7/21 ぼくの赤ペン先生【Day21.朝顔】

 ヤギリプロモーションの練習生は日記をつけている。これは講師陣に課せられた義務である、今日教わった内容・自分の課題・どういう心境なのかをノートに書き記すことで明確化させ、フィードバックを行うために必要なのだ。

 しかし一部の練習生にとっては多少意味が異なる。高梁透たかはしとおるアレクサンドルも意味が異なっていた練習生のひとりだ。彼は、日本語の練習のために日記を書いていたのだ。


「今も書いてますよ? ほら」


 そういって取り出したのは何の変哲もない大学ノート。表紙は黒の油性マジックで『日記』と漢字で書かれていた。お手本を見ながら書いたためか明朝体に寄せられており、書き文字というよりレタリングだ。タイトルなので様にはなっている。

 そして高梁はもう一冊ノートを取り出した。こちらも何の変哲もない大学ノート、と思いきや表紙にはやたらシールが貼られていた。写実的な花のイラストのシールだ。こちらもタイトルには『日記』と書かれている。違いが分からない、とマネージャーは眉根を寄せた。


「どっちも日記、ですか?」

「はい。こっちは」


 と言いつつ高梁はシンプルな表紙の方を掲げる。


「毎日のことを書いてます。反省とか、やりたいこととか」

「じゃあそっちは……」

「もういっこの方は、アサガオという花のことを書いています」

「はい?」


 マネージャーは素っ頓狂な声を上げた。アサガオ、アサガオとは自分の知っている朝顔で良いのだろうか。一瞬停止しかけた思考を再度回し、行き着いた結論が『観察日記』であった。いやいやそんなまさか、心中否定しつつそう言えば最近宿舎にグリーンカーテンができたという話を聞いたことを思い出す。マジか。


「いっぱい育ててたら大きくなりました! なので亜樹くんに頼んでフェンスを用意してもらったんです。今も元気に咲いてます」

「普通いっぱい育てたら大きくならないはずなんですが……、いや」


 (鉢植え毎に)沢山育てていたら大きく(なってグリーンカーテンに)なりました、ということか。言葉は足りないが言っていることは分かる、理に適っている。問題はどうして朝顔を育てる運びになったかというところだが。

 そもそもマネージャーがどうして日記についてアイドルに尋ねているのか。事態は単純で近頃ヤギリにも海外からのアイドル志望者が増えてきたのだ。それこそ『read i Fineリーディファイン』の高梁や土屋亜樹つちやあきのように日本へルーツを持つ者がほとんどだが、それでも日本語が達者でない人も少なからずいる。土屋はともあれ高梁も語学的なスタートラインはそんな彼らと大差ない、その上でヤギリの練習生必須の『日記』をどのように書いていたかサンプルが欲しいと上層部に言われたのだった。

 まさか練習生の日記の話から、朝顔の観察日記が出てくるとは思わなかったが。


「あきました、自分のこと書くの」

「飽きた、んですか」

「はい。毎日成長できる訳もないです」


 高梁の言い方だと多少険のあるような、諦めているように聞こえるが、もっと細かいディティールを追及すると「練習生の頃に比べると一朝一夕で伸びる部分での成長は求められていない」ということらしい。

 練習生の時分は講師陣の指示や助言、叱責により気付かされた足りない部分を埋めていく作業だった。歌の音程が不安定ならボイトレの時間を増やしたり、ダンスのステップが危ういならばその部分を重点的に練習したり。しかしデビューするとそうはいかない、確かに指示や助言、叱責がない訳ではないがそれでも自分で考える部分が格段に増える。

 そうなると練習する前の過程を確認する時間が長くなる。下手すれば分析と根回しで大幅に時間を使い、実際に努力するのはその後で分析と根回しでかかった時間と同等ほどの時間がかかるということもよくある。

 毎日日記に書けるほどの内容ではない、ということなのだ。


「でもアサガオは毎日違います、ちょっとでもちゃんと大きくなるので書いてて楽しいです」

「なるほど……真面目ですね、高梁さんは」

「日本語はまだまだ苦手なので。もっとちゃんと読み書きできるようにしたいです」


 はい、と高梁はマネージャーに観察日記の方を手渡した。イラスト(しかも結構上手い)つきの絵日記で、日々のちょっとした成長も事細かに記されている。

 しかし特筆すべきは内容の丁寧さではなく、高梁の書いた内容に対するフィードバックだ。漢字や語法の誤りには赤ペンが入っており、また良い感想には花丸がついている。一体誰が、と思いマネージャーが分析するがなんてことはない。『read i Fine』のメンバーが持ち回りで行っているのだ。昨日は森富太一もりとみたいち、一昨日は土屋亜樹、その前は桐生永介きりゅうえいすけ──人によって文章の長さもまちまちで佐々木日出ささきひのでの文章は長め、南方侑太郎みなかたゆうたろうの文章は簡潔過ぎるほど短い。

 それでも欠かさず書いている。毎日、誰かしらのコメントがそこにあった。


「みんな優しいんですよ、うちのメンバーは」


 高梁は満面の笑みでマネージャーに言う。思わずマネージャーは頷いていた。

 メンバーが異国の言葉で苦労していると知っていても、ここまでのことを普通にできるのだろうか。全員で持ち回り、フィードバックできる体制にすることができるのか。

 それができる、ということがこのグループの強みなのだ。

 良い意味で参考にできない、とマネージャーは心中困り笑いを浮かべた。

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