悪魔の囁き

 奏多かなたたちが屠熊とぐまと話していると、そこに一人の少女が現れた。

「皆さんごきげんよう」

――リサだ。戦うことに消極的だった彼女が何を企んでいるのかはわからない。屠熊は怪訝な顔をし、首を傾げる。

「リサか……なんの用だ?」

 彼は訊ねた。その背後で、奏多たちも彼女を警戒している。リサは妖艶な微笑みを浮かべ、屠熊の耳元で囁く。

「シドが本気を出すところ、見たくない?」

 その提案は、奏多とディランからすれば、世にも恐ろしいものだった。しかしシドの強さを知らない屠熊は、その提案に興味を示している。

「可能であれば、本気のシドとやらと戦ってみたい」

 当然、奏多たちは彼の発言に猛反対する。

「やめておけ。アイツはまるで本気を出していないのに、赤子の手をひねるようにオレたちを弄んだような猛者だぞ」

「そうだよ。せめて、先ずはいつものシドと戦ってみてから考えても……」

 二人がそう考えるのも無理はない。奏多たちにとって、シドはこの街有数の強敵だ。そんな彼女たちを横目に、屠熊はリサとの話を続ける。

「リサ。お前がこの大神屠熊おおがみとぐまに声をかけたということは、何かアイツを本気にさせる手段でも持っているということだな?」

「もちろん。まあ、楽しみに待っていると良いさ」

「ああ、奴と戦うのが待ち遠しいな」

 こうして話は成立してしまった。奏多は苦笑いを浮かべ、愚痴を零す。

「おいおい……せっかく仲間を見つけたというのに、状況が悪化しちまったぞ。本気のアイツと戦うなんて、命がいくつあっても足りやしねぇ」

 その傍らで、ディランも不安に満ちた表情を浮かべている。

「奏多! 僕たち、シドに殺されちゃうのかな……」

「まあ、そう焦るな。オレたちはまだ、屠熊の実力を知らねぇ。今のオレたちに出来ることは、屠熊の力を信じることだけだ」

 こうなればもはや他力本願だ。二人は一旦、屠熊を信じてみることにした。

「それじゃ、行ってくるよ」

 そう言い残したリサは、路地裏を後にした。



 数十分後、リサは街角でシドと遭遇した。シドは舌なめずりをし、不気味な笑みを浮かべる。

「ほう……新しい玩具か。まさか相手の方からオレ様の目の前に現れるとはな。それとも、まだこの街に来たばかりで、オレ様のことを知らねぇのか?」

 無論、その可能性は考えられる。リサがこの街に迷い込んでから、まだ日は浅い。しかし彼女は、現にシドのことを把握していた。その背景には、彼女自身の立ち回りの上手さが関わっている。

「アタイはエレムに、この街の情報を聞いたのさ。何も知らない住民よりも、色々な情報を把握している住民の方が積極的に戦えるからねぇ。だけどアタイは、アンタと戦うつもりはない」

 そう――彼女は己とエレムの共通の利害を見いだし、ゲームを有利に進めようとしていたのだ。シドは彼女の胸倉を掴み、その体を持ち上げる。

「戦うつもりはない? テメェ、自分の身の安全だけは確保できると思ってるんじゃないか? オレ様はなぁ、そういう人間を痛みつけるのが何よりも好きなんだよ。エレムもそれをわかっていて、わざとテメェにオレ様のことを話したんだろうよ」

「ま、待ってよ。実はアンタの首を狙っている男がいるのさ。早いうちに芽を摘んだ方が、アンタにとっても得じゃないか?」

「その損得勘定は、オレ様が負けるかも知れない可能性を前提としているじゃないか。ずいぶんとナメられたモンだな、オレ様も!」

 怒りを覚えた彼は、リサを地面に叩きつけた。それから彼は波を放ち、リサの体を腐食させていく。命の危険を感じた彼女に残された道は、ただ一つだ。

「シド様……もうおやめください。私は貴方に付き従います。このゲームを、貴方の勝利に導きます」

 そう言い放った彼女は涙目だった。シドは攻撃をやめ、深いため息をついた。

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