7/8 大丈夫のおまじない【Day8.こもれび】
今日はグループでの仕事ではなく、メンバー全体的に個人仕事の日だ。
高梁は朝からレギュラーモデルを務めるある雑誌の撮影に赴いており昼過ぎの今ようやく帰宅したところだ。このままオフ──といきたいところだが、夜にはメンバー全員で食事会を兼ねたミーティングがある。
他の仕事より気楽だが仕事は仕事だ。ある程度発言の準備はしておこうと思い自室に戻りかけたその時、リビングに何かが転がっている様が見えた。
「び、っくりした」
一瞬日本語が出なかったが、良かった、ちゃんと出た、と安堵しつつ床に転がっている
何故ここに、こんなところに。まさか倒れたのでは、そう思い自分の頭を彼の顔に近付けてみるが、聞こえるのは規則正しい寝息のみ。寝ているだけだった。驚かせるなよ、という怒りを込めて脇腹をつまむ。まあつまむほどの肉はないのだが。
「……風邪ひいちゃいますよー? ひのでくーん、起きてくださーい……」
小声で話し掛けてみるが起きる気配はなし。体を揺すってみても同様だ。
しかしこのまま放置する訳にはいかない。アイドルという仕事は体が資本だ。こんな硬い床で寝ていたら節々を痛めるし、何より風邪を引いてしまう。高梁は慌てて冷房の温度を確認した。外気温は三十五度近かったため、二十八度を大幅に下回った温度でエアコンは稼働している。どうりで冷蔵庫みたいだと思った訳だ、温度を五度ほど上げた。
あとは日出をどうするかだが、というところで彼は改めて日出の顔を見た。
無防備な寝顔にきらきらと何かが反射している。なんだろう、と思って窓の外を見るとなんてことはない、外にある木々が太陽を遮って日出の肌に独特のきらめきを見せているだけだ。
「こもれび、とか言うんでしたっけ」
漢字を十全に理解できている訳ではないが、綺麗な意味合いだったことは覚えている。日本語には色んな言い回しがあり、それが難しいがそこが面白い。こもれび、と口に出しながら日出の頬の、明るくなっている部分をぷにと刺した。
「おなかは硬いのに、ほっぺは柔らか……」
人体の不思議である。
というか日出は日焼け止めをしているのだろうか。そこに思考が行き着いた高梁が日出を抱きかかえるまでそう時間は要さなかった。
変な体勢だと腰に負担がかかる(抱える方も抱えられる方も双方共に)ので、高梁は日出の横にひざまずき彼の腕を自身の首に回してそのまま背中と膝の裏に自分の腕を通す。要するにお姫様抱っこだ。
日出の自室がある上の階へそのまま持って行くにはウエイトがあり過ぎるし、二段ベッドに寝かせるのは困難なのでひとまずソファに転がした。とは言えそのままでも風邪を引いてしまうので、高梁は自室にダッシュし毛布とマスクをとってくる。
彼は冷房をつけて寝るため夏用の掛け布団に毛布をプラスしており、また喉の保護のためにマスクも常備していた。マスクの常備は桐生永介と同室時代に培われた習性だ。きっと日出も同様だろう。
「あ、枕! えっと、……クッション二個でなんとかなりますか……?」
何とかなったようだ、苦しそうな素振りは見せず安眠している。更にマスクもつけて毛布も掛ける。ここまで至れり尽くせり、触られまくりというのに日出に起きる気配はちっともなかった。
どれだけ疲れていたのだろうか。日出の眠るソファの前に座り、高梁はスマートフォンでスケジューラーを確認した。推定、日出の最後のオフは今日より七日前だ。一週間、朝から晩までということはないが何かしらで外に出て誰かと言葉を交わし、撮影なりインタビューなりロケなりを行ってきた。
売れっ子になった、とメンバーは喜ぶがその分労働時間は長くなり満足な休養も取れない。そういう生活を求めていたのは自分たちだが、いざ直面すると気持ちより肉体的に疲れてしまう。肉体が疲れれば精神も当然影響が出る、出た方が休みやすいというのは不謹慎すぎるけれど。
「日出くんは、『出ない』人ですからねー」
ぶす、とほっぺに指を突き立てる高梁の眉間に皺が寄る。
どこまで行ってもプロアイドルな彼は、現場でも宿舎でも基本変わらない。本当に裏表のない人間なんだなと思う。ただそれは性格というより訓練の賜物であって、それが一番楽だからという訳でそんな風になっていることはないのだ。まったくないのだ。
演技力も高いからみんな騙される。きっとメンバー以外、マネージャーやプロデューサーも気付くとは思うが、外部の人間から見たら何も分からない。どれだけ佐々木日出が色んなものを擦り減らして、削って、打ち捨てて、アイドルという職業をまっとうしているのか。
そしてそれはメンバーでもすべては把握できないのである。
「“
思い出したのは故郷で両親や祖父母からもらった『大丈夫』のおまじない。柔らかほっぺを両手で包み、額に唇を落とす。キスというより本当に触れるだけ、これでどれだけ自分が安心できたことか。まあ本人は寝ているが。
「私も寝よう!」
食事会まで仮眠することに決めた高梁は意気揚々と階段を上る。そんななか、あれだけ触られても起きなかった男が密かに目を開けていた。
「……ちゅーされなかった? 俺、今……」
夢? と自身の感覚を疑いつつ、日出は二度寝の姿勢に入る。食事会まであと四時間、寝過ぎても良くはないが休息は大事だと目を瞑った。起きたときに、高梁の顔が見れない気がすると思いながら。
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