私が代わりをする⑤

 

 言い出したからには全力で取り組む。

 別室に入り、イナンナが着る大神官の服を着てみた。大事な場に出る時は露出の高い方ではなく、真面目な方なのは大いに助かった。最初の難関が服では格好悪い。

 ベルティーナも胸は大きい方なのにイナンナは更に大きく、胸辺りが少しスカスカで詰め物をしてどうにか再現した。歩き方、何気なくやる仕草、喋り方をアレイスターから教わり一つ一つ頭に叩き込んでいく。


 終わった頃にはへとへとになっており、普段着に着替えて椅子に座っているとアルジェントが飲み物を持って来た。



「お疲れベルティーナ。はい、ホットミルク」

「ありがとう」



 マグカップを受け取り一口飲んだ。甘いホットミルクに心癒されもう一口と飲んだ。



「当日までにはどうにかなりそう?」

「ええ。なんとかしてみせる」

「無理はしないでね」

「もちろん」



 またホットミルクを飲んだベルティーナはふと漏らした。



「イナンナ様の振りをして私が参加すると殿下が聞き付けたみたいで」

「そうなんだ」



 練習が終わって疲労が限界になったところにリエトが突撃した。神官が止めたみたいだが相手は王太子。無理には止められない。無礼は承知だったみたいで神官に謝ってはいた。

 神官には退室してもらい、ベルティーナと二人になったリエトは参加の中止を求めた。



『大神官の代わりをすると聞いた。今すぐに止めるんだ』

『嫌です。私にだって知る権利はあります』

『事後報告で知ればいいじゃないか』

『決めるのは私です。婚約破棄した殿下に指図されるいわれはありません』



 本当は婚約破棄はされていない。



『危険なのが分からないのか!』

『危険は承知です。それでも私が参加すると決めました。側にはアルジェントもいさせます。何かあれば、彼がどうにかしてくれる』

『……』



 アルジェントの名前を出すと何故か黙り、藤色の瞳に宿る怒気が強くなる。負けじとベルティーナも睨み返した。



『私を止めたい為に態々ご苦労な事です。さ、お帰りください』



 素っ気なく言い放てば今度は傷付いた面持ちをされ、意味が分からないと内心首を傾げる。



『モルディオ公爵夫妻はイナンナ様がいない場では決して事実を認めようとしません。有りもしない話をさも事実のように語るだけです。話し合いの場にはイナンナ様が必要です』

『それは……分かっている。だが、あの従者がいるからと言って君に危険が及ばない確証はない』

『それでも、です』



 もしも、と少し考えてしまった。魅了の影響を受けなかったら、家族とは普通に過ごせていたのではと。父も母も兄も従妹ばかり可愛がらずベルティーナを愛してくれたのではと。

 だが幾らもしもを考えても過去は戻らない。嫌な事ばかりじゃない。家族から冷遇されていたからベルティーナはアルジェントと出会えた。愛されていた状態でアルジェントに会っても拾っていたか疑問だ。



『私は私がしたい事をします。正体を見抜かれ怪我をしたとしても全て自己責任です』



 誰に何と言われようとも譲れないものがある。

 強い意思が込められた濃い紫の瞳でリエトを真っ直ぐに見たら、何も言えず視線が下がった。



『……あの時もそんな目をしていたな』

『?』

『ベルティーナが湖で溺れていた私を助けてくれた時も、紫の瞳で私を見つめていたな』

『???』



 ん? と首を傾げたくなった。

 湖で溺れていたところを助けられた少女をリエトが探しているのは王国の貴族なら、まあ知っている話で。恐らく貴族だろうという情報しか公開されていない。

 今リエトはベルティーナに助けられたと言った。


 しかし……



『……あの……殿下。私、殿下を助けた覚えはありませんが……』



 ベルティーナには湖で溺れているリエトを助けた記憶は一切ない。

 驚愕に見開かれる藤色に困惑してしまう。彼の中では、湖で溺れた自身を助けたのはベルティーナとなっている。が、ベルティーナ本人にリエトを助けた記憶がない。今必死に記憶の引出しを開けて探ってはいるが見つからない。仮に助けたとしてもリエトを見たら忘れられない。



『人違いでは……?』

『そ、そんな筈はない! あれは確かにベルティーナだ!』



 毛先が青の黄金の髪、濃い紫水晶の瞳を持つ貴族の令嬢と言えば確かにベルティーナしかいない。

 ただ、である。



『私が仮に殿下を助けた少女としましょう。それなら、何故今まであのような態度を?』



 初恋の君を想うが故に、政略で結ばれた婚約が嫌だった筈。最初から歩み寄る気が更々ないリエトしか知らない。問われたリエトは気まずげに視線を逸らし、言い難そうに口を開いた。



『……言い訳にしかならない……スペード公爵やアンナローロ公爵からベルティーナの悪評を聞かされ続け、お前の側にはあの従者が常にいた。お前に信頼を寄せられるあの従者が羨ましかった』

『……』



 現在の国王が王太子だった時代、嘗て婚約破棄をされた令嬢の生家スペード公爵からすれば、王太子の地位を盤石とさせるアンナローロ公爵令嬢との婚約は面白くなく、態と王太子の耳にベルティーナの悪評を流し続ける事で不信感を抱かせた。ベルティーナの父アンナローロ公爵さえもベルティーナの悪口をリエトに言い、悪評を肯定してしまった事。その頃から既に父娘の仲は最悪で従妹のクラリッサを可愛がらないベルティーナは悪とされていた。



『だとしても……調べる手段は幾つもあった筈です』



 それが真実であるか、嘘であるかの調査方法はあった。しなかったのはリエトの怠慢だ。



『私は今更殿下の心配は必要としていませんし、たとえ殿下を助けていた少女だとしても貴方への気持ちは既に底を尽きました。この件が終わったら婚約破棄はしていただきます』

『婚約破棄をしてお前はどうするんだ』

『そうですね……』



 魅了の被害者とは言え、アンナローロ家もタダでは済まない。



『お父様達の計画通り公爵家を追放されるのも悪くありません』

『なっ……公爵令嬢がどうやって一人で外の世界で暮らす!』

『一人だと決めないでください。アルジェントは連れて行きます』



 売ればお金になる物は彼に預けている。それらを売って贅沢をしなければ当面の生活費はなんとかなる。後は組合に行って自分でも可能な仕事があるか見つけるのみ。信じられないと顔を歪ませ、アルジェントの名を出した途端違う意味で歪んだ。



『結局従者頼りじゃないか』

『否定はしません。まあ、本人が拒否したら強制しませんが』

『……王太子妃になるつもりはないのか』

『寧ろ、こんな事になってしまっては他のご令嬢を探すしかないかと』



 どうあってもベルティーナが王太子妃になる未来は何処にもない。


 それ以上何も言わなくなったリエトは無言のまま帰って行った。ベルティーナに謎に拘る理由は何となく解したものの、やはり湖で溺れたリエトを助けた覚えがない。

 アルジェントに訊ねても「ない」と言われるだけと思いながらも話を振ると予想外にも心当たりがあると言われた。



「嘘」

「ベルティーナに言われて思い出した。俺に助けたって気は無かったからすっかり忘れてたけど」



 双子の振りをして女装少年となっていた時に、水中で溺れている人間を引っ張り上げた記憶があると話された。


 ベルティーナには付近に大人がいないか探してもらい、アルジェントは魔法で大判タオルを出して助けた人間を拭いていた。周囲にいないならと上空を飛んで探しに行く代わりにベルティーナに拭き係を代わってもらったのだ。


 


 

 

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