7/16 技に香る【Day16.レプリカ】

「サーシャっていつもどこに香水つけてんの?」


 土屋亜樹つちやあきの唐突な質問に一旦、高梁透たかはしとおるアレクサンドルは首を傾げる。言っている言葉の意味を掴み損ねたのだ。そしてしっかり考えること五秒、『どこ』とは体の部位を指すということに気付いて納得した。

 今日は昼の情報番組に呼ばれているふたりだ。夏休みシーズンということで行楽地の紹介をしたり夏バテ対策や涼しい節電方法を教えてくれたりするタイプのバラエティで、土屋と高梁も先月この番組の行楽地特集のロケへ行ってきたのである。とても楽しいロケでしばらくはその話で持ち切りだったことを土屋ははっきりと覚えていた。

 話は戻り、高梁の香水についてである。


「私はですねー、手首にしゅってして、首につけたあとにおへそにつけます」

「へそ? へそにつけてんの?」

「香水屋さんの店員さんにおすすめされたので……」

「へえ……なんでへそなんだろ」


 なんでだろう、と言いつつ調べないのがこのふたりらしい。他のメンバーがいたら恐らくスマートフォンで検索合戦になるのだが、機械に強くない土屋と日本語の検索が不得手な高梁であるためそのようなことにはならないのだ。

 土屋は視線を移動させ、楽屋の机に置かれている高梁の香水に目を向ける。アトマイザーに移し替えていない、ボトルそのままのそれはあまり香水等コスメ類に詳しくない土屋でも知っているブランドのものだ。というか服なら持っている。


「あきくんはハイブランドでも見劣りしないのですごいですよね」

「ハイブランドの申し子みたいな顔面の男がなんか言ってる……こわ……」

「えっ、えっ、ハイブランドは仕事で着るのは楽しいですけど、普段はなかなか……」

「とか言いつつ今日着てたのプラダじゃねえかお前」


 衣装ではなく私服の方である。ちなみに衣装もよく見るとフェンディだった。

土屋は確かにハイブランドが似合うが、本人としては昔から着ているからというだけのことでまったく気負っていないだけなのだ。しかし高梁の場合は、ハイブランド独特の奇抜なデザインやシルエットを見事に着こなす。ほぼ顔で着ていると言っても過言ではない、この顔面ならどんなデザインでもしっくり来てしまうのだ。


「モデルの仕事も来てるしなあ、外資系の雑誌で連載始まりそう」

「いえいえ、まだまだですよ」

「やる気があるのは良いことだよ」


 まだ新人の身で仕事の選り好みはできる訳がない。だが「こういう仕事がしたい」とアピールすることは大事だ。最近高梁はモデルの仕事を視野に入れ始めたためか、インスタのootdの更新が非常に多い。ファンだけではなく、一部アパレル関係者の目にも止まりつつある。


「……俺も香水買おうかな」


 ぼつりと土屋が呟いた一言に「いいと思います!」と高梁が大きな声を上げた。


「というか、今まで使ってこなかったんですか?」

「体臭とか気にしたことないし、単純に要らないかなって思ってたんだけど」

「でもあきくん、良い匂いしますよ?」

「え? ああ、シャンプーかな」


 傷みがちな髪なため良いシャンプーを買わざるを得ない。すると、どうしても香りの良いものを買うことになる。今の匂いはなんだったか、と土屋が自分の髪の匂いを嗅ごうとして物理的不可能なことに気付いた。

 気付いたのとほぼ同時に高梁が土屋の頭に鼻を埋める。すんすん、と呼吸の音が耳の真上くらいで聞こえて嗅いでるなあと思った土屋だ。高梁は顔を上げて「良い匂いです」と宣言する。何の匂いかを言ってほしかった。


「甘くて爽やかです。フローラルな感じ」

「そんな匂いしてんの俺⁉ 無自覚だったんだけど」

「私は好きですよ」


 高梁に好きと言われたとて、そこで「ああ良かった」とはならないのだが。

 こうなってくると少し男っぽい香水でも買って身に着けておいた方が良い気もする。いくらなんでもフローラルは美少女が過ぎる、そんなキャラでもないというのに。むしろヒップホップでぶいぶい言わせたいくらいなのだ。


「ちなみにサーシャって何の匂いさせてんの?」

「嗅ぎます?」

「はい?」

「つけたばかりなので、首がいちばん香りが濃い……」


 どうぞ、と言って軽く膝を曲げた高梁に、だったら、と土屋は顔を寄せた。確かに首回りはかなり強い匂いを発している。ウッディな感じだけど甘くて、少しスモーキー? よく分からないが、夏らしくはない匂いだ。そのことを高梁に言うと「正解です」と彼はにっこり笑う。


「雪山イメージなんですよ、これ。冬の匂いです」

「冬の匂いも分からんけど……雪山イメージでこの匂いになるんだ」

「正解したあきくんにはハグを進呈します、ぎゅーっ」

「はいはい……お前、策士だな⁉」


 高梁の、首の匂いが強いと言って嗅がせ、言葉の端を切り取って「正解」と言いそのままハグに持ち込む流れに土屋は感動していた。なるほど、自分は高梁の首の匂いを嗅いだ時点で術中にハマっていたのか、と。

 思う存分抱き締められつつ、これは正解のご褒美ではなく高梁がただハグしたかっただけだなと察する。この蒸し暑い日本で、高梁並みのスキンシップは拒絶される傾向にあり、現に宿舎でもその傾向は強い。彼はスキンシップに飢えていたのだ。


「……透よ、もうそろそろ」

「パツィルーイはしちゃだめです?」

「だめです。おいそれとするものではない」

「ええ、挨拶なのに……」

「日本では違うから」


 パツィルーイ、もといキスであるが土屋も挨拶でする、される習慣が多少あるためされること自体は嫌ではない。ただそれを誰かに見られるかも知れない、というのがリスキーだとは思っていた。

 渋々といったように体を離す高梁に、今度一緒に香水を見に行く約束をした土屋だった。尚この話はすべて放送中にエピソードトークとして語られ、全国の地上波に乗ったそうである。

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