第6話 京都大捜索、留守死す

 🔗第3話とリンク

 7月10日

 給食のあと、3年7組の教室で卜部はルービックキューブで遊んでいた。屋外ではアブラゼミがジージー鳴いている。

 有吉殺しのときは右面(Right)、及川殺しのときは上面(Up)、邦子殺しのときは中段の回転(S)、毛塚殺しのときは上面(Up)のテクニックが行われていた。4つの頭文字を揃えるとRUSUになる。

 そう、卜部は推理した。留守は無断欠席している。親はどういう躾をしているのだろうか?


 夜、卜部は寺町通をマウンテンバイクで散策した。ヘルメットの着用が努力義務になったので、黒いメットを買った。留守宅は寺町通にある。寺町通は京都市の南北の通りの一つ。北は鞍馬口通から南は五条通まで。全長約4.6km。途中の三条通で以北に比べ以南は西に少しずれており、真っ直ぐではないのが特徴。平安京の東京極大路ひがしきょうごくおおじに当たる。

  

 都の東端の大路であったが、右京の衰退や相次ぐ戦乱等によって京都御所が移転してきたため、現在は京都御苑の東を限る通りとなっている。豊臣秀吉による京都改造によって天正18年、通りの東側に寺院が集められたことからこの名前になった。本能寺もこの時、現在の中京区元本能寺南町からこの通りに移された。寺町三条にある通りのずれは、ここに大寺である誓願寺が現在の上京区元誓願寺町から移されたため生じた。


 寺を集めた目的は、税の徴収の効率化と京都の防衛であった。東の御土居に沿うように寺を配置することで東から進入する軍勢の戦意の低下をねらったと言われる。急遽移転させられた寺院の負担が大変であったことがルイス・フロイスの『日本史』に書かれている。鴨川に近く、狭隘な敷地が多かったためしばしば水害や火災に見舞われた。この頃、洛中北部にも、聚楽第の北辺を守る形で京都改造の一環として同じく寺院集中地区である「寺之内」が形成されたが、寺町と違って水害の不安の無い高燥地で、法華寺院のしかもいずれも大寺が配置されたため、寺町との環境の差は歴然としていた。このため、寺町の寺からは「奉行の前田玄以が法華宗だからいい場所を法華寺院に与えた」との不満が出たと伝えられるが、実際は寺町にも本能寺や妙満寺などの法華寺院が移されていた。相次ぐ火災に見舞われて江戸時代中期以降には寺地を寺町から洛東に移す寺院もあり、例えば真如堂も元禄の大火の後、寺町今出川付近から現在の左京区に移っている。


 かつては南北方向の主要な通りの一つであり、今出川通から二条通にかけては京都電気鉄道(のちに買収され京都市電)中立売線(二条・丸太町間)・出町線(丸太町・今出川間)の路面電車が走っていた。1920年代に河原町通が拡幅されると、市電のルートもそちらに移るなどメインストリートの座を譲った。市電の廃線後、しばらくは代わって市バスが通っていたが、それも廃止され、現在は騒音に悩まされることない静かな通りとなっている。


 丸太町通から二条通までは、古美術店や画廊、古書店などが並ぶ寺町会の商店街である。御池通から四条通に至る区間は、アーケードの商店街となっており、日中は車両進入禁止である。御池通から三条通までは、寺町専門店街であり、新京極通と平行する三条通から四条通までは、修学旅行では必ず訪れるとされた寺町京極商店街である。また、四条通から高辻通にかけては、小規模の電気街であったが、近年は郊外型や大阪梅田・京都駅近辺の大型家電量販店の台頭で衰退、最後の大型店舗であったエディオン寺町店が2021年2月末で閉店、電気街としての歴史を事実上閉じることとなった。跡地はマンションなどが建設されている。


 現在、御池通から四条通までが路上喫煙等禁止区域である。


 インターホンを押したが留守は留守のようだった。電気も点いていない。

 矢田寺やたでらにやって来た。京都市中京区にある西山浄土宗の寺院。山号は金剛山。本尊は地蔵菩薩。通称矢田地蔵と呼ばれる。


 平安時代初期、大和国の矢田寺の別院として五条坊門に創建され、以後、寺地を転々とし、天正7年(1579年)に現在地に移されたといわれている。


 当寺の梵鐘は六道珍皇寺の「迎え鐘」に対し、「送り鐘」と呼ばれ、死者の霊を迷わず冥土へ送るために撞く鐘として信仰される。正平14年(1359年)に鋳造された梵鐘は戦時中の金属供出により失われ、1973年(昭和48年)に新鋳された。


 ここにも留守はいなかった。


 古き良き日本の文化が息づく町。しかし、その美しい風景の中で、留守は猟奇的な犯罪を繰り返していた。


 10日の夜、留守は自らの犯行を隠すため、京都を後にする決意を固めた。彼は神秘的な鴨川を渡り、夜の街を徘徊しながら逃走を試みた。


 警察は彼の犯罪を追い、彼が逃げ込む可能性のある場所を徹底的に探索していた。留守はその知識を利用し、人混みの中に紛れ込むことで警察の目を欺く。


 そして留守は、京都の名所の一つである金閣寺にたどり着いた。ここには人々が訪れる観光スポットであり、留守にとっては非常に都合の良い場所だった。


 やがて、警察の捜索が金閣寺に及ぶ。留守は一瞬逃げ場を失ったかと思われたが、彼の冷酷な計算と機転が働く。


 彼は金閣寺内で仮面祭りが行われていることを知り、自身も一人の参加者として紛れ込む。仮面に変装した留守は、人々の中に溶け込みながら進んでいく。


 警察も参加者の中に潜む留守を見つけるために全力で捜索を行うが、彼の巧妙な変装に隠された真実を見破ることは困難だった。


 留守は徐々に金閣寺の門を遠ざけ、世界遺産を抜け出す。警察の目を欺きながら、彼は逃亡の路を進んでいく。


 京都の町は深い夜景に包まれ、留守の足跡は次第に遠くに遠のいていく。彼の逃走劇は終わりを迎えつつあった。


 しかし、留守の心には満足感よりも不満が漂っていた。自身の存在を隠し通すことができたが、彼はまた新たな獲物を求めて次の街に足を踏み入れることを決意するのだった。


 奈良という古都。文化と歴史が息づくこの町に、ある恐ろしい事件が起きた。


 11日、奈良にあるフリースクール『明日の希望学園』では、4人の問題児が学校内で殺害されるという衝撃的な事件が発生した。五十嵐正孝いがらしまさたか(24)、本田杏ほんだあん(19)、浜野五郎はまのごろう(31)、丸山圭まるやまけい(16)。学園は悲しみに包まれ、保護者たちや市民は衝撃と怒りを覚えた。


 警察はすぐに捜査を開始し、犯人を特定するために全力を尽くした。学校の内外には緊張感が漂い、誰もが不安と疑念に包まれた日々が続いた。


 捜査の進行に従い、警察は被害者と関係の深い人物を徹底的に調査し始める。生徒たちの友人や教師、学園のスタッフなど、怪しい点や動機を探りながら、真相に迫っていく。


 しかし、事件の真相は予想を超える衝撃的なものだった。捜査の中で浮かび上がったのは、被害者たちが学園内で行われるいじめに関与していたことだった。


 そう、被害者たち自身がいじめに加担していたのだ。彼らは自身の悪事や過去の行いを葬るため、犠牲者となった仲間を選んで殺害していたのだ。

 五十嵐は杏をナイフで刺し、杏は浜野をハンマーで殴り殺し、浜野は丸山をプールで溺死させ、丸山は五十嵐を学校の屋上から突き落としたのだった。


 事件解決後、学園は長い間傷ついたままだったが、この残酷な真実を知った保護者たちは驚きに加え、憤りを覚えた。


 彼らは学園の体制や教育の在り方に疑問を抱き、改革を求める声を上げる。フリースクールとしてよりよい環境を作り、生徒たちが心身ともに健康に成長できるようにするために、地域の人々が協力することとなった。


 奈良の風景は変わらず美しく、古都の歴史と文化は今も息づいている。しかし、この事件を経て、明日の希望学園は新たな未来を切り開く決意を抱き、再び希望を取り戻すための歩みを始めたのであった。

  

 樹は人生の岐路に立たされていた。

 弟の英樹ひできは教員専用の派遣会社『サリバン』で働いていた。英樹は滋賀にある事業所で働いていた。15日の昼過ぎ、樹は琵琶湖近くの事業所にやって来た。

 英樹は樹と7歳違う。

「あの学校は怖過ぎて、これ以上はいられない」

「力になれるよう全力を尽くすよ」

 樹は弟の優しさに泣きそうになった。

 

 それから3年後、比叡山で白骨化した留守の遺体が発見された。

 

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