7/2 親愛なる君へ雑な扱いを【Day2.透明】

「と、う、め、い、ですね」

「高速道路?」

「はい?」

「ん、いや、何でもない」

「……なんですか、もお」


 東名と言っても通じる相手ではなかった、と南方侑太郎みなかたゆうたろうは己の発した雑な相槌を恥じた。相手は入社するまでほとんどの期間を異国の地で過ごしてきた男だ、日本の高速道路の名前なんて知るはずもない。

 そんな異国の地より出でし男こと高梁透たかはしとおるアレクサンドルは、歌割のシートにフリガナを振っている。日本に訪れて早五年、日本語を勉強し始めたのはその一年前からなので勉強歴は六年だが漢字は依然不得意だ。

 というかややこしいよなあ、日本語、と南方は同情すらしている。読み書きにおいて用いられる文字が三種類ある、というのは世界的にも珍しい部類だ。発音は少ないが同音異義は多いし、こうして高梁が読みに四苦八苦している姿を見る度に書き文字に依存しているなあと考えてしまう。依存を自覚したところでどうにもならないのだが。


「ゆうくん、楽しいですか?」

「なにが?」

「や、私のことずっと見てるじゃないですか。つまらなさそうに」

「うん、つまらなさそうに、そうだね」

「じゃあ楽しくないんじゃないですか」

「……別に楽しいとは一言も言ってないけど。まあ興味深いなって」

「interesting? なんで?」

「自分の無意識を解剖されてる感じがして、興味深いよ」


 南方の言葉に高梁は、はぁ、だの、へぇ、だの曖昧な返事をして再度作業に集中する。

 実際南方が高梁と一緒にいる意味はないのだ。本社の作業部屋のひとつにいるふたりだが、この部屋は元々高梁が作業のために予約をとったものであってそこに南方が同行する予定はなかった。たまたま南方が本社で行う予定だった打ち合わせの時間が押し、暇潰しついでに高梁の作業を監督しているだけなのである。

 勿論、監督業もまともに行ってはいない。コンビニで買ったアイスコーヒーが氷ばかりになり、新しいのを買いに行こうかなあとぼんやり考えるくらいしかしていない。


「ゆうくん、ゆーたろー、みなかた!」

「最初のだけで分かるわ。どうした?」

「『透明』は『とうめい』ですよね、『透』は『とおる』なのに」

「だね、不思議だね」

「なんでですか?」

「分かんない」

「え、慶櫻なのに?」

「学歴関係ないだろこれ」


 確かに学歴キャラもといインテリキャラとして芸能界を生きているが、何でも知っている訳ではないのだ。特に日本語というのは、理屈が通じないところが多々ある。まあ言語というものはそういうものではないだろうか。全部文法で説明できるなら、日本人はもっと英語が得意になっているはずだろう。

 閑話休題。作業を終えた高梁は、シートの端に「透」という漢字を書き始めた。意外と上手い。自分の名前というのは書き慣れすぎて崩れやすくなりやすいものなのに、と南方は考えて、そもそも漢字で自分の名前を書く歴は浅いことに気付いた。こいつ、母国ではアレクサンドル・ニコラエヴィチ・モロゾフだったわ。


「モロゾフはとても寒いという意味です」

「実家は寒いの?」

「ロシアは大体どこでも寒いです。北海道はいい勝負だと思う時もあります」

「緯度の問題としては確かに、そりゃそうだ」


 思い出されるのは去年の冬のアリーナツアー。北海道公演は確かに他の都市に比べると格別に寒かった。ツアー初日公演だったというのに。


「私のロシアの家の周りは、冬になるとあらゆるものが凍ります。キラキラしていて、夏まで周りは凍っています。マーマはそれを見て、『透』という名前に決めたそうです」

「素敵。良い由来だね」

「……いい名前ですか?」

「由来は素敵だけど良い名前かと訊かれると……」


 わざと語尾を濁した南方の椅子を高梁は蹴る。分かりやすい怒りの表明だ。揺れた椅子にしがみつきながら南方は「冗談だよ」と笑った。


「良い名前、名は体を表してるってくらいには似合ってる」

「……最初からそう言えば良いのに」

「本当にね。じゃあちょっと俺は飲み物買ってくるよ、高梁は? なんかいる?」

「水がいいです。おごってください」

「奢り前提かよ。別に良いけど」


 そう言いながら出て行った南方の背を横目に、高梁はスマートフォンで自分たちの公式プロフィールを検索する。毎日少しずつ漢字ドリルで学習している高梁だが、メンバーの名前は先に書けるようになりたいと密かに練習していたのだ。

 比較的簡単な、佐々木日出ささきひのではもう書ける。でも弟の水面みなもは『面』の字が少し難しい。森富太一もりとみたいちも比較的優しいが『富』の字で躓く、桐生永介きりゅうえいすけはまだ書ける方だ。御堂斎みどういつきは最早絶望的だ、最後の壁ということにしたい。土屋亜樹つちやあきも難しい、『樹』の字が何度書いてもこんがらがる。月島滉太つきしまこうたの『滉』の字も少し難しい。そして南方侑太郎は──


「まあ、最後でいいよね」


 ぽろっと出た独り言が日本語だった、それだけで少し嬉しくなってしまう。

 御堂斎が綺麗に書けたら書いてやってもいい、なんて少し高飛車な考えを巡らせつつ南方の帰りを待つ。……仮に、彼が水を買って帰ってきたら今日からでも名前を練習してやってもいいかな、なんて思いながら。


「で、水は?」

「お茶しかなかったんだもん」

「うそばっかり!」

「嘘じゃねえわ! お前が売店見て来いよ!」


 案の定(予想とは違った形だが)水を買ってこなかったため、予定通り南方の名前の練習は最後に回されることになったのである。ペットボトルの中で揺れる、緑の濁った液体を眺めながら、変なところでツイテない人だなあと高梁は心中、日本語でひとりごちた。

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