自白剤①


 アルジェントには助けた自覚はなく、ただ水中で溺れていた人間を引き上げただけ。

 ベルティーナも助けたのはアルジェントであって自分は人を探して来ると離れた彼の代わりに側で見ていただけ。二人に溺れていたリエトを助けた感覚がなければ、場所や時期を言われてもピンとこないのも頷ける。

 今度は違う意味で頭を抱えたくなったベルティーナはちらりとアルジェントを見た。リエトの初恋の君が自分とは思わなかった彼は事実を知ってもあまり驚いた様子はなく「そうなんだ」の一言で済ませた。ベルティーナとしてはリエトに色々と思う事はあれど、多少の同情心は抱いてしまった。初恋の相手が女装少年をしていたアルジェントだと知ったら、幾らリエトでも平静を保っていられない。次会った時、否定だけはして事実は伝えないようにしよう。



「アルジェント、殿下に次会った時は言わないでね」

「それはいいけど、あの王子様は諦めないと思うけど?」

「なんとか納得してもらう」



 ずっと探していた少女が女装少年だと知れれば、相手がリエトでなくても多大なショックを受ける。個人としてはともかく、王太子として努力してきた姿を知っているベルティーナからしたら、こんな事でショックを受けて寝込んでしまわれたらどうすればいいか分からなくなる。



「大神官の振りの練習は当日ギリギリまでする?」

「そのつもり。どこでボロが出るか分からないもの」

「無理はしないでね」

「ええ」



 等と口にしてはいるが、内心不安で一杯だ。あまり接した回数のない相手と言えど油断大敵。

 一部でも隙を見せればあっという間に付け込まれ、相手のペースに飲み込まれてしまう。絶対に失敗は許されない。恥ずかしがっている場合じゃない。終わった後に幾らでも枕に顔を埋めて悶えればいい。




 ――翌日も練習をし、長年イナンナの補佐を務めるアレイスターにも空き時間がある度に練習に付き合ってもらった。イナンナの意識は今朝戻っており、イナンナの振りをして自分が場に同席する旨を伝えると苦笑はされても止められなかった。不思議と顔が出ていたのか「ベルティーナちゃんが決めたのなら、あたしからは何もないわ~ただ無理は駄目よ?」と念を押された。

 アルジェント曰くイナンナは人間じゃないから傷の治りは人間と比べて早いらしい。ただ、話し合いの日迄には間に合いそうにもない。


 練習を終え、休憩時間になったのを見計らい冷たい紅茶を運んだアルジェントに訊ねた。



「ねえアルジェント。イナンナ様は人間じゃないと言うけど、人間じゃないなら何なの?」

「本人に聞いて。気配で人間じゃないって分かるだけで、何かまでは俺にも分からない」

「アルジェントと同じ悪魔……な訳ないか」



 悪魔が女神に仕えるとは思えない。が、アルジェントは強ち間違いではないと指摘した。



「ちょっとだけ悪魔の気配がするのは確かだよ。ただ、完全に悪魔だと言われるとそれも違う気がする」



 本当に謎な女性だ。


 休憩時間が終わるとまたイナンナの振りの練習を再開。昨日の今日でイナンナの言動や仕草を完璧とまではいかなくてもかなり近付いて披露する様に訪れたアレイスターを驚かせた。これに奢らず、当日もギリギリまで練習をしていればまずバレない。

 お墨付きを貰った後は大神官なら知っていて当然の知識をある程度教わった。両公爵家が突っ込みを入れて来るとは限らないがイナンナの刺傷は彼等の耳に入っている。大怪我を負っている大神官が同席すれば偽者の可能性を疑われる。事前の策だ。


 そして数日後――アンナローロ公爵家、モルディオ公爵家、国王夫妻、王太子を交えた話し合いの場が王城内で開かれた。


 テーブルに並べられていく紅茶。イナンナ扮するベルティーナの前にも置かれた。内心は緊張で心臓がうるさく、口を開けば襤褸が出そうで艶笑を浮かべるだけにしている。側に控えるアレイスター扮するアルジェントは余計な言葉を一言も発さない。彼なりに緊張しているのか。

 紅茶の味を楽しみながら周囲をさっと見た。両親やビアンコは居心地が悪そうにし、気を紛らわそうと紅茶に手を出し。アンナローロ家の向かいに座るモルディオ家はと言うと至って冷静だ。クラリッサは落ち着かない様子でそわそわしている。ルイジやアニエスは優雅に紅茶を飲んでいる。


 ――飲んだわ


 しっかりと二人が紅茶を飲んだのを見て、ベルティーナはティーカップをソーサーに置いた。これにより皆の視線がベルティーナに集中した。



「これで緊張は取れたかしら~? 体がカチコチな子と至って普通な子と分かれていて面白いわ~」

「大神官、先日信仰者を騙った者に刺されたと聞いておりますが出席して大丈夫なのですか」

「ありがとうルイジくん。心配してくれて。最近、お腹周りが気になってたから、血と一緒に脂肪も流れてくれて助かったの~」

「それは良かった」



 全然良くない! とベルティーナとしてこの場にいたら口にしてしまう。誰も此処にいるイナンナが偽物だと思っていない。口調や言動からイナンナを本物と認識してくれている。

 リエトからの視線が痛いくらい突き刺さるが一瞥でもやれば聡いルイジに気付かれる危険があり見られない。



「イナンナ様、ベルティーナさんは何処にいるのかしら?」とアニエス。

「ベルティーナちゃんは従者くんと安全な場所に避難してもらっているの~」

「避難?」

「だってそうじゃない~?」



 ベルティーナは父クロウを見やった。



「実の娘より、実の妹の子を何よりも優先するあまり娘を排除しようとする親がいる家に置いておけないもの~」

「大聖堂は何時から、家庭の問題に口出し出来る権利を得たのですか!?」

「あらいやだクロウくん~歳を取って短気になってるわよ~」

「はぐらかさないで頂きたい! すぐにベルティーナを返してもらいたい!」

「その前に決着をつけましょう~」



 後ろに控えるアルジェントがそっとベルティーナの椅子を叩いた。合図だ。



「ベルティーナちゃんを修道院にやったと見せかけて、王太子の坊やの婚約者に据えるクラリッサちゃんの『影』として利用する話なんだけど……イグナートくんも賛成だったのよね~?」

「いいえ、私は始めから反対の立場にいます!」

「なっ」



 驚愕に顔を染めるのは父、声に出さずとも瞠目しているアニエス。ルイジがはて? と首を傾げた。



「陛下は賛成したと妻は申しておりましたが」

「ああ、モルディオ夫人が話に加わってから、どうしてか賛成してしまったようなんだ。済まないがその頃の記憶が曖昧で詳しくは覚えてないんだ」



 魅了に掛けられるとその期間の記憶はないか、覚えていても曖昧で明確には覚えられないとアルジェントに教わった。紅茶の仕掛けがしっかりと効果を発揮してくれるか待っているとアニエスは乗ってくれた。



「な、解けないように強めに魅了を掛けたのに何故解けているの!?」



 ハッとなった時は既に遅く。固まり、呆然とする周囲にアニエスは焦りを強くした。



「ち、ちが」

「モルディオ夫人、魅了とはなんですか? 陛下にその魅了とやらを掛けてベルティーナを?」



 王妃に詰られ、言葉にならない声を発しながらも違う、違うと否定するアニエス。険しいかんばせで見つめる国王とリエトは黙ったままアニエスの言葉を待つ。



「何よ、何よ、そっちだってスペード公爵が怖くてクラリッサをお兄様の養女にしたらアンナローロ家とモルディオ家が王太子側に付くと喜んだくせに! あ……ちがっ……」

「……なるほど。そなたの言う通り、その時の私は了承したのだろう。スペード公爵家が脅威なのは事実だ。だが、ベルティーナ嬢を排し、クラリッサ嬢をアンナローロ家の養女にし両公爵家の力を得なければスペード公爵家を抑えられないと甘く見られては困る」



 過去の過ちが無かった事にはならない。未来でどう償うかが大事となる。



「彼女との婚約破棄は……彼女から持ち掛けられた。お互い、利害が一致して協力したんだ」



 思いもよらない国王の発言は違う意味で周囲の言葉を消した。



「……まあ、私の話は今は関係ない。大神官、続きを」

「イグナートくん振られてたのね、可哀想に~」

「違う! た、確かに彼女を誤解していた時期もあった。だがあれはスペード公爵家で冷遇され続け、王太子妃になっても良い事は何一つなく、隣国に行って人生をやり直したいと考えていた彼女なりの精一杯の抵抗だったのだと今では思えるようになった。って、私の話は良いではないか!」

「人を気にさせる話をするからよ~」



 イナンナならきっと食い付くに違いないと敢えて食い付いてみたが、後から正体をばらす際に不敬罪になったらどうしようと内心冷や冷やなベルティーナは意識を切り替え、口を噛み締めるアニエスを見やった。



「ところでね~アニエスちゃん、あたし気になってる事があるの。アニエスちゃんとクロウくんって随分仲が宜しいじゃない?」

「何が言いたのですっ」

「クロウくんは自分の娘より妹の娘をとっても可愛がるでしょう? クラリッサちゃんをアンナローロ家の養女にしたい本当の理由があるんじゃないかって疑問なの。どう?」



「何を馬鹿な!」と父が声を荒げ、否定しようと再度口を開き掛けた矢先アニエスが先に紡いだ。



「クラリッサはお兄様との子供なんだもの!! クラリッサにお兄様をずっとお父様と呼ばせたかったわたくしの夢がやっと叶え……」



 ここでまたハッとなったアニエス。今度は言い逃れ出来ない。強い衝撃を受け、言葉を無くし徐々に顔色を悪くするクラリッサや母、兄の視線は父とアニエスを交互に見ていた。父の方は強い困惑を見せていた。心当たりがないと零す顔色は非常に悪い。



「それは真か? モルディオ夫人」

「あ、ち、ちが、これ」

「違いますよ、陛下。クラリッサは僕とアニエスの子です」



 異議を唱えたのはルイジ。



「だが、夫人はアンナローロ公爵の子だと言うが?」

「アンナローロ公爵夫人がベルティーナ嬢を身籠ったと分かった時、義兄上には種を殺す避妊薬を長期間飲んでもらったので既に生殖能力はありませんよ」

「旦那様……? それは……どういう……」



 薬剤師の言った通りルイジは避妊薬を購入していた。そして予想通り、使用させていのたはアニエスではなく父だった。



「愛しい君のお願いは何でも叶えてやりたいが子供に関しては譲れなかったんだ。義兄上と何度体を重ねても良かったが子供だけは僕と君の子が欲しかったんだ。アンナローロ家には既にビアンコ殿もいて、お腹にベルティーナ嬢がいたのだから新たに子供は必要ないだろう?」



 優しい笑みで紡がれる言葉の全てに狂気を感じたベルティーナは膝の上に置く手を強く握りしめた。



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