私が代わりをする④
報せを受けて急ぎ大聖堂へ戻ったベルティーナは医務室の前で手を組み、イナンナの無事を祈った。側にいるアルジェントはじっと扉を見つめていた。
「ベルティーナ」
「……」
「あの大神官は人間のナイフで刺されたくらいで死なないよ」
「どうしてそう言えるの」
「だって、あの大神官は――」
「ベルティーナ様」
続きを言いかけたアルジェントの声を遮ったのは補佐官アレイスター。彼の相貌には疲れが濃く現れていた。
「イナンナ様は死にませんよ。あの人、昔王城の書庫室の本棚が倒れて下敷きになった時もピンピンしてましたから」
地震により倒れた本棚の修復や落ちた本の回収、検品、修復で当時は大変だったと遠い目をしたアレイスターに同情しつつも、ベルティーナを励まそうとしてくれているのは伝わった。
「ところでベルティーナ様の従者殿に頼みがあります」
「アルジェントに?」
「王族を交えたアンナローロ家、モルディオ家の話し合いの場にてイナンナ様の存在は必要不可欠です。けれど今の状態ではとても出席させられません。そこでベルティーナ様の従者殿にイナンナ様の姿になってもらい、代わりに出席していただきたい」
魔法でイナンナの姿に完全変身してしまえば誰も中身がアルジェントとは気付かない。魅了の力が通用せず、且つ、イナンナに化けられるのはアルジェントしかいない。
ベルティーナはアルジェントを見た。難しそうに考え込んでいる。
「アルジェント、イナンナ様にはなれない?」
「姿だけならなれるよ。ただ……アンナローロ公爵夫妻や国王や王妃はともかく、モルディオ公爵の目を欺けられるかなって」
得体の知れないナニカがあるとアルジェントもイナンナも警戒している。姿を完全に似せても、中身も似せなければ偽物だと見抜かれてしまう。
かと言ってアルジェントが中身までイナンナになり切れるかと聞かれれば――答えは否、である。
「大神官と同じ言動、行動、仕草までしろと言われたら……なんか嫌だ」
「……それを言われると……」
アレイスターは無理強いをするつもりはないらしく、拒否反応を示すアルジェントに肯定的だ。イナンナの姿に化ける以外となれば、補佐官であるアレイスターが代理として出席するしかない。
「アレイスター様では駄目なのですか?」
「私ではモルディオ夫人の魅了の餌食になりましょう」
「つまり……魅了に掛からなければいいと……」
アルジェントは悪魔だからアニエスの魅了は通用しない。
――なら、私は?
きっとアニエスの事、ベルティーナにも魅了を使用した事はあった筈。なのにベルティーナは魅了に掛かっていない。
一か八か、賭けてみる価値はある。
「私がイナンナ様の代わりをしては駄目でしょうか?」
「……確かにベルティーナ様は何故か魅了の力が通用しないとイナンナ様も仰っていました」
「なら」
「ですが危険です。第一、どうやってイナンナ様の代わりを」
「俺がいるよ」
自分の姿を他人に化けて見せられるのなら、他人を他人の姿に化けさせるのもまた可能で。アルジェントの魔法で姿をイナンナに変身させるのは容易い。何よりベルティーナならイナンナの言動や行動、仕草を拒否反応無しで演じられる。多少の恥ずかしさはあれどアニエスの悪事を暴けるなら幾らでも我慢する。
「俺がベルティーナを大神官の姿にさせる。なんなら、当日俺は補佐官さんの姿に化けてもいい」
今日の事件は白昼堂々と行われ、箝口令を敷くのは難しく、両公爵家の耳にだってすぐ入る。刺傷を負っても出席すると譲らないイナンナを監視する名目でアレイスターも同席するとなれば誰も疑わない。
「どう?」
「確かに……それなら何かあった時も早急に対応が出来るな……」
「俺やベルティーナが化けている間、補佐官さんには別室で待機しておいてほしいな。念の為だけど」
「分かった。それでいこう」
ベルティーナとアルジェントがイナンナとアレイスターの姿を借りての代理出席が決まった。
責任重大な役割に重い緊張が伸し掛かるも、幼少期から受けて来た王妃教育のお陰か度胸と忍耐だけはある。得体の知れないナニカがあるルイジが最も警戒しないとならない要注意人物だがアニエスも警戒が必要だ。
「……ねえ、ベルティーナ」
急に真剣みを帯びた声で呼んだアルジェントに向くと言葉を選んでいるのか、何度か口を開閉しても声を発さない。珍しいと目を丸くすると苦笑された。
「俺だってあるよ」
「言い難いなら今言わなくても後で聞くわ」
「いや、今じゃないと。……この間、公爵の日記はあまり見つけられなかったって言ったろ?」
「ええ」
「あれ、嘘なんだ」
「……何故?」
「ベルティーナが知ったら……君の決意が揺らぐかと思ったから」
若干怯えたように話す彼にまた珍しいと抱くも、自分を想っての嘘なら許すとベルティーナは紡ぎ、ただ知る権利はあると放った。
「本当は公爵に愛されていたって聞いても君は変わらない?」
「確証はないけど……少なくとも、私はお父様にされた仕打ちは忘れないし許す気もないわ」
「公爵の自我が戻って君に許しを乞うても?」
「多分しないわ……あのお父様だもの。寧ろ、余計私に嫌われるように仕向けてきそう」
冷遇され続けても長年娘として暮らしてはいない。アンナローロ公爵邸から戻っても再度日記を読みに行ったアルジェントは公爵も同じ気持ちだと話した。
「数年前くらいの、かな。『何時か、アニエスや私の事実を知っても……決して許すなベルティーナ。私達がお前にしてきた仕打ちは無かった事にはならない』って書いてあったよ」
「そう……」
「ほんの一瞬理性が戻っては日記に記していったんだ。文字は殆ど走り書きで読むのに苦労したけど、必死で書いたんだろうね」
「……」
自分が見て来た父と日記を書く父。本当の姿は日記にある。全てアニエスの魅了のせいだとしても、日記に書かれている通り許すつもりはない。それが父の願い通りだとしても、ベルティーナも譲れない。
双子の姉として産まれたミラリアについては何か書かれていないかと訊ねると首を振られた。自分はいい、ただ、産まれてすぐに亡くなった姉になる筈だったミラリアを忘れてほしくない。
「お姉様については絶対に思い出させてみせる」
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