watch i Fine ~7月の彼の日常~

7/1 無自覚の丁寧【Day1.傘】

「つっきーの傘って高そうだよね」

「なんやねん、いきなり」


 佐々木水面ささきみなもの発言にそんなことを言いつつ、月島滉太つきしまこうたはまとわりついた水滴を振り払うように、傘を横に振る。宿舎の玄関先でのことだ。依然雨は降りしきり、靴どころかズボンの裾まで濡れている始末。歩いて五分の本社から帰ってきただけでここまで濡れるとは思わなかった、と水面は溜息をついた。

 月島は傘を畳まず、そのまま傘立てに突っ込む。一瞬姿を消したと思いきや、メンバーの佐々木日出ささきひのでが購読している新聞──それの古いものだ──をひとつ持ち、再度傘を手にして脱衣所へ入っていった。どうやら傘を乾かすつもりらしい。

 大事に扱っているなあと水面は感心した。思えば月島が傘の水滴を払う際、傘の開閉を利用したり先端の部分を地面に叩きつけるようにして揺すったりすることはなかった。知り合って七年が経とうとしているが、彼のそんな姿を水面は一度も見たことがない。


「じいちゃんからの貰い物やねん、大事にせなかんやろ」

「プレゼントってこと?」

「うん、傘って縁起物やろ」

「そうなの?」

「そうだよ。広がってくやん、使う時。あれが縁起ええんやって。骨は八本が好まれる、末広がりやからな。傘寿のお祝いに傘渡すんはそのまんまやけど」

「なるほど~」


 良いことを聞いたと満足げな水面だがちょっとした違和感を覚え、首を傾げた。ん? なんだろう、自分は何かに引っ掛かってる、なんだろうか。考えつつ電気ケトルで湯を沸かす。温かいものが飲みたくなったのだ、月島はどうするかを問うと「コーヒー頼んます」と返事が返ってきた。ダイニングテーブルに突っ伏していたため、大分声がくぐもっている。


「あ、分かった」

「何が?」


 ドリップコーヒーをふたつ淹れ終え、水面は自分が抱いていた違和感の正体に気付いた。あのね~と語りつつ紫のマグカップを月島の前に寄せる。メンバーカラーで揃えたマグカップだ、水面の手元には月島と同じ形のオレンジ色のそれがある。


「おじいさんからのプレゼントって言ってたけど、別につっきー、どんな傘でも丁寧に扱うよねって」

「……そうなん?」

「じゃない? ビニール傘でも雑に扱ってるとこ見たことないよ~」


 フルトン等ブランド品もあるが、通常ビニール傘と言えばコンビニで売っているその場凌ぎの商品だ。下手すれば一回こっきりの使用に耐えられるか、耐えられないかといった程度の品質。まあ最近はなかなか悪くないが、自然の猛威はそれを常に上回ってくる。

 この間、メンバーの土屋亜樹が濡れネズミとなって帰ってきたことを思い出す。買ったビニール傘が突風ですぐに壊れ、ほとんどの道のりを濡れて帰ったそうだ。よくある話、だけど月島に限ってはそういうエピソードがまったく見当たらない。


「突風ん時は合羽やろ、傘は危ないんよ」

「折れるから?」

「うん。傘の骨はあんま強うない、風雨激強ん時に傘持ってくんのは逆に濡れに行くようなもんやで。つか外出るな、そんな日に」

「ごもっともで」


 そういう日に外へ出ないことがそういう日でも、そういう日だからこそ外に出ないといけない人達の助けになる、と月島は言った。正論だ、隙も綻びも見えないくらいの正論。


「まあオレらはどっちかっていうと『そういう日でも』側の人間やけどな」

「一回台風の時に収録あって滅茶苦茶押さなかった? なんだっけ、なんか音楽の特番」

「あったあった、脅威の三時間押し。もう二度とやりたないわ、あんなん」

「途中で停電したのがきつかったよね~」


 押した三時間はほぼ待ちぼうけだったのがより辛かった、と月島は語る。でも少しわくわくした、とも。分からなくはない、不謹慎だが少しだけメンバーみんなで行ったMTのことを思い出したのだ。同じグループになってすぐの動画撮影、今では美しい思い出の内のひとつだ。


「みなもんも高い傘買ったらええんとちゃう?」

「ん? 話飛んだね?」

「飛んだな。物を大事に扱うためには、それを『大事な物』にするのが一番手っ取り早いやろ。ちなみにオレのじいちゃんから貰ったあの傘は三万くらいする」

「さん、っ⁉」

「もっと高い傘もあるで? 銀座の和光とか行ってみ、ようさんあってビビるから」

「……ちょっとぼくには~ハードルが高いかも~……」


 傘で三万、確かに日用品としての使用頻度を考えるとなくはない金額かもだが、水面としては「壊したらどうしよう」という感情より「盗まれたり失くしたりしたらどうしよう」という感情の方が大きい。

 月島は理解しているのだろうか、今自分が「高い傘を~」と話している相手はメンバー随一の失せ物発生マンということを。


「せやったわ! あーじゃあ無理やな、一生無理」

「一生は言い過ぎ、お前、それはライン越えてる」

「一生コンビニの八百円のビニール傘でも使っとればええんや、お前なんかは」

「くっそ、地味にコンビニでも高い方の傘じゃん……! 雨降り出して安いの全部売れちゃった後のやつじゃん……!!」

「ワンチャン走ればいけるんちゃう⁉ っていう憶測が完全に足引っ張ったやつやな」


 みなもんらしいわ! と月島は呵々と笑う。完全に煽りモードだ。腹が立つ。

 膨れ面となった水面はゆらりと立ち上がり、自分の分だけコーヒーのお代わりを入れた。月島が何を言おうが完全に無視。もっともこの冷戦は三十分もせずに治まったのだが。

 尚、この後佐々木水面がとあるアート系の雑誌で連載を持つことになった際、お祝いと称して月島滉太から四万近い傘を送られることになり度肝を抜くのだが──それはまだ、ちょっと先の話である。

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