因縁

 無数の魔物が周囲を囲う。以前よりも増して強くなった彼らを前に、ディランの足がすくむ。ここで戦わなければ、彼に命の保証はない。

「行かなきゃ……決戦の地に!」

 ディランは半ば怯えつつも、その恐怖に抗った。彼は歯を食いしばり、五体ほどの魔物を剣で薙ぎ払う。まさにそんな時、彼の目の前に一人の女が現れた。

「ディラン! こっちだ!」

 奏多かなたの登場だ。彼女はこちらに手を伸ばし、ディランの手を掴もうとしている。

「ありがとう! 奏多!」

 ディランは咄嗟にその手を掴んだ。直後、彼の体は勢いよく腐り始め、その呼吸は荒くなった。その目の前で、奏多は悪意に満ちた笑みを浮かべている。否、彼女は実際には奏多ではない。その姿はすぐに、シドのものへと戻った。

「こんな使い方もあるんだなぁ……ラピスの魔法は!」

 そう――ラピスの力を手に入れた今、彼は自らの姿を変えることが出来るのだ。そしてまんまと彼の罠にはまったディランは今、かつてない危機を迎えている。力尽きたディランは膝から崩れ落ちるが、眼前の宿敵から目を離そうとはしない。

「僕は……君を許さない。君だけは、今度こそ君だけは、殺さないといけない!」

 彼がその事実に気付くには、あまりにも遅すぎた。すでに全身がただれ、呼吸が整わなくなっている彼に、もはや勝算は無いだろう。


 その時だった。


「背中がガラ空きだ、マヌケ!」

 どこからともなく、奏多の声がした。彼女はシドの背後に姿を現し、彼の背中に深い切り傷をつけた。

「テメェ……!」

 不意を突かれたシドは、奏多の方へと振り返った。直後、彼の死角から、屠熊とぐまの拳が襲いかかる。

「ぐわぁっ!」

 突然の不意打ちに対処できず、シドはそのまま殴り飛ばされた。彼は己の頬をさすりつつ、おもむろに立ち上がる。彼の目の前には今、奏多とディラン、そして屠熊が立っている。


 屠熊は言う。

「ここはこの大神屠熊おおがみとぐまに任せて先に行け! 奏多! ディラン!」

 何やら彼は、この場を引き受けてくれるようだ。奏多は小さく頷き、ディランの方に手を伸べる。

「行くぞ、ディラン」

「先に行ってて。今の僕はボロボロだ……連れて行ったら足手まといになる」

 それがディランの答えだった。無論、それで彼を置き去りにする奏多ではない。

「は? アンタは馬鹿か?」

「え……?」

「アンタみてぇなお人好しはな……命が重いんだよ。アンタ自身が思ってる以上にな」

 そう言い放った彼女は、ディランの手を強引に引っ張った。彼女は彼に肩を貸し、その場を去っていった。


 いよいよ、シドと屠熊が決着をつける時である。

「これで邪魔者は消えた。だがテメェはいたぶられたところで音をあげないだろう。だからオレ様は、テメェを容赦なく殺す!」

「その言葉が聞きたかった。この大神屠熊とお前の戦いに、遠慮など要らない。友よ、そして最大の敵よ……ここで全てを終わらせよう」

「望むところだ、筋肉野郎」

 両者の間に、不吉な風が吹き抜ける。シドは己の周囲を魔物で囲い、先ずは守りを固めた。屠熊はそこに飛び込み、巧みな体術で魔物たちを一掃していく。小刻みなジャブからのアッパーカット、相手の鳩尾への膝蹴り、そして背骨を粉砕する肘打ち。彼の流れるような攻撃は、魔物たちをこれでもかというほどに翻弄していった。やがて彼の視界は開き、すぐ目の前にはシドの後ろ姿が現れた。先程奏多から刻まれた切り傷は、もう彼の背中にはない。ラピスの魔法により、彼はすでに再生したようだ。


 そして屠熊は、ラピスの魔法への対処法を知っている。

「一撃で仕留める……!」

 彼は瞬時に間合いを詰め、シドを殴ろうとした。しかし攻撃を直視していないはずのシドは、その一撃を軽々かわしてしまう。

「ラピスを取り込んだオレ様はよォ……テメェの動きを記憶しているんだ」

 そう囁いた彼は、余裕に満ちた笑みを浮かべていた。

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