愛国心と悪意

 クリフとシドは、真っ白な空間で目を覚ました。彼らはまだ、己の自我を失っていないようだ。そして二人は本能的に、この空間の正体に勘付いている。

「俺たちは相容れないぜ。だから消えてもらうぜ!」

 そう叫んだクリフは、シドに勢いよく殴りかかった。シドはその一撃をかわし、相手の腹に膝蹴りを食らわせる。クリフは前方に伸ばした腕を瞬時に曲げ、眼前の強敵の背中に肘打ちをする。今のこの状況こそ、まさしくステラの言っていた「複数の自我が干渉し合っている状態」なのだろう。

「ヒャハハ! 消えるのはテメェだよ、クリフ! そしたらテメェの魔法も、オレ様のものになる!」

 事もあろうに、シドはこの現状を好機と捉えていた。彼はクリフの背後へと回り込み、そのまま相手の首に腕をかけた。首を絞めつけられているクリフは少し取り乱したが、咄嗟にシドの腕から抜け出した。

「全てはメフィア王国のため!」

 そう叫んだ彼は、地についた手を軸に己の体を回転させる。彼の両足によって足元を崩されたシドは、その場に崩れ落ち始める。

「ヒャハハ! 小細工ばっかりだな、テメェの戦いは!」

 シドは重力を利用し、クリフの上体にのしかかった。彼の拳は、幾度となく相手の顔面を殴り続ける。クリフの顔は血で染まり、その呼吸は荒くなっていった。無論、彼も防戦一方ではない。

「なんの重みもないぜ、オメェの言葉には!」

 強気な発言をした彼は、迫りくる拳を掌で受け止めた。直後、クリフはそのまま相手の手首を捻る。咄嗟のことに対応できなかったシドは、今度こそ仰向けに倒れてしまう。クリフはすぐさま、彼の体に馬乗りになった。


 これで一先ず、形勢は逆転した。


 クリフは勢いよく拳を振り下ろした。その拳は、シドの顔面に叩きつけられる。一発、また一発と、シドは顔を殴られ続ける。その鼻腔と口元からは、色鮮やかな鮮血が滴っていく。そんな状況下においてもなお、彼は笑い続ける。

「ゼェ……ゼェ……確かに、オレ様にはテメェのような大きな目的はねぇな」

「ああ、そうだぜ」

「だが、背負うものが大きすぎるテメェは、迷いを抱えている! 一方、至極シンプルに加虐嗜好を貫くオレ様は、迷いとは無縁だ!」

 加虐嗜好――それがシドの強みだ。その瞬間、クリフは己の腹から大量の血が流れ出していることに気づいた。彼がふと目線を下に向けると、彼自身の腹部にはシドの右腕が貫通していた。シドは右腕を勢いよく引き抜き、邪悪な微笑みを浮かべた。クリフはその場で意識を失い、ノイズのようなものをまといながらその場から消え始めた。そんな彼の手を掴み、シドは笑う。

「テメェはまだ楽にはならない。オレ様の中で永遠に飼い慣らしてやるよ」

 その一言と同時に、クリフの消滅は止まった。



 *



 シドとクリフの戦いは終わった。奏多かなたたちの目の前にあった肉塊は蠢き、シドの姿を象った。否、それはもう肉塊ではない。言うならば、彼は「クリフを取り込んだシド」に他ならないのだ。


 その事実に誰よりも驚いたのは、ステラである。

「……キミは心身ともに弱っていたはずだ。何故、キミが蘇るんだ?」

 そう訊ねた彼女の表情に、恐怖心は宿っていなかった。彼女はむしろ目を輝かせ、好奇心を露わにしている。一方で、シドの目は奏多たちに向けられている。その眼光が孕んでいるものは、純然たる悪意だ。

「ヒャハハハ! さっそく、アイツの力を試してみるか」

 彼がそう叫んだのと同時に、その周囲には五体の魔物が生み出された。何やら彼は、クリフの力を完全に我が物にしたらしい。奏多とディランは数瞬だけ見つめ合い、それから強敵を睨みつける。しかし、当のシドにはあまり戦意が無い。

「今回は、魔物どもに任せてみよう」

 そう言い残した彼は、すぐにその場を後にした。

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