7/23 毒は食らわない【Day23.静かな毒】

「────と、言われたんで、すが、……斎くん?」


 高梁透たかはしとおるアレクサンドルに名前を呼ばれ、凍り付いていた思考が一瞬にして解ける。御堂斎みどういつきは慌てて視線を右左に往復させ、詰めていた息を緩める。そして依然不安そうな面持ちの高梁に無理矢理笑いかけた。


「っ、ああ、うん。えっと、そうか……」

「はい。その、これって、」

「宿舎戻ってからで良い? この話」

「え、ぁ、はい……」


 ここではできない。本社の練習室でするような話ではない。御堂と高梁は時間いっぱい練習室を使ってから宿舎へ戻った。御堂は高梁の手首を握る、握ったまま進む。あんまりにも強引な行動に高梁はただただ驚いていた。こんな斎くん、初めて見た。

 外に出れば何もしなくてもじっとり汗ばむ。その上、手を引かれているのだからその部分は本来不愉快なくらい熱を持つはずなのに、どうしてか御堂の手は氷のように冷たかった。


「エルサ……」

「キャラ的にエルサはお前だろ……。そうじゃなくて、いや、ううん、ごめん。取り乱した」

「パニック?」

「だね、そうだよ、ごめん」

「私が言われたことは、良くないことでしたか?」


 宿舎の前に辿り着き、高梁はずっと予想していたことを口に出した。

 御堂はその質問には答えず、乱暴な手つきで鍵を開けて宿舎に入る。誰もいない、いや上で誰か寝ていた気がする。朝七時入りの仕事があって、帰ってきている、誰だっけ、ああもういいや、思い出せないし、今はそこが重要な訳じゃない。


「斎くん、手」

「……ごめん、暑かったよな」

「ちがいます。つなぎましょう」


 冷房をつけて少し冷えた部屋で、御堂は高梁の手首を掴んでいた手の力を緩める。しかし高梁は首をゆっくり横に振って、御堂の掌を掴み自分の方へ引き戻す。そしてそのまま指の間に自分の指を押し込んだ、恋人繋ぎと一般的に呼ばれるものだ。


「小さいですね、手」

「生まれてからずっと言われてる」

「生まれた時はみんな小さいです。座っていいですか?」


 その状態でふたりはリビングのソファに腰掛けた。高梁はじっと御堂を見つめる。だんだん気まずくなってきたのは御堂だ、気まずいというかざわざわする。

 高梁が冒頭で報告してきたのは、テレビ局の誰かに通りすがりざま言われた言葉だそうだ。その言葉は御堂が耳にした中でも最も遠回しであり、明らかに言われた側が日本語話者でないことを馬鹿にしている、ぞっとするほどの差別発言だった。

というかそれをここまで鮮明に聞き分けられたのは、着実に高梁の日本語のレベルが上がっていることの証左なのだが今だけは手放しで褒めてやることができない。ごめん、という意味を込めて御堂は手を繋いだまま親指で高梁の手を撫でた。


「ふふ、くすぐったい」

「くすぐったいだろうなって思ってやってんの」

「思ってるならやらないでくださいよ! ……斎くん」

「なんだよ、やるけど」


 急にトーンの落ちた高梁の声音が気になりつつも、御堂は薄ら笑みを浮かべた状態で彼の方を向く。高梁の顔は笑っていなかった。人形のような整った麗しい顔が、静謐さを湛えて御堂を見ている。あまりの人間味のなさに、少し背筋が冷える。


「斎くんはどうしてあやまりますか?」

「どうして、って言われても」

「悪いことしてないでしょ。あなた。私の方が、その、斎くんと比べると」

「お前は悪くないよ、いっこも悪くない」


 これだけは自身を持って言わないといけない。御堂は落としがちだった視線を持ち上げ、高梁としっかり目を合わせる。高梁は表情に血色を戻し、口角を少しだけ上げた。


「斎くん、私は何を言われたんですか? 言いたくないです?」

「い、言いたくないです。酷い言葉、だったから……」

「分かりました! じゃあもう訊きません、その人とも一緒にいないようにします」

「はい?」


 静謐さから一転、溌溂とした物言いに変わった高梁は目をきらきらと輝かせた笑顔で御堂を射抜く。どうしてここで笑えるのか、メンタリティが謎過ぎる。


「斎くんがずっと心配そうなので」

「だから笑ってくれてるの? 良いのに、そんな」

「悲しい顔したら思うつぼ、ですから。……合ってます?」

「ばっちりです」


 やりました、とったどー! とどこで覚えてきたか丸分かりな言葉を叫びつつ、高梁が御堂を羽交い絞めにした。羽交い絞めという他ない、手を繋いだまま空いている方の手で御堂を抱え込み、そのままソファへ押し倒したのだ。「ぎゃー」という御堂のくぐもった叫び声が高梁の下から聞こえる。


「重い! 暑い! 蹴飛ばすぞお前!」

「斎くん、斎くん、こうすると足が動かなくなります」

「マジじゃん⁉ お前の使ってくる技、軍隊式だから怖いんだよ!」

「褒めました?」

「ないです! 褒めてないです! お前マジ……!」


 いくら御堂が筋トレ好きで武道経験者であろうが、身長で高梁に敵う訳はなしそもそも高梁だって格闘術の経験者なのだ。それに加えて高梁は外見に見合わない馬鹿力を持っている、御堂ひとりくらいならいなすことも容易いのだ。

 そんな感じでソファの上でごちゃごちゃしていると、御堂が思い出せなかった早朝から仕事があった某人が降りてリビングまでやってきた。その某人とは、南方みなかたであったが。


「え、何これ、どういう状況?」

「ゆうくん、私たち今、いいとこです!」

「そうなの? ごめん、いっちゃん、ごゆっくり」

「ごめんでもごゆっくりでもねえんだわ……サーシャ、多大なる誤解を生むから撤回しなさい、今すぐ」

「いやです!」

「めっちゃ元気に拒否するじゃん……」

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