったっ! 待ってるっ」


本当はよくないっ! でも、怪しまれたくないっ! だから、我慢するんだっ。


でも、身体は動きたくて仕方ないから、リュークさんの周りを歩く。


(早くしろぉ〜どんどん冷めちゃうでしょうがぁー)


久しぶりだから、思った以上に冷めやすいし、思考が単純になってる。だからと言って、今、素面に戻ったら維持できない。


“これ“は存外デリケートなものなんだ。


沢山準備して、ようやくこのタイミングで呼び起こせた感覚なんだ。


(これで決めないとぉ〜負けるぅ〜)


「わりぃ! またせた! さっさとやろう! ギリギリなんだろう?」

「待ってましたぁー! いくよっー!」


タバコを足裏で潰すリュークに向かって踏み込んだ。


(あれれぇ? もう懐だぁ?)


一瞬混乱したけど、なんてことない。


二メートル近くを一歩・・で詰めただけ。


初めて殴られた時の技を更に速くした結果だ。


あんなに遠く感じた二メートルはもはや無いに等しい。


驚くリュークの顔目掛けて拳振るう。


(うぅーん? 避けられ……あぁ、ならこうか)


自分の動きを一瞬でキャンセルして、腰を落とし肘を腹に叩き込む。


「かはっ!?」

「あはっ」


突き出された顎に、軽く握った手で払うように振るう。


(いや、これも決まらないなぁ〜…………これにしようかぁ)


振り抜く前にまた、キャンセルして足を少し上げてキャンセルして、横ステップを挟み、足先を少しだけ前に出す。


「足元がお留守番みたいだねぇー」


後ろに下がろうとしたリュークの踵が僕の足にひっかかり、後ろに倒れ込む。


「ちぃぃ!! 調子に乗るんじゃねぇーよぉ!」


そのままバク転をし両手を地面に付けて、コマのように回る。


「わわわっ!」


危うく、回転蹴りをくらうところだった。


くらっ。


目眩がする。


「はっはっはっ……」


息も切れ切れになる。


(くそぉ……やっぱり体力が持たないかぁ)


心臓を押さえるように胸ぐらを掴む。


「はぁ……はぁ……」

「辛そうだなぉ? だがもう少し付き合えや!」


今度はリュークが迫ってくる。


「うはっ!?」


今までの比じゃない数の、予測が脳内を埋め尽くす。


(わわわっ!? どれが正解だぁ!?)


パンクしそうになりながら、直感だけでなんとか捌く。


多彩で鮮やか。膨大な経験を天性の才能で無限大の可能性に膨張させてくる。


(やばいやばいやばい。無理じゃん! 勝てん! リュークしか勝たん! だめだめだめ! 負けん! とーなと約束)


「したんだからぉーー!!!」


蹴り。殴り、払い。掴み。頭突き。胴当て。抱きつき。裏拳。貫手。目潰し。金的蹴り。数多の攻撃を捌く捌く捌く捌く捌く捌く。やってきた好機! 僅かな息継ぎ。その一瞬の硬直を狙う。


「ここだぁーー!!!!」


全体重を拳に乗せて、最短最速で渾身のボディーブローをぶちかます。


「ぐががっっーーー!!」


(腕を盾にしたぁ!? 反応速度チートめぇ!!)


でも有り余る破壊力にリュークは冗談のように吹き飛ぶ。


ザザザザッーー!! と倒れ込みそうなリュークは踵でブレーキを掛けつつ、姿勢を立て直す。


土ぼこりがリュークの姿を隠す。


(どうだっ……決まったかっ……もう、動けんぞ……頼むっ……入ってくれ・・・・・)


「くくっ……くくくっ……くくくくっ!」


もうゾーンが冷めた僕は、凄まじい疲労感から一歩も歩けなくなっていた。


「ああ! この感覚は久しぶり・・・・だぁ!」


まるで生命力の化身が現れたように、目が離せなくなった。


土ぼこりが風により払われ、リュークの姿が現れる。


「……っぅ!!!」


リュークと視線が交差した瞬間、ゾゾゾッと背筋が凍って、全身に鳥肌が立つ。


怖い。怖すぎる。純粋な生物としての“格“の違いに魂から屈服しそうになる。


勝ち目は無い。


終わった。


……終わってくれた・・・


「さあ、続きをやろうかぁ!?」


僕の勝ち・・だ。


「リュークさん。覚えてる?」

「あぁ!? なにをだよぉ!?」


気が荒ぶっているのだろう。


まるで荒ぶる鬼を相手にしているようだ。


「僕と交した“約束“」

「っ!?」


リュークさんは目を見開いたように固まる。


「“約束“してくれたよね? 僕と戦う間はクール・・・なままで居てくれるって」

「……っ」


僕はリュークさんを指さす。


精一杯の笑みを浮かべ指摘する。


「今、クールかい? リュークさん」

「お前っ……最初からっ! これを狙ってたのかよォ!?」

「だりめーよ。リュークさんにこんな短期間でガチって勝てるほど自惚れてないよ」

「だからって! 俺が入れる・・・保証なんかねぇーだろぉ!」


実際焦った。いきなりタバコを吸うんだから。


リラックスされたら入らない・・・・


「でも、入ってくれた・・・・・・。だから……」


僕は深呼吸をする。


今度の痛みは心地よかった。


「僕の勝ちだ!」


屁理屈だ。勝ってはいない。


勝手に持ち出した約束を反故にされるように、誘導しただけだ。


マッチポンプここに極まれりだね。


でも、僕はこれしか勝ち目が無かった。


何度も何度も何度想像イメージしても、全うに勝てるビジョンは浮かばなかった。


今の僕の最高到達勝利妥協地点。


それがこれなのだ。


(これはリュークさんを信じることを前提にした勝利)


彼が誠実な人だと信じたから辿り着けた勝利だ。


少しだけ震える指先を突きつけたまま、リュークさんに不敵な笑みを浮かべる。


「はぁ……分かったよ。俺の負け・・だ。認めてやる。よくやったよ、お前」


降参するように両手を上げるリュークさん。


「あっ……あり、がとう」


何とか感謝の言葉を絞り出したタイミングで僕は倒れ込ん 「シリウス!」


美澄さんが僕を正面から抱き締め支えてくれた。


「お疲れ様っ。信じてたっ。あなたが勝つのを信じてたわっ」

「え、へへっ……ぶい」


約束守れた。


彼女を手放さないで済んだ。


「オリオン……この選択を……後悔、しな、いで……」

「ええっ」

「つき、すすもう……つきあう、から」

「ええっ! もう後悔などしないわ。私はあなたと一緒にいつまでもこの道を突き進むわ」

「へへ……なら、がんばった、かいが……あった、よ」


大丈夫。きっとこの道だ。


この道の先で、僕たちの空っぽの器が満たされるから。今なら確信持って言える。


……ああ、眠たいなぁ。


「おいおいおい!? なにやってんだよ! リュークさんよぉ!!」

「あん?」


なんだ? 聞き覚えがある声だぞ?


「シリウス。アイツらよ。追いかけていたアイツらが大勢来たわ」

「な、なんで!?」


心地よい眠気が吹っ飛んだわ!


「リュークさん! どういうことっ!?」


痛む身体を美澄さんに支えられながら問いかける。


「俺はここに一人で来た。それはソイツらも承知のはずなんだがなぁ?」


どうやらリュークさんも知らなかったらしい。


彼はタバコを取り出し吸い始める。マイペースな。


軽く周りを見渡しても、ざっと二十人は越えている。皆、各々に武装しちゃってるし。


(うっわ。無理。動けん)


戦う以前に走れないし、歩けないよ。


「あんたさぁ? 確かに俺達を助けてくれたよ? だけどさぁ、売る数は制限するわ、取引のサイトは独占するわ、クスリの保管を任せてくれねぇわ、挙句の果てに俺達を嗅ぎ回る奴らと仲良く戯れるわって……そりゃあねーだろ!? 俺達の為のグループだぞ? てめぇーの所有物じゃねぇーんだよ!! いつまでもボスヅラしてんじゃねぇーよ!! 」


ソイツらを代表して一人がリュークさんを糾弾する。


思ってた以上にリュークさんは、グループの大半を掌握してたようだ。


周りの連中もそうだそうだと代表の男に完全同意を見せる。


その間、リュークさんは黙ってタバコを吸い続ける。


「うっわぁ……まじか」

「どうしたの、シリウス?」


この人マジかよ。ドン引きだよっ!


「御託はいいなら、かかってこいよぉ? ようは俺ぉ潰して代わりになろうってんだろぉ?」

「そうだ! 流石の俺達も全快のお前には苦労しそうだからな! でも、今疲れたお前なら余裕で潰せるぜ!」

「死亡フラグ乙」


思わず本音が零れたわ。


「でも、事実よ。リュークは既にあなたにより、かなり疲弊しているはずだもの。この大人数を相手とるのは無茶よ」


確かに正論だ。でも美澄さんは読み間違えてる。


「あのねオリオン。僕が戦ってたのは言わば準備運動のリュークさんなの」

「…………え?」

「そんで、今のリュークさんは程よく身体が火照ってむしろヤバい。どんぐらいヤバいって、メラをメラゾーマだと錯覚するレベル」

「大魔王クラスじゃない」


良かった。通じた。


「お前らぁ! コイツのせいで溜まってた鬱憤を今晴らすぞぉ!!」

「「「「おおおおおっーーー!!!」」」」


大人数が一挙に押し寄せてくる。


絶望的な状況だろう。


相手が大魔王でなければ。


「くくくくっ。良かったぜぇ? 冷まさなくて・・・・・・よぉ?」


僕がドン引きしたのは、リュークさんがずーっとゾーンを保ってたこと。


この人は僕みたいに動きたくてうずうずする感情と身体を完全に支配下において、その熱を抑えていたのだ。


僕には出来ない芸当。そしていずれは手に入れる芸当だ。


「おいシリウスとやらぁ」

「はいっ!師匠・・!」

「あ、あぁ? まあ、いい! そこで見てろ。すっげーの見せっからよぉー!」

「おーす!」


僕はどうやら心底この人に惚れ込んだらしい。


この人が僕の目標だ。


さあ、大魔王の蹂躙が始まるぞっ!



そこからは、言葉に出来ない蹂躙劇だった。


「化け物ね」

「だねー師匠すごいねー」


もはやアクション映画を二度と楽しめなくなった自信がある。


全てを倒した師匠は、新しいタバコを咥え僕たちの傍に寄る。


「あぁ〜疲れたわぁ〜。こりゃあ、明日は筋肉痛だなぁおい」


筋肉痛で済まされるレベルの戦いじゃなかったけどね!


「なら、明日戦えば勝てるかもね」

「馬鹿かおめぇ」

「痛っ!」


師匠にいきなりデコピンを食らった。


「俺は軽い筋肉痛で済むけどよぉ。おめぇはそれ以上だろうがぉ」

「うぅ……思い出させないでよ」


絶対、今夜寝れん。確定した。


「色々聞きたいんだろうけどよぉ。日を改めてくれぇ。……これに連絡を寄越せ。罠の心配とかあんなら場所は好きに指定しろぉ」


懐から取り出した紙くずを美澄さんが受け取る。


「詳しいことは聞けると思っていいのよね?」

「ああ。もう、隠す必要はねぇからな。……じゃあーな」


そのまま踵を返して、師匠は去っていった。


「私たちも帰りましょうか」

「肩貸してね」

「もちろんよ」



☆☆☆



美澄さんに連れられて帰ったあとのこと。


「お父様、お母様。お久しぶりです。この度はまたしても暴漢から青音さんが身を呈して助けて頂きました。そのせいで青音さんは全身を酷い筋肉痛に襲われております。ですので是非、お世話をさせていただく為に馳せ参じました」


彼女は言葉巧みに僕の部屋に転がり込むことに成功した。もはや、両親は彼女の味方だった。


「いや、筋肉痛で介抱される奴見たことある?」

「前例がないなら私が前例になるだけだわ」

「帰れ!」

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