理性

 その時だった。

「目を覚まして、奏多かなたちゃん」

 奏多の脳内で、アトスの声が響き渡った。奏多はすぐにその手を止めた。結晶の大剣の切っ先は、ディランの胸ではなくその横の地面に突き刺さった。この光景を目の当たりにし、リサはただただ驚かされるばかりだ。

「馬鹿な……アタイの魔法を、克服したのか!」

 彼女は何度も目を光らせ、殺意の上書きを試みた。奏多は歯を食いしばり、己の脳を汚染する殺意に抗っていく。

「オレは……ディランを殺さねぇ! 絶対に、アンタの思い通りにはならねぇぞ! リサ!」

 彼女の両腕は震えている。彼女がほんの少しでも気を抜けば、その自我は殺意に呑まれてしまうだろう。


 その傍らでは、今もなお殺意に呑まれている男たちが死闘を繰り広げている。もはや彼らの目には、理性など微塵も宿っていない。言うならば、二人は殺戮マシンに変えられてしまったようなものだ。


 己自身の殺意と、彼らの死闘――奏多がそれらを止める方法は、ただ一つだけだ。

「オレは無駄な殺生は好まねぇが……アンタは一線を超えた!」

 そう言い放った奏多は、リサの方に目を遣った。無論、リサ自身はあまり戦闘能力に恵まれた人間ではない。そうとあれば、彼女が真っ先にすべきことはこれだ。

「ゆ、許してくれ……奏多! そ、そうだ、取引をしよう! アタイがいれば、アンタはもうシドと戦わなくて良い! だからどうか、アタイを許してくれないか! この通りだ! 本当に申し訳なかった!」

 その謝罪はあまりにも必死であり、それでいて惨めだった。当然、奏多がそんな取引に応じるはずはない。彼女は結晶の大剣を構え、リサの方へとにじり寄っていく。

「おいおい……誰がそんな言葉を信じるんだ? この街は、やるかやられるか……そして欺くか欺かれるかだ。アンタに慈悲は要らねぇなぁ! リサ・アルカナム!」

 こうなればもはや、リサは絶体絶命だ。謝罪も無意味となると、彼女に残された道は一つである。

「ま、また会おう! 奏多!」

 そう告げた彼女は、慌ててその場を去っていった。ディランとの戦いで疲弊している奏多には、その後を追う余裕などない。奏多は深いため息をつき、屠熊とぐまたちの方へと目を遣った。リサが離れたことにより、二人は正気を取り戻している。

「これ以上は、この大神屠熊おおがみとぐまか、あるいはお前のどちらかが死ぬ。勝負はお預けだ……シド!」

「ああ……オレ様たちが殺すべきは、あのリサとかいう邪魔な女だけだ。全ての準備が整ったら、テメェを玩具にしてやるよ」

 理由は違えど、両者ともに殺生を好んでいない。シドは満身創痍の体を引きずり、その場を後にした。その光景を前にして、奏多は深いため息をつく。

「おいおい……テメェら二人とも、ボロボロじゃねぇか。拠点まで連れていくのに苦労しそうだ」

 彼女はそう言ったのも無理はない。ディランは気を失っており、屠熊も本来ならば立っているのがやっとの有り様だ。


 無論、それは屠熊が常人であった場合の話である。


 屠熊は右腕で奏多を抱え、左腕でディランを抱える。

「さあ奏多。この大神屠熊を、お前たちの拠点に案内しろ」

 そう言い放った彼に対し、奏多は半ば呆れていた。

「おいおい……アンタのスタミナは底無しか? アンタの居た世界には、永久機関があるのかも知れねぇな」

「まあ、褒め言葉として受け取っておくとしよう。さあ、案内を始めろ」

「はいよ」

 相手の指示通り、彼女は案内を始めた。屠熊は二人を抱えたまま、高層ビルへと歩みを進めた。



 やがて屠熊は部屋の前に到着し、二人を降ろした。さっそく、奏多は彼に指示を出す。

「ベッドは一部屋につき、ダブルベッドが一つだ。アンタは隣の部屋を使え」

「それなら、男女で分けた方が良いだろう」

「ダメだ。オレはディランをからかいてぇからな」

 この期に及んでも、彼女は相変わらずだった。

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