自由意志
「まさか御主が生き延びるとは。やはり人間の自由意志とは興味深いものだな」
今や、奏多以外の住民は全滅している。彼女は晴れて自由の身だ。無論、それは大きな代償を伴った。奏多はディランの亡骸を寝かせ、それから涙を拭う。そして彼女は眼前の超存在を睨みつけ、激昂する。
「アンタ、一体なんなんだ! あれだけの人が苦しんで、ディランも死んだ! 全部が全部、アンタの望んだことか!」
彼女が憤ったのも無理はない。今、彼女の目の前にいるアバターの持ち主は、この街で起きたこと全ての元凶なのだ。一方で、エレムにはまるで反省の色が無い。彼女の無機質な表情は、どことなく冷たく見える。
「それは違うぞ。妾は自由意志を重んじる。ゆえに妾は、あまり度を越した介入を好まない。万物を適度に管理し、適度に放任する――そのどちらにも傾倒しない中庸な存在こそが妾だからだ」
「アンタがこんな街を生み出さなければ、オレたちはあんな風に傷つけ合わずに済んだんだ!」
「だが御主たちは皆、それぞれの大義を掲げて戦っていた。誰も傷つかず、誰にも傷つけられずに成し得る大義は無い。そして大義が犠牲を伴う限り、この世に絶対の正義は無い。ゆえに自由意志は尊いのだ」
もはやこの女には、話し合いは通じなそうだ。それでも奏多は、怒りを見せずにはいられなかった。
「オレたちの自由意志は、アンタのための見世物じゃねぇ!」
そう叫びながら、彼女はエレムのアバターに殴りかかった。無論、その拳はアバターをすり抜けてしまう。奏多は何度もアバターを殴ろうと試みたが、その行為が意味を成すことはない。
「無意味なことを。それよりも、早くこの街を出なくても良いのか? 次の住民が補充されたら、御主はまた戦わなければならないぞ」
「黙れ! アンタを殴らせろ! これだけの人々を苦しめたアンタは、一度生身の体でぶん殴られるべきなんだ!」
「生身の体か。あいにく、妾にそんなものはない」
言うならば、エレムは概念のような存在だ。奏多がいくら憤りを見せたところで、眼前の超存在には何の影響も与えないだろう。奏多は唇を噛みしめ、肩を落とす。
「アンタは本当に、何も感じねぇんだな。アンタに、人の心なんか期待したオレが愚かだったよ」
「では一つ、妾から提案がある。その提案を呑むか否かは、御主の自由意志に委ねよう」
「……なんだよ」
色々な経験を経て、彼女は疲れ切っていた。そんな彼女からしてみれば、全ての元凶に等しい人物など信用に値しないだろう。
直後、エレムはとんでもない提案をする。
「御主自身が望むのであれば、御主がこの街で過ごしてきた記憶を抹消しても良い。父親は行方不明のままで、御主はディランやアトスのことをそもそも知らない。そうなれば、御主は今ほど傷つかずに済むだろう」
確かに、ハコニワシティでの記憶を失えば、奏多も幾分か楽にはなれるだろう。しかし彼女は、決してそんな選択を取りはしない。
「オレは、ここでの記憶を背負って生きるよ。ディランはオレのために死を選んだんだ……それを忘れてのうのうと生きることなんか、オレには出来ねぇ」
それが彼女の望みだ。それが彼女の覚悟だ。それが彼女の、たった一つの答えである。
「それで、奏多……御主はこれから、どうするつもりだ?」
エレムは訊ねた。奏多は深いため息をつき、彼女との話を続ける。
「当然、ディスペアと戦うに決まってるだろ。それより、オレがもう百回時間を巻き戻したら、やっぱりこの街に連れ去られるのか?」
「ああ、そうだ」
「……やっぱり、アンタはどうかしてるよ」
そう言い残した奏多は、時計を模したような魔法陣を展開した。
――そして彼女は、ハコニワシティを後にした。
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