最終話 優しくしてあげない

✳︎✳︎✳︎ 栞side ✳︎✳︎✳︎


 その瞬間は突然訪れたの。

 疾音が未だかつて見たことがない精悍な顔付きで、そう、大事な試合の最終五分で呼ばれた時のような、余裕の無い、真剣な、凛とした顔付きで、あぁ、私が今まで見たことのないスピードで迫ってきたの。


 暴走車のヘッドライトに怯えて硬直した私を、一瞬で数歩踏込み片手で腰を強く抱き寄せてくれた。車道から少しだけ遠ざけてくれた。

 刹那にクラクションをけたたましく鳴らしながら歩道ギリギリを通り過ぎる暴走車。


「ナンバーは○○○○……覚えたぞ」


 お、怒ってる?

 さっきの車に怒ってるの?

 疾音の横顔、あまりの真剣な顔に私が怒られちゃうって思ったわ。『我儘言わないっ!』とか言われちゃいそう……い、言われたいかも……あっ、やめましょう。

 このままだと変な扉が開く音が聞こえてきそうよ。


 あっ、こっちを向いてくれた。


「大丈夫? 怪我は無いよね?」


 いやーん、優しい声! 怒られるかと思った……けど怒っても良いよ。もう、とろけそうよ。何も喋れなく……何も考えられなくなってきた。


「あーーっ、ごめんねー……慌てて栞を抱きしめちゃった……」


 それはもう優しく、慌てず、不快にならないように、不自然にならないように、かといってできる限り迅速に身体の接触箇所をゼロにしてくれている……いや、そこは『怖かったね』とか言って強く抱きしめなさいよ!


 不満よ! 言わないけど疾音を不機嫌に見つめる。すると、困ったようにニコッと微笑む疾音。


 その瞬間、色々な感情がリミッターを超えたわ。

 頭の中の語彙が急速に減少する異常事態が発生中よ!


 素敵っ! 頼もしっ! 好きっ!


「あ、あ、あありがとっ! あの車、事故れっ!」

「ダメだよ。トイレに行きたかったのかもしれないし、奥さんが産気づいたのかもしれない。あまり憶測で悪口を言ってはいけないよ」


 小さな子に諭すような柔らかな声が聞こえる。


 優しっ! 天使かっ! やっぱり――


「――好き……よ」


 あれ?


「すき……?」


 ヤバいっ! 本音がっ! 頬が熱っ!


「……ぎゃー! 違う、いや違わない! いやいや、内面に位置する事象としては確かさを持ち合わせてるけど、体面的には違う……って」


 思わず『違う』って言っちゃった。せめてもっと可愛い言葉出てこいよ……って!


 あーーーーーっ! 疾音の大きな瞳にみるみる涙が!


 やってしまった! 遂に私の言葉がナイフのように疾音の精神こころえぐって傷つけてしまった! 私は今まで何の為に『好き』や『嫌い』という言葉を遠ざけていたのか。こんな事態を引き起こさない為じゃなかったのか。あぁ、血の気が引いていくわ。文字通り貧血になって倒れたい……って、イヤ、ダメだ! まだ倒れるな。事態の収拾を偶然に任せるな!

 えーい精神こころの中の言葉が五月蝿い私!

 今更悔恨の念を抱いても仕方ない! さぁ、疾音を一撃で笑顔にする言葉を一刻も早く紡ぎ出せー!


「違う、違う、そうじゃないのよ! 待って待って、ホントに待っ――」


 私、ダッサっ! 時間稼ぎの言葉しか出てこない!

 何故……って、そうか……私……嘘はつきたくないんだ。

 はやねー……私、どうしたら……?


「――じゃあ『好き』と言いなさい!」


 決壊ギリギリまで涙を溜め込んだ疾音がプンスカしながら叫んでる。

 そうよね……それだけよね……あぁ、今、この一瞬が永遠に思えるわ。


(がくっ)


 そうよね……ならば……ならば聞くが良い! 私の渾身の愛の叫びを!


「あのね……私は唯心論者なのよ。だから……例えば貴女があの自販機に存在が移り変わったとするわ。そしたら、私はあの自販機が世界一大切な存在になるの。分かる? あの……あの自販機が……す……好き……になっちゃうの。どう? 分かった?」


 いやーん、恥ずかしいわ。頬が赤くなってるのが分かるわ。モジモジしかできないのー。

 もう疾音の顔、見られない! でも見ちゃう。


(チラッ)


 あれっ? 疾音、ぽかんとしてる。

 思ったのと違うって顔してるわよ?


「……分からない」

「何で!」

「私……自販機じゃないし……」


 ぎゃーーーっ!

 文芸部所属の、未来の部長候補の自称エースの私の告白が通じないだとーっ!

 あーーーーっ、そんなとこも好きよ、疾音!


「……じゃあ……ほ、本気で説明するわよ。いい?」

「うん……」


(すーっ)栞、息を精一杯吸い込む

(ごくっ)疾音、息を飲む


「貴女の名前を口に出すだけで私は幸せになるの。分かる? 貴女のことを考えただけで私は幸せになるの。分かる? 何故幸せになるかを教えてあげる。貴女が貴女だからよ。学校が一緒とか歳が同じとか、性別とか国籍とか、もっと言うと、見た目とか匂いとか体温とか、そーいうのは関係ない……じゃなくて! あー……正直に言うわ。そーいうのもひっくるめて全てが貴女を構成しているの。貴女を構成する全てが大切なの。だから貴女が……貴女が……貴女が……す……き……って、えーい、私まどろっこしい!」


(にこっ!)


 も、もうダメ、止まらない! 多分私笑ってる。だって幸せなんだもの!


(ぎゅっ)


 そうよ。手も握りたいの、触れ合いたいのっ!


「疾音、私は貴女が大好きなの! 疾音、これは宣言、誓い、いえ、告白よ!」


 遂に告白してしまったわ。

 後悔は……無い!

 ここで一句。

 ねぇ疾音、貴女が好きよ、大好きよ。

 うん、もう照れない、自分に正直になるんだ。だって、こんなに晴れやかな気持ちになれるんだなんて!


 あははっ、疾音の瞳に溜まった涙がヘッドライトに反射してキラキラと光ってる。私の好きな人……陳腐な言葉なんて出てこないほどに綺麗よ。


「栞……」

「何っ!」


(ぱっ!)


 えっ? 何で……手を振り払うの?

 えっ? あれで握り返してくれないの?

 もしかして……私の全力の告白でも疾音の心を動かせなかったの!


『拒絶』


 溢れるように俳句……というか五七五口調で後悔が紡ぎ出されていくわ。


 何故なのよ、貴女の気持ち、分からない

 あぁ終わり、遅かったのね、もうダメよ

 ねぇ疾音、貴女を何時も、傷つけた

 嫌われた、短夜みじかよなのに、夜明けぬ

 どす黒い、別れが私を責め立てる


 それは真の絶望。語るべき言葉は……もう無い。

 もう、甘い言葉を……貴女に語りかけては……ダメ……なの……ね。


「うぇぇぇ……」


 疾音! 涙溜めたまま何笑ってるのよ!

 こちとら、もう失恋に大泣きするしかないんだから!

 引くほど泣いてやるわよ!


「今のはさっきの仕返しよ」

(だだっ、ぎゅぅーっ!)


 えっ、なんで私を抱き締めるの? 仕返し……?


「もう、躊躇してあげない」

「ぇぇ……ん? んーーー⁈」


 あぁ、疾音の息遣いを感じる。

 疾音の暖かな体温を感じる。


「もう、許してあげない」


 これは困った。想定していなかった。

 さっきより力強く抱きしめられてるわ。泣いてた両手の置き場に困るくらいよ……あぁ、疾音。


(ぎゅーっ)


 嬉しさが身体を突き動かすの。

 両手を疾音の首に回して更に密着しちゃう。


 失敗! いや、成功! きゃー、幸せっ!


(ぎゅっ!)


 疾音、私に呼応するように、貴女はもっと力を込めてくれる。あぁ、私の身体は弓形ゆみなりになって更に貴女に密着しているわ。



✳︎✳︎✳︎ 疾音side ✳︎✳︎✳︎



「……だから貴女が……貴女が……貴女が……す……き……って、えーい、私まどろっこしい!」


 言葉が難しくて……でも私が大事って伝えてるんだよね。真っ赤な顔でプンスカしてる栞カワイイ。


(にこっ!)


 うわっ、この凶悪に完璧な微笑みを向けられて落ちない人いないでしょ!


(ぎゅっ)


 いつもより情熱的に手を握ってくれる。栞のいつもより高い体温を両手に感じる。


「疾音、私は貴女が大好きなの! 疾音、これは宣言、誓い、いえ、告白よ!」


 わー、直球キタ! 不意打ちだ! 嬉しい……って、なんか栞は満足しちゃった感じ。

 ほら、告白してあげたわよ、嬉しいでしょ、って感じ。なんか……なんか生まれて初めての感情が湧き起こるわ……イラっとするの。自分だけスッキリしちゃって、なんかムカつくのよ。


「栞……」

「何っ!」


 やっぱりだ。一人でスッキリしちゃってる。私だけ置いてきぼり。これは……少しお仕置きしないと。イジワルしないと。

 んー、どうしようかなー。

 どうしようかなー。

 へへへ、じゃあ手を振り解いちゃおっと。


(ぱっ!)


 あっ、目が点になってる。動き止まっちゃった。妹にイジワルしてる時みたい。そろそろ泣くよ、ほら、ほら、ほら泣いた。


「うぇぇぇ……」


 私にイジワルな言葉を言ったバツだよ!

 んふふ、流石に可哀想かな。じゃあ種明かししたげる。


「今のはさっきの仕返しよ」


 それ、本気のハグを喰らえー!


(だだっ、ぎゅぅーっ!)


 栞が手を握ってくれたら……。

「もう、躊躇してあげない」

「ぇぇ……ん? んーーー⁈」


 栞が何を言っても……。

「もう、許してあげない」


 もう、優しくしてあげない。束縛するかもしれないし、ヒドイことするかもしれない。

 さぁ、少し前の関係に戻る最後のチャンスよ。

 少しでも逃げる素振りをしたら直ぐに離れてあげる。そして永遠に私からは抱きついたりしない。

 栞……栞……どうする……の!


(ぎゅーっ)


 私の栞、何処かに逃げてしまうんだろうと思っていた。違った。逆だった。腕を絡めてくれた。


 あぁ、栞の身体の震えを感じる。

 栞の早鐘のような心地良い鼓動すら感じる。


(ぎゅっ!)


 もう離さない!

 でも、栞が好きだからするの。大好きだからするの。

 だから、覚悟してね!




✳︎✳︎✳︎ 栞と疾音 ✳︎✳︎✳︎


 初めて、やっと、遂に――

――遂に二人の距離が無くなったね


「触れ合うことは素敵ね、疾音!」

「言葉は強いわね。栞、絶対に忘れられないわ!」




 抱き合ったまま恥ずかしそうに、幸せそうに見つめ合う二人のシルエットはヘッドライトに幾度も照らされていた。


End

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きっかけは『究極で完璧な柔らかクリームパン』なのに『未完成で不完全で凸凹な私達』 けーくら @kkura

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