7/11 異変とカレー【Day11.飴色】
料理はまったくしたことがなかったが手順さえ覚えればなんてことはなく、今では簡単なものなら作れるようになった。さすがだ、宿舎生活も四年近くになり自分の成長を自画自賛する
料理をしたくなるのは決まって行き詰まった時だった。
水面の行き詰まりは主に仕事か、大学での制作活動に原因が分かれる。今は前者が二割、後者が八割といったところ。卒業年になり、卒業制作をどうするかでずっと面談中なのである。同回生は就活も並行して行っているが、自分だってずっと仕事と並行して大学に通っていたのだ。「良いよね、もう就職先決まってて」と軽口を叩かれることは少なくない。その度にへらへらしながらもイライラして仕方がなかった。
自分で選んだ道だ、そこでずっと頑張ってきた、努力を惜しまずにきた。それだけのことだし、それ自体は他の人と何ら変わりないはずなのに。仕事が忙しく課題提出が間に合わず教授に頭を下げたことも、講師からやり直しを命じられて寝ずに直してそのまま仕事に行ったこともある。体に鞭を打ち続けた、でも楽しく充実していた四年間だった。それを、どうして、なんで──、
と思いながら玉ねぎをみじん切りにする水面だった。流している涙は玉ねぎのせいだということにしておく、決して悔しい訳ではないのだと。
腕でぐいと目を擦り、こんな真似をしたらつっきーに怒られるだろうな、と思いながら玉ねぎを炒める。今日はカレーを作る予定だ。焦げないよう丁寧に、バターで玉ねぎを炒め始めた。最初は焦がしまくりだったがこれも慣れだ、気付けば火加減が分かるようになった。
「Taste me、Taste me、苦さはいらないの、ずっと甘くいて欲しいの……」
炒めるリズムにのって、口遊むのは同じ事務所の先輩である四人組女性アイドルグループ『
炒め終わったつやつやの玉ねぎを別の器に移して冷ます。そして別の具材を切り始める。にんじん、なす、パプリカと鶏肉。夏野菜カレーである。ちなみに作るのは十人前程度だが、誰が食べるのかはまだ分からない。いつも、誰でも作ってから食べる人を募るのだ。
「あ、でも前の鍋の時は募ってない……や、分かってたからか」
七夕の鍋パに関しては、水面は大学のアトリエにこもって作業をしていたため不参加だった。ひとりでカップ麺を食べながら羨みの目でメッセージを読んでいた。その日仕事で不参加だったメンバーもいたので、それだけが唯一の救いだ。今度そのメンバーで何か美味しいものでも食べに行こうと画策している、まあバレて結局全員で食べに行くことになるのだろうが。
「毎回水の量が分かんないんだよな……、……水分量と気持ちの湿度、雨降ったあとみたいな斑な思考回路、こうしてるうちにも世界は止まらない~……」
炒めた具材を鍋に突っ込み、水を入れながら歌うのは同事務所三人組男性アイドルグループ『
鍋の火加減を見つつ、スマートフォンをいじる。私用スマホで検索するのは卒業制作のネタだ。担当教授と数回に渡り面談をこなしたが、どれも未だにピンとこない。自分が表現したいものは何だったか、デビューをするまえはそれこそ湯水のごとく湧いて出たのに。
「あ、ああ……吹きこぼれる……!」
慌てて火を弱める。沸騰した水の勢い、この勢いが少し羨ましい。
デビューして二年目。生活も仕事内容も劇的に変わって有り難いことばっかりのはずなのに、悩む時間は盛大に増えてしまった。今まではできることを増やしていき、相手のニーズに応えていくことが主だ。だからこそもっと自分というものを知って欲しい、分かって欲しいとアイデアが沢山降ってきたのだろう。
今はニーズに応えつつも常に「あなたは誰ですか?」と訊かれている気分だ。何度説明しても、自己紹介してもちっとも分かってもらえている気がしない。次第に、その部分だけ枯渇しているような気にもなってくる。
お腹が空かなくなったのも、その枯渇を感じるのと同じ頃だった。
「食べれるかな、今日」
鍋になみなみ出来上がったカレーを見て、そんなことを呟いてしまう。
グループの共有メッセージに「晩御飯にカレー作ったけど食べる人~」といつものように騒がしい絵文字付きで送ってみる。意外なことにすぐ既読がついた。昼からの、クイズ番組二本録りを終えた
『食べる。お腹空いた』
「お腹空いたの? 『おつかれさま』と」
『ありがと。一緒に食べようよ。』
絵文字も何もない、率直な一言。「一緒」と言われて水面は顔を歪めた。
さては、
「一緒にジム行くよりは、まあ、全然良いんだけどね~」
美味しく食べれるかしら、とつやつやしたカレーに彼は問い掛けたのだった。
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