7/4 封じ込まない【Day4.触れる】

 風呂上がりは忙しい。

 手早く且つしっかりとスキンケアを終えたあとは、幾度となくブリーチやパーマを施した傷みがちな髪にいかにダメージを与えず乾かすかという作業が待っている。それらを完了させ日課としているストレッチをしている御堂斎みどういつきの背後に大きな影が浮かび上がった。

 座り込んで開脚をし、上半身を倒して股関節のストレッチをしている御堂に、森富太一もりとみたいちが盛大にのしかかったのだ。


「……太一、重い。どいて」

「今日の筋肉チェックさせてくれるんならどくけど」

「えー? ストレッチあとじゃだめなの?」

「駄目、今すぐ、早く」


 御堂は渋々といった風に上半身を起こして(それに合わせて森富も起き上がる)、開脚していた足を閉じた。長座の体勢だ。そして森富は背後から御堂の両腕を掴む。丁度、上腕二頭筋あたりの部分だ。


「おお~、すごい! でも、最近腕のトレーニングしてない?」

「全体的に減量してるから。あと二キロくらい落としたいんだよ、てか落とせって話になったの。筋肉つけ過ぎって」

「そうなんだ。良いのになあ、ムキムキのいっちゃん、カッコいいのに」

「ナチュラルに服の下から胸を触ろうとすな!」


 着ていたTシャツの裾に伸びた森富の手を御堂は叩き落とす。胸じゃなくて腹だよ! と叫ぶ森富であったが信用はまったくできない。出会って初めての風呂場で問答無用で胸、もとい胸筋を触ってきた男だ。あれから三年以上も経つのか、経ったところで何も変わらないどころかより図々しくなっている。御堂は溜息をついた。

 この三年で宿舎を引っ越し銭湯に通うことはなくなったが、御堂は森富の行動を無理に止めることはしない。銭湯通いの頃は、御堂の風貌及び声音で本気の抵抗をすると異性への痴漢行為だと勘違いされる恐れがあったため堪えていた。だが宿舎の風呂場を使うようになっても本気の抵抗を御堂はしない。慣れてしまった、ということなのか。


「……なんか大事なものを失った気がする……」

「え、だ、大丈夫? 取り戻すために俺に協力できることある……?」

「元凶はお前だよ」

「嘘⁉ ごめん!」


 謝罪しつつも御堂の胸筋を揉む手は止めない森富だ。そう言えばずっとこんな感じだ、と御堂は回顧する。

 メンバー内では末っ子ということもあり、このあどけなさの残るモデル体型の男前は甘やかされまくっていた。勿論御堂も甘やかしていた自覚はあるし、そもそも筋肉を触らせる行為だって甘やかしである。他のメンバー相手だったら本気の抵抗も辞さない──いや、まあ高梁透たかはしとおるアレクサンドルや桐生永介きりゅうえいすけに本気で頼まれたら断れない気もするが、それは兎も角。


「うん、でも良いなあ、いっちゃん」

「何が? ……ぐぇ」

「なんでそんな潰れたカエルみたいな声」

「自分より十センチもでかい人間に押し潰されたらそんな声も出るわ……」


 しかも腹に手が回っている状態で。すごい圧迫感である。ただウエイトに関しては、このモデル体型の男前末っ子に関してまったく身長と見合っていない数字を叩き出していることは知っている。太れない体質ということを思い出し、何となく御堂は納得した。


「筋肉つかなくても良いじゃん、ぶよぶよって訳じゃないし。むしろしゅっとしてる」

「でもさあ……やっぱ、憧れるよ。いっちゃんとか、のでさんとか、永ちゃんとか見てると」

「のでさんは無駄がないよな体に。永介と僕は体質的に筋トレするとすぐ筋肉つくから、まあそれで困ることもあるけど」


 現に減量を言い渡された御堂だ。体重管理は入社した当初より行っているため別に苦でも何でもない、だが常に細い体をキープできる人間を羨ましく思う気持ちもある。

 それこそ森富は年齢のこともあるかも知れないが、人より多く食べても太らないし逆に筋肉も付きづらい。体が厚くなりづらい体質なのだ。


「羨ましい、綺麗な胸筋がつく人種になりたかった」

「だからと言って胸を揉みしだくな! 甲高い悲鳴を上げてやろうか⁉」

「宿舎内だからほぼ確定でスルーされるよ……」


 森富のもっともな意見に御堂は黙った。どうせいっちゃんだろ、とか言われている図が簡単にイメージできる。森富が叫んだらそこそこの人数が様子を見に来るだろうに。不公平である。


「良いなあ……」

「それを言うなら、僕だってもっと低い声が良かった」

「……ごめんなさい」

「や、僕も結構ずるいこと言った。ごめんね」


 女性らしい顔立ちも、女性如しな声音も今の御堂にとっては武器だが長らくコンプレックスのひとつだった。もっと男らしい顔立ちなら、もっと低い声だったなら、そう考えてはたらればなんて無意味だと目を瞑り耳を塞いだ夜は少なくはない。誰しもコンプレックスを封じ込んで生きているのだ。


「これで良かったと思って生きるしかないことはわりとあるよ。それが唯一無二の武器になることもあるし。とみーは、ちゃんと他人にとって羨ましい人種だよ。これが慰めになるかどうか知らんけど」

「なんか、くだらないこと言ってごめんね、いっちゃん」

「くだらなくはないでしょ。少なくともとみーにとってくだらなくないんなら、僕にだってくだらないことじゃない」


 ちょっとした引っ掛かりを無視すると大きな問題も無視する癖がついてしまう。それはよろしくない、それだけは絶対にやめさせたい、そう御堂は思ったのだ。


「だからいつもで管巻いてよ。いつもで聞くから」

「いっちゃん、ありがとう……」

「どうい──だからあ! 服の中に手を突っ込むんじゃねえよお前は!」

「今なら良いかなと思って……」

「いつでも良くないんだわ! ばか! 離れろ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る