自由意志

 奏多かなたとて、闇雲に父親を信じているわけではない。彼女の考えには、彼女なりの理由がある。

「オレの親父なら、この街の住民のほとんどを殺せるはずだ。だが、現に住民たちは生きている。親父はきっと、今もオレの知る親父だ」

 そう――少なくとも今この瞬間に至るまで、彼女の父親は何も行動を起こしていないのだ。ステラは肩をすくめ、それから奏多に地図を手渡す。

「確かにキミの父親からすれば、ここの住民たちを泳がせておくメリットはないな」

「だろ? だからオレの親父も、この街で暮らしていくことを……」

「それはどうかな?」

 何やら彼女には、まだ反論があるようだ。

「なんだ? まだオレの親父が敵である可能性を疑ってるのか?」

 そう訊ねた奏多は、半ば呆れたような顔をしていた。無論、ステラは無意味に奏多の父親を疑っているわけではない。

「ワタシは幾度となく、この街で暮らすことを選んだ人間を見てきた。そして彼らは皆、別の誰かに殺されるか、あるいは殺しに手を染めるかのどちらかだった」

「なんだと……!」

「この街のルールは絶対だが、人間の自由意志は脆い。現実とはそういうものだ」

 そう語った彼女は、妙にシニカルな微笑みを浮かべていた。その言葉に、奏多は決して納得できなかった。

「オレたちの自由意志は崇高だ! オレの親父だって、そんなヤワな奴じゃねぇ!」

「仮にもしキミの父親が生きていたとして、彼はキミよりもうんと長い時間この街に潜んできたはずだ。そんな彼が人間の悪意に毒されていないと、何をもって断言できる?」

「甘いな。ロジックだけが全てじゃねぇ。人間の自由意志ってのは、理屈じゃ測れねぇもんだろ!」

 普段は飄々としている彼女も、今は心の底から熱くなっている。その目の前で、ステラはいつものように深いため息をつく。彼女は奏多と比べ、遥かにこの街のことを知り尽くしている身だ。

「そうか。そんなキミに、ちょうどいい魔術がある」

「なんだ?」

「ワタシがこの街で見てきたことの全てを、キミの脳に流し込もう」

 ステラは魔法陣を展開し、奏多の頭に手をかざした。直後、奏多は酷い頭痛に苛まれ、頭を抑えながら息を荒らげ始めた。

「こ……これは……」

 彼女の脳裏に、様々な映像が流れ込む。それらはこの街で繰り広げられた数多の死闘と、自由意志を粉砕された者たちの末路だ。ステラの言っていた通り、ハコニワシティでは数多くの人間が自由意志を掲げ、そして悪魔に心を売り続けてきたようだ。


 ステラは魔術を解き、悲哀を帯びた愛想笑いを浮かべる。

「キミが父親を信じたいと願うのであれば、それは嫌というほど理解できる。だが、キミが父親を信じようと言う自由意志は、ワタシには到底理解できない」

 数多の悲劇を監視してきた彼女がそう考えるのは、至極当然のことである。それでも彼女の言い分には、まだ反論の余地がある。

「それなら、アンタは何故、今もこの街の住民を救おうとしている? やり方は間違っていても、アンタの自由意志は決して死んじゃいねぇ。そうだろ? ステラ!」

 そう――今奏多の目の前にいるのは、曲がりなりにも全ての住民を救おうとしている女だ。ステラは度肝を抜かれたような表情を浮かべ、数瞬ほど固まった。それから彼女は、囁くような声で沈黙を破る。

「……そうだな。人間の自由意志を脆いと断ずるには、まだ早すぎる。キミの言う通りだ、奏多」

 意外にも、ステラは自分の誤りを訂正できる人柄であった。彼女の反応に対し、奏多は思わず笑みを零す。

「オレはアンタのやり方は気に食わねぇが、アンタの自由意志を信じている。そしてディランのも、オレ自身のもな」

「そうか。ならワタシは、キミの自由意志だけは信じよう」

「ああ、ありがとよ! じゃあ、行ってくるよ」

 ステラに別れを告げた奏多は、すぐに研究所から飛び出した。

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