第15話 小説家、豊後紅子

 2053年12月31日

 O学園の3年生、増上寺大輔ぞうじょうじだいすけ伝馬成明でんましげあきを殺したあとに猛烈な恐怖感が湧いてきた。成明は常日頃から大輔をイジメてきた。イジメられた者は何をしてもいい世の中になったのだから、大輔はボーガンで成明の家の近くで奴を殺した。

 伝馬の父親は広域暴力団、『伝馬でんま組』の組長だったのだ。

 

 伝馬紀之でんまのりゆきは自室で小泉八雲こいずみやくもの短編小説『死骸にまたがる男』を読んでいた。

 離縁され悲しみと怒りの中に死んだ女があった。心臓は止まり、体は氷のように冷たくなっているのに、他に死の兆候がなかった。誰も女を葬ろうとしない。それには訳があって、女は男への復讐のために男が帰ってくるのを待っていたのだ。近所の人たちは、恐れをなして逃げ出した。女が死んだとき男は旅の途上だった。戻ってきて、その話を聞かされ、男は恐怖に駆られた。暗くならないうちに助けてもらわないと、女に八つ裂きにされると考え、辰の刻に陰陽師の元へ飛んでいき、助けを乞うた。陰陽師は死んだ女の話を知っており死体も見ていた。陰陽師は男に向かって、できるだけ助けたいが私の言うことは何でも聞くように、言い聞かせた。助ける方法はただ一つしかないが、それは恐ろしい方法だった。男は身震いしたが、やることを約束した。


 日暮れると陰陽師は男とともに、死体の置かれる家へ赴いた。入ることを躊躇する男に、陰陽師は「女を見ることぐらいではすみませんぞ!なんでも従う約束だったじゃないですか。入りなさい!」と強く促した。陰陽師は男に死体にまたがるよう言い、馬に乗るように背中に座り両手で髪をつかみ、朝までそうしているよう指示した。たとえ一瞬でも髪を離そうものなら、女はあなたをずたずたに引き裂くと言い、不可思議な言葉を死体の耳元に囁くと、男だけを残して戸を閉めると出ていった。


 男は暗い恐怖に包まれながらも、死体にまたがっていた。夜のしじまが支配するころ、男はとうとう悲鳴を上げそれを破った。するとたちまち、死体は男の下で、男を振り落とさんばかりに躍り上がった。死んだ女は大声で「ああ、なんて重いんだろう!で、あいつをすぐにここに連れてこなくちゃ!」というが早いか、すっくと立ちあがり、外へ飛び出した。男は女の背中で目を閉じ、うめき声をあげられないほどの恐怖に襲われながらも、八つ裂きにされる恐怖から女の髪をしっかりと腕に巻き付けていた。どこまで行ったのかも男には分からなかったが、暗闇の中で女のはだしのぴちゃぴちゃいう足音と、走りながらひょうひょうという息づかいのだけを聞いていた。女は家に引き返すと床の上に横たわり、男の下で鶏が鳴くまで喘ぎうめいていたが、その後、静かになった。


 男は陰陽師が来るまで、歯をならしながら女の上にまたがっていた。陰陽師は、男が髪を離さなかったことを喜び、もう立ち上がってもいいと男に言い、再び死体に何かささやいた。そして男に向かって言った。「恐ろしい一夜を過ごされたことでしょう。でも、他に救う道がなかったのです。これかたはもう、女の復讐は心配されなくてもよろしい」と言った。


 物語が終盤に差し掛かったとき表で悲鳴が聞こえてきた。窓の外を見るとゾンビの仮面を被った奴がボーガンを両手で構えて息子を射抜いた。紀之は呆気にとられた。息子はアスファルトにうつ伏せに倒れている。

「成明!」と、紀之は泣き叫んだ。

 紀之は内線電話で部下の堂馬どうま馬尾ばびを呼んだ。堂馬はケンドーコバヤシ、馬尾は宍戸開ししどかいに似ている。

 堂馬は息子を学校の不手際で亡くしている。

 息子のじゅんはO学園に通っていた。3年前の7月、弓道部に所属していた潤は猛暑にも関わらず、校則で買い食い禁止だったので水を買うことが出来ずに熱中症で亡くなってしまったのだ。最初は意識があり、病院に駆けつけたとき『水筒の水がなくなって、コンビニに寄ろうとしたら先生に見つかって買えなかった』と話していた。

 堂馬が伝馬組に入ったのはO学園に復讐することが目的だ。包丁やロープで襲う勇気がなかった。ヤクザになれば銃を手に入れられるかも知れない。そう、思ったのだ。

 馬尾は、過去の選択と償いという重荷を背負うヤクザだ。彼は仲間たちとの絆を再結集し、堂馬と街の支配権を巡る戦いに立ち向かう覚悟を持っている。

 紀之は、カリスマ性と生ける伝説としての名声を持つヤクザだ。

「おまえら、息子を助け出してくれ」

 紀之の顔は青褪めている。

「オヤジはここにいてください!」

 馬尾は株を上げるために命すら投げ出す覚悟だ。

 馬尾は武器庫から匕首あいくちを取った。堂馬はトカレフを取った。

 ソ連国営トゥーラ造兵廠の銃器設計者フョードル・ヴァシリエヴィチ・トカレフ(Fedor Vasilievich Tokarev、1871-1968) が、1929年に開発した「TT-1930」が原型である。トカレフは、その生涯に多数の銃器類を設計しており、自動小銃開発にも早くから取り組んだことで著名な人物であるが、最も広く知られる「作品」は、このTT-1930拳銃である。


 1920年代のソ連では、軍用拳銃として、ロシア帝政時代からの制式拳銃である「ナガン・リボルバー」が用いられていた。しかし、ナガンは大きく重いうえ、ガス漏れ防止機構を備えるなど、リボルバーとしては構造が複雑過ぎ、生産性の悪い旧式銃であった。また、ロシアには、第一次世界大戦中からロシア革命による戦後の内戦期にかけて、モーゼルC96やコルト M1911など各国から様々な種類・口径の拳銃が流入し、装備統一の面からも好ましくない混乱状況にあった。ソ連陸軍はこの問題に対処するため、1928年から軍用自動拳銃開発のトライアルを開始した。


 F・V・トカレフは、帝政ロシア時代からの長いキャリアを持つ銃器設計者であった。彼は、やはり帝政時代からの歴史がある名門兵器工場のトゥーラ造兵廠に所属していたが、このトライアルに応じ、1929年に自ら設計した自動拳銃を提出した。テストの結果、トカレフの自動拳銃は、外国製拳銃や、ブリルツキー、コロビンなどソ連国内のライバル拳銃を下し、1930年に「TT-1930」の制式名称で採用され、1935年まで生産された。


 トカレフの設計した拳銃は、アメリカのコルト M1911(いわゆる「コルト・ガバメント」)のメカニズムを多く取り入れながら、極限まで単純化を図ったものである。コルトの特徴であるショートリコイル撃発方式は、強力な弾丸を安全に発射でき、しかも、比較的簡素なことから多くの大型拳銃に模倣された。トカレフもこれを踏襲し、コルト同様に銃身全体をカバーする重いスライドを備え、外見はコルトM1903やFN M1903に近くなった。


 多くの部品を極力一体化し、可能なら省略することで、部品点数と組立工数を削減している。直線形状のグリップはネジではなく内側から板バネ状のレバーで留め、ハンマーからシア、ディスコネクタに至る機関部はアッセンブリー化されているなど、生産性を高め、工具無しでもたやすく分解できる設計になっている。


 多くの自動拳銃は、最終弾の発射後やスライドの脱着操作時に位置を固定する「スライドストッパー」を側面に備えている。これは、通常ならフレーム内側からパーツを充てて留められているが、トカレフは、スライドストッパーの軸をフレーム反対側まで貫通させ、露出した小さな板バネ状の割りピンで留めて、脱落を防ぐ単純な構造にしてコストと工数を削減した。後にこの構造を参照した拳銃も多い。


 他の共産主義国家の軍用拳銃にも見られるように、鋼板プレスの縦筋入りグリップ中央には、円で囲まれた星のマークが入っている。これは、共産圏国家でライセンス生産やコピー生産された多くのトカレフ系拳銃にも共通する外見的特徴となっている。スライド後部側面の指掛け部分は、細溝と太溝を交互に組み合わせたデザインで、厚い手袋をしたままでもスライドを引きやすいように作られている。トリガーガードも、大柄なソ連兵士が革手袋を填めて射撃する状況を考慮して、かなり大きめに作られている。


 馬尾は伝馬邸を出たところを、大輔にボーガンで射抜かれてしまった。胸の辺りに突き刺さり、馬尾は即死だった。紀之は馬尾が事切れるとともに、腰が痛くなってきた。

「アテテテ……」

 大輔は今がチャンス!と、思った。ボーガンをさらに紀之の頭を目掛けて射た。グサッ!

 紀之はヨロヨロと倒れた。

 堂馬は恐怖のあまりに動けなくなった。

 周囲にある家からぞろぞろと人が出て来た。

 大輔は恐るべき速さでその場から立ち去った。

 大輔は陸上部だ。彼は実家の道場で剣道を続けてきたが、ある日のお祭りで見たO学園の陸上部の迫力ある走りに魅了された。

 大輔は、自身の未知の可能性に挑戦するため、陸上部への入部を決意した。

 陸上競技は、大きくは「走る・跳ぶ・投げる」の3つの種目に分かれる。 自分にあった競技を選び、自分の目標記録に向かって自分のペースで練習に取り組むことができる。 自分の限界に挑戦し、その結果、自分自身で自分の成長を感じられることが、陸上競技の一番の魅力だ。

 しかし、彼には走ることに必要な体力や速さが足りない。そんな彼を見かねた陸上部のキャプテン・佐藤真司は、大輔の才能を見抜き、彼を指導してくれることとなった。


 大輔は佐藤から厳しいトレーニングを受けながら、日々努力を重ねた。仲間たちとの絆を深めながら、大会での好成績を目指している。しかし、壁にぶつかることも多く、苦悩や挫折も経験した。成明も陸上部で、何かにつけて大輔を標的にしてきた。

『足引っ張ったら、蹴るからな!』

 最初は脅しだと思ったがマジで蹴られた。

 さらに成明は『嫌いだ』『部活やめろ』と悪口や罵倒を繰り返した。すれ違った際に『きもい』と言いながらごみ箱を蹴飛ばしたこともあった。大輔は部活にイケなくなり、佐藤から『サボるな!』と叱られた。

 大輔は適応障害と診断された。

 成明が死ねば部活に復帰出来るかも知れない!そう、思って成明を殺した。

 

 樹は自宅で小説を読んでいた。

 📕『記憶の扉 - 高校教室の奇妙な冒険』

 物語は、ある高校の普通の教室から始まる。主人公は、高校生の田中美優だ。彼女はある日、教室の後ろの扉が突然開いて、異世界へと続く道が現れる夢を見る。


 美優は興味津々で教室に戻るが、驚くべきことに、夢で見た通り、扉が実際に存在する。彼女は友人たちを誘い、危険な奇妙な冒険に出ることを決意する。


 教室の扉をくぐると、美優たちは様々な場所や時代へと飛ばされる。彼らは、歴史の重要な出来事や架空の世界を訪れ、さまざまな困難や謎に立ち向かう。


 物語は、美優たちが各地で出会う人々との交流や、教室の扉を通して見えるバラバラの世界を通じて展開される。彼らは、仲間と協力しながら、教室の扉の秘密や自分たちの目的を解き明かすために戦う。

  

 作者は何と紅子だ。京都駅前の喫茶店『ボルタ』にいたあの女はやはり、紅子に違いない。全くの別人なのだが、樹は思い込んでいる。

 樹は忘れ物があることを思い出し、O学園に向かった。今夜は紅白歌合戦を見る予定だ。寒いから早く戻ってこよう!コートを着て自転車を漕いで学校に向かった。

 守衛さんがいないから無理だと途中で気づいた。遂にボケたかな?樹は情けなくなった。

 自宅に帰る途中で群馬県警の市川あきらに遭遇した。

「アレ?どうしたの?」

「アケビタウンの方で事件なんですよ……」

「そうなのか……」

 家に帰ると電気がつけっぱなしでヒヤヒヤした。

 電気代がヤバい!

 紅白は随分前に引退したはずの宇多田ヒカルが特別出演する。

 チャイムが鳴った。客は鷲尾英子と卜部だ。

 3人で年越し蕎麦を食べながら課金制の紅白を見る予定だ。最近のジャニーズには興味がないので、不老不死の技術を手に入れた細川たかしの『北酒場』を見ようと思ってる。

 英子は台所で年越し蕎麦を茹でている。

 樹は卜部と将棋をすることにした。

 2人はテレビの前で手持ちのお菓子を食べながら、様々なアーティストのパフォーマンスを眺めている。

 しかし、彼らは単に観るだけでは飽き足らず、何か別の遊びをしながら楽しみたいと思っていたのだ。そこで、樹は卜部に提案した。「将棋をやろうよ!」

 卜部は興味津々で応じた。「いいね!将棋は手軽にできるし、紅白の合間にちょうどいいね」

 2人はコタツの中にある折りたたみ式の将棋盤を広げ、駒をセットした。樹が先手、卜部が後手となり、本格的な対局が始まる。


 紅白の出演者が交代していく度に、2人は手を動かし将棋を進めていく。時折、テレビの画面に視線を移しながら、音楽に耳を傾けた。


 彼らの将棋の手は、音楽のリズムに合わせるように早くなったり、静かになったりする。時には手を止め、アーティストの感動的な歌声に魅了されながら、一瞬盤面に目を奪われることもある。


 それでも2人は、プレイすることで互いを刺激し合い、紅白と将棋の両方を楽しんでいる。そして、勝敗よりも、この特別な夜を共に過ごすことに喜びを感じていた。


「出来たわよ!」

 英子の元気そうな声がキッチンから聞こえてきた。  

 年越しそばには人参やネギが入っていて美味かった。出汁はほんのり醤油味。

 細川たかしは老化の影響を受けず、一度も衰えることなくステージで歌い続けてるので樹は感心した。


 市川は屏風ヶ浦びょうぶがぶらって変わった名前の家にやってきた。波平さんみたいなハゲ頭の中年が雉の剥製が飾られた洋間のソファで白目を剥いていた。ベージュのセーターに真っ赤な染みが出来ている。現場をよく調べたらソファの後ろに空薬莢が落ちていた。

「仏さんは射殺されたようだ」と、市川。

 傍らに立っていた新人刑事、ぶなが昭和の刑事みたいなモジャモジャヘアを掻き上げながら、「ホシは伝馬親子を殺した奴らですかね?」と言った。

 伝馬邸の押し入れに隠れていた辺春べはるってスキンヘッドに樗は、渋沢栄一のお札を渡しながら『ガイシャを殺った奴らを知らないか?』と問い詰めた。

『まだ、下の毛が生えてないようなガキだった』と白状した。

「ガキが銃なんか持ってるかな?」

「こんな酷い時代ですよ、虐待とかイジメに遭った奴らなら買うんじゃないんすか?」

「児童相談所に問い合わせてみよう」

 市川は業務用のケータイで児童相談所に掛けたが、年末なので繋がらない。 


 年明け、ぼらって名前のオバチャン相談員に応対してもらった。

「銃を手にしてそうな青年ね……アッ、彼なら」

 そう言って、鰡はパソコンに記録したデータを見せてくれた。佐藤真司ってイケメンだ。かつてはO学園に在籍していたが、今は成人してパン工場で働いているらしい。佐藤は母親から根性焼きなどの虐待を受けており、小5のときに親をナイフで反撃しようとしたことや、伝馬組のフロント企業であるクラブでバイトをしていた過去もある。

 また、被害者の屏風ヶ浦拓哉がO学園の教師であることも突き止めた。屏風ヶ浦は弓道部の顧問だが、佐藤は陸上部出身だ。屏風ヶ浦のクラスではなかったが、何らかの接点はあったはずだ。


 1月7日の午後4時、O市の近くにあるY町にあるパン工場の前で市川と樗は張り込んでいた。覆面パトカーの助手席で樗はキリギリスチップスを食べていた。「すげー匂いすんな、それ?」市川は運転席で顔を顰めた。普通、運転は新人の仕事だが超がつくほど運転が下手だ。

『俺はまだ死にたくないよ~』と、ジーパン刑事の真似をしながら市川は怖がった。

 佐藤が工場から出てくる。彼はシャトルバスに乗り込んだ。市川はシャトルバスを追尾した。

 途中、トラックに邪魔されたからヒヤヒヤしたが何とかY駅前まで追えた。バスがロータリーで停まる。佐藤が立ち上がったのを樗は見逃さなかった。樗はドアを開けて、佐藤を追った。佐藤は列車に乗り、U駅に向かった。U駅からほど近いところにあるバーに入った。ヤバそうなのがたくさんいるが、佐藤はジャブをやったり、銃取引をする気配はなかった。佐藤は「アンタ、ずっとつけてたでしょ?」と、トイレに立った樗の背後から声を掛けた。ずっと我慢してたから小便がたくさん出た。

「あれ、バレてた?」

「尾行下手だな?」

「そりゃ確かに昔は悪いことたくさんした。けどね、今は更生したんだ」


 一方、堂馬はレンタカーで京都に向かっていた。京都には古い知り合いがいるので、そいつに匿ってもらうことにした。屏風ヶ浦を撃ち殺したのは堂馬だ。伝馬組は規律が厳しく、武器の無断持ち出しは厳禁だった。あのガキには感謝しないといけない。目の上のたんこぶの馬尾も死んだことだし、O市を、いや群馬を自分のものにするのも夢じゃない。

 屏風ヶ浦は死ぬ寸前、『昔、紅子って女がいたんだが奴はいい女だった』とセールスマンを装った堂馬に言った。  

 信号が青から黄色に変わった。速度を落とし、ブレーキを踏む。交通違反したら警官に職質される、指名手配されていたらエラいことだ。

 赤城山の向こうに太陽が消えつつある。

潤が亡くなった日もこんな綺麗な夕焼けだった。

 彼が産まれたとき、堂馬は泣きながら笑って抱きしめた。赤ちゃんの手は己の手に包まれてしまうほど小さい。一緒に虫取りしたり、花火大会で肩車してやったり、反抗期のときは塾をサボって友達とカラオケで遊んでいたから引っ叩いた。彼がハタチになったら一緒に酒を酌み交わしたかった。

 信号が青に変わった。


 

 

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