苦痛

 アトスはすぐに瞬間移動し、奏多かなたたちの拠点に姿を現した。彼女の目の前では今、奏多とディランが高熱にうなされている。二人は額から汗を流しつつ、己の頭を押さえこんでいる。すでに、エレムは行動を起こしているようだ。

「奏多ちゃん! ディランくん!」

 アトスはすぐにしゃがみこみ、二人に手をかざした。彼女の周囲には無数の魔法陣が浮かび上がるが、奏多たちが回復する様子はない。アトスは酷く取り乱し、一心不乱に魔法陣を展開していく。無論、その行為が意味をなすことはない。


 そこに現れたのは、二人の人物だ。

「ヒャハハハハ! テメェがどんな手を尽くそうと、エレム様には敵わないぞ! アトス!」

 一人はシドだ。そしてもう一人が誰であるかは、もはや言うまでもない。

「アトス。御主がいる限り、奏多たちは生きたまま苦しみ続ける。このままでは、彼女たちはもはや死ぬことすらままならない」

――エレムだ。アトスは肩を落とし、虚ろな目となった。無論、そんな彼女の心情を理解しているエレムは、更に追い打ちをかけるようなことを言う。

「幾度となく妾を倒そうとしてきた御主であれば、妾に歯向かうことの無謀さを嫌というほど理解しているだろう」

 全ての元凶であるエレムは、今もなお生きている。それはまさしく、彼女が無敵の存在であることの絶対的な証明であった。奏多は震える両腕で己の上体を持ち上げ、必死に声を張り上げる。

「アトス! アイツの口車に乗るな! オレたちなら、大丈夫だ!」

 そう叫んだ彼女だが、その呼吸は酷く荒かった。続いて、ディランもアトスを説得しようとする。

「アトス……良いんだ。君に命を張る義理はない。僕の命は、君の命ほど重くはないんだ」

 この時、彼は震えていた。彼は死への恐怖を抱いているが、それ以上に慈悲の心を持っていた。そんな二人の姿を前にして、アトスはなおさら彼女たちを救いたいと考えた。彼女は魔法陣を展開しつつ、エレムを睨みつける。この魔法陣がどのような魔法を発動するためのものなのか――エレムはそれも当然のように理解している。

「ほう……オムニバースのルールを改ざんし、妾の存在を無に還そうという魂胆か。しかし御主の力では、妾を倒すことはできない。妾の設けた摂理により、御主の力がこの街の外に及ぶことはない」

 素人目にはわからないが、両者ともに高度な戦いを繰り広げているようだ。しかしアトスの実力は、エレムの圧倒的な支配力には遠く及ばない。そんな光景を前にすれば、誰もがエレムを倒すことを諦めるだろう。しかし、奏多とディランは例外だ。

「アトス一人では、無理かもな! だがオレたちは、一人じゃねぇ!」

 そんな強気な一言とともに、奏多は勢いよく立ち上がった。しかし彼女は今、高熱と頭痛によって意識が朦朧としている。それはディランも同様だが、彼もまた戦意を失ってはいない。

「僕がシドの相手をする。奏多とアトスは、エレムの相手を頼むよ!」

 彼はゆっくりと立ち上がり、己の右手に剣を生成した。


 奏多は結晶の剣を生み出し、エレムの体を一刀両断しようとした。しかし彼女の剣は、眼前の標的の体をすり抜けてしまう。

「無駄だ。ここにいる妾はあくまでもアバターだ。妾の本体は最上位の摂理と混沌――その概念そのものだ」

 少なくとも、エレムに物理的な攻撃は通用しないようだ。その傍らで、ディランもまた苦戦を強いられていた。彼が生み出していく剣は、いずれも一瞬にして錆の粉末と化してしまうのだ。

「ヒャハハハ! オレ様の魔法があれば、テメェの剣なんざ……一瞬でこのザマだ!」

 そう叫んだシドは、大きく笑っていた。エレムはアトスの真横に瞬間移動し、相手の耳元で忠告する。

「二人を救いたければ、自らの命を捧げるが良い」

 そう言い残した彼女は、シドと共にその場から消えた。

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