第2話 専業作家を目指すな
小説というのは文字媒体です。書くだけなら敷居が低いです。また、初めて書いた小説が商業出版されヒット。そんな成功譚がこの手の話にしては比較的高頻度で聞かれます。
だからこそ勘違いしがちですが、そんな成功譚は10万人に一人とかそんなレベルの幸運です。あるいは天才にのみ許される傲慢です。自分には決して降りかからないものと考えた方が身のためです。凡人が小説家になるためには現実的な努力を何年あるいは何十年と続けなければなりません。その上で十中八九なれません。そこに夢なんてありません。苦い現実しかありません。
小説家という職業に過剰な期待を抱いた人間というのは「なぁに俺には小説があるさ」と実社会と現実から目を背けがちです。そして挙句の果てには退学、退社、ヒキニート化。そんな甘い世界ではなく、また自分には大した才能がないと言う現実を思い知ってガタガタと震えるという絵に描いたような自殺ロードを辿りがちです。
そんなどこか耳に痛いスタイリッシュ自殺を思いとどめさせ、ライフスタイルとしての小説執筆を提案しようという第2話です。
2話からしていきなり技術論ではありませんが、どうしても最初にこの話をしておきたかったので、少しだけお付き合いいただきたいです。
小説というのは働きながらでも書けます。学生なら勉学を、社会人ならば仕事を、頑張りながら並行して書きましょう。
そしてその選択こそが一端の小説を書くための一番の近道です。社会的自殺を思いとどめるためだけでなく、働きながらの方が間違いなく良い作品を書けるので、このような話を書いています。
小説は1個人の全てを費やしてつくる、いわば個人単位の総合芸術です。文章術や脚本術は当然のこととして、人間性というのも磨かなければ人に響くものは書けません。一人よがりなものはいくら出来がよくても受け入れがたく、また、そもそも出来がいいという前提を満たすことが殆どありません。人間性は小説を書く上でのマストピースだと僕は思っています。
近親相姦を繰り返してできた子供は異常な子供になると言われています。小説、そして人間性も同じようなものです。この場合の近親というのは自分と言い換えるべきでしょうか。社会と完全に隔絶した生活を送ってきた人間には分かるでしょうが、そういう生活を送ると人間的成長の機会が絶望的になくなります。人間として成長できなくなります。やはり人間は社会的生物であり、社会と接してこそ苦痛に塗れながらも成長できると言うことでしょう。僕も就職してから大分まともな作品が書けるようになりました。とにかく、社会と、他人と関わり続けるのはマストです。人間性は、もし人に見せられるような物語を書くならば絶対磨いていかなければなりません。他人を知らなければ自分がどういう人間でどういう長所・短所があるのかも本当の意味では分かりません。そんな状態では客観的に見たらおかしな小説しか書けません。
だから、社会と関り続けて常識・良識を錬磨し続けようと言う話でした。人間が大きくなると自ずと書く作品にもそれが反映されます。作品に人を引き付ける力が出てきます。
いきなりヒット作を書く人間というのは、例外はありますが、基本的にある程度人間が出来ているものです。
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