7/30 約束【Day30.握手】

「不思議だ……」


 南国特有の日差しは、何故か日本のそれより柔らかく感じた。

 会社で調達したマイクロバスに乗り込み移動している最中、佐々木日出ささきひのでは唐突にそんなことを呟く。不思議に思った月島滉太つきしまこうたが口を出した。


「どしたん」

「二十九日の夜に日本を出たのに今は二十九日の昼なんだなあって」

「体調悪くなりそうやわ。寝れた?」

「寝た、フライト中ずっと寝てた」


 片頬を上げて笑う日出に、そうかあ、と月島は頷きつつその言葉が嘘だと知っていた。顔色が良くないこともそうだが、何より月島がフライト中に一瞬目覚めた時、彼の目は開かれて青白い光に晒されていた。恐らく寝る姿勢でずっと映画を見ていたのだろう、うとうとしながら見ていた訳ではまったくなさそうな表情だった。

 ホテルに着き、各々カードキーを渡される。思っていたよりもずっと綺麗なホテルで、日本人観光客も多いためか至るところで日本語でのやり取りが聞こえた。これまで遠征の部屋割りは基本三人・三人・三人だったのだが、今日は二人・二人・二人・三人である。プロデューサー曰く「予算が下りました」とのことだ。実績はこういうところに如実に表れる。

 月島と日出は同室だった。


「のでさんやーい、今日からのスケジュール覚えとる?」

「……みんなで昼飯食って、そのあとに打ち合わせしてあとはフリー。明日から撮影開始で三日には日本戻る、だよな」

「タイトスケジュールやけど、全日晴れて予備日に遊べたらええな」

「遊ぶ元気残ってるかな……」


 部屋備え付けのソファに座った日出は弱気な発言をしつつ、眠たそうに眼をしばたたかせた。今にも落ちそうだが懸命に堪えている、完全に時差ボケをしていた。

 それでも何とか立ち上がって全員での食事を終え、借りていたミーティングルームでうち合わせを始める。この海外撮影は、冬に出す新しいCDのMVに使われる。冬なのにと思われるかも知れないが、どうしても入れたい曲の雰囲気として南国で撮影したいというプロデューサーの強い主張の下、実現したのだ。

 リップシンクとダンスシーンと、そして映像作家もとい監督とも挨拶を終えてこの後はフリーだ。といっても夕食は一緒に食べるだろうから、それまでの間各々で行動することになる。メンバーの大半は買い物に行ったり、海を見たりと外に出て行ったが月島と日出だけはホテルにいた。


「お前も行ってきたら?」

「どこに?」

「遊びに。俺に気遣わなくて良いから」

「気を遣う……ああ、ちゃうねん。日本でやろう思うてた仕事な、寄稿のやつ、いっこ締め切り間違えとったんよ。だから明日までに送らなかんくて、だから気にせんでええよ」

「……時差考慮しろよ」

「勿論」


 今度は月島が嘘をついた。別に今やらなければならない仕事ではない、それこそ日本に戻って来ても充分間に合う。だた日出が外に出ないと宣言した時、何となくひとりにしてはいけないと感じただけなのだ。

 今の日出の様子はわりとおかしい。元気がないとか疲れているとか、そういうこと自体はおかしくないのだが弱気なのは変だ。常に気力だけはある人間なのに。ただその理由を聞き出すのは、月島と日出の距離感として少し違う。信頼はしているし何でも話せる仲だとは思っているが、何でも話したい仲ではないのだ。

 特に仕事に絡んだ鬱屈とした感情は。


「滉太」

「なに?」

「嬉しい?」

「海外ロケ? なら嬉しいよ、こういうことに予算が出るようになったんやなあって」

「俺は……正直微妙」

「プレッシャー?」


 日出はそこで黙った。プレッシャー、まあそうだろうな。

 森富太一もりとみたいちもひしひしと感じてしまっていたそうだし、佐々木水面ささきみなもも分かりやすく体調を崩していた。きっと他のメンバーも個人で気晴らしをして何とか保っているだけで──それこそ楽曲製作隊なんかはやらなければ終わらない作業を沢山抱えて、そのおかげでプレッシャーを感じずにいられることができているのだろう。月島もそうだった、初めてトラック作業を手伝ったりして、それが良い気晴らしになった。


「『折角海外まで行ったのに』って言われたらどうしよう……」


 この業界は、というかこの世界は努力が全部報われるとは限らない。その時は正しいと思った判断が受け入れてもらえる訳でもない。血涙を流し血汗を流し、そこで作り上げたものが酷評されることもざらだ。この世は残酷極まりない、だけどそのおかげで『挑戦』という言葉が生まれたのではないだろうか。


「日出、オレ思うんやけど、なんも挑戦せずに失敗してしまったのと挑戦して失敗してしまったのなら、挑戦して失敗した方が絶対ええねん。挑戦しなくて失敗したのは怠慢だと思われる、でも挑戦して失敗したら方法論にみんなケチつけたがるやろ。人としてどうかって部分で批判されるより、やり方が間違ってたで批判された方が気が楽やん」

「どういう理屈? 思ってたのと全然違うんだけど……」

「やり方はいくらでも間違えろ、ただ軸はブレんな、そんだけや」


 にこ、と笑う月島に日出は戸惑ったように笑みを浮かべる。何をやってもどれだけ上手くいっても駄目だと言う人間は絶対にいる。ならばそんな人間に合わせるよりも自分軸で歩いた方が良い。そっちの方が後悔はない。


「滉太」

「うん? なにこの手、握手?」

「ちがう、立ち上がるから支えて」

「どっか行くん?」


 言われて滉太は日出に手を差し出した。それを掴んで立ち上がった日出は「夜の海が好きなんだよ」と答えた。


「真っ黒になってる海は怖くて素敵だから」

「そういうグループになろうなあ」

「怖くて素敵なグループ? どういうこと?」

「考えんな、感じろ」

「ええ……」

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