私が代わりをする③
医務室で医師の治療を受けるイナンナが気になって王城へ戻ろうにも戻れないリエト。国王には既に使いの者を飛ばし報せを届けに行かせている。耳に入るのも時間の問題であろう。
イナンナを刺した少女の尋問は派遣された尋問官の迅速な対応により既に終了している。自白剤を躊躇なしに使ったのは刺された相手が大聖堂の大神官だからだ。少女はモルディオ公爵家で働く侍女で、借金の返済を全額公爵家が負担する代わりに大神官を刺殺するよう命じられた。自白剤を使う前は頑なに口を開こうとしなかったというのに、薬の効果の絶大さにリエトは戦慄する羽目になった。
アレイスター曰く、少女もまたアニエスの魅了を使われた痕跡が見られた。
医務室の前で治療が終わるのをアレイスターと待つリエトは不意にある疑問を聞いてみた。
「補佐官殿。モルディオ公爵夫人の持つ魅了の力というのは、性別関係なく使えるものなのですか?」
「私もあまり詳しくは存じませんが……イナンナ様曰く、普通は異性にしか使えない代物です」
男性なら女性を、女性なら男性を虜にする魅了の力。アニエスが持つのは魅了であるが、実際には魅了以上の力ではないかとイナンナは見ている。
「ベルティーナやあの従者には、今まで魅了の力は使われていなかったのですか?」
「分かりません」
と口にしたアレイスターだが実際に二人に魅了の力は効かない事を知っていた。
イナンナから聞かされているのは、アルジェントの場合は強い力を持つ悪魔だから効かないだけ。ただ、ベルティーナだけが分からないとも話されていた。
『ベルティーナ様には、モルディオ夫人とは違う特別な力があるのでしょうか』
『若しくは……』
『若しくは?』
『……さあ、し~らない』
『はあ!?』
知ってそうなのに勿体ぶって教えられなかった。
ふと、十八年前を思い出す。毎日礼拝堂に来ては妻や娘の健康を女神マリアに祈るアンナローロ公爵の姿を。
幼少期から長年魅了を掛けられ続け、本心ではない行動を取らされても公爵の妻や娘を想う愛情は本物で。
アルジェントが送った報告を読むだけで精神は根こそぎ削られた。
アンナローロ公爵はもう理性を取り戻したいと望んでいない気がする。愛する娘を虐げ続け、愛する妻を裏切り続けたと知った時、果たして人間の理性というものは保てるものなのか。
若干興味はあれど実際に試してみたい行動力はない。
ベルティーナに魅了が効かない理由は取り敢えず、悪魔の彼が側にいるからとでも自分を納得させ。
無言で考え込むリエトを一瞥し、控える神官にリエトを任せたアレイスターは一旦場所を移動した。
ベルティーナ達には既に連絡を飛ばした。後は二人が気付き、大聖堂へと戻るだけ。
「どうするか」
イナンナの代わりに話し合いの場に立てるとしたら、魅了が通じないベルティーナかアルジェントの二人。安全性で言えばアルジェントに頼むしかない。悪魔の彼なら、イナンナの姿になれる。後は仕草や言動をイナンナのそれにするだけ。
盛大に頬を引き攣らせる美貌の青年の顔が浮かぶが事態が事態だけに贅沢は言っていられない。二人が戻り次第、すぐに話をし、アルジェントにイナンナの振りをするように頼むつもりだ。
――モルディオ公爵邸にて。一人芳醇な香りが漂う紅茶を味わうアニエス。側にルイジもクラリッサもいない。クラリッサのお願いで買い物へ出掛けている。妻にそっくりな娘を溺愛するルイジに呆れながらも悪い気はしない。昔からルイジは自分に忠実で常に愛を向けてくる。残念ながら自分の愛は兄にしか向けられないが、彼は生涯のパートナーとして申し分ない。
婚約を申し込まれた時も他に愛する人がいてルイジを心から愛する事は出来ないと断っても、それでもいいと、アニエスの側にいたいとルイジから熱烈な告白をされればアニエスは受け入れるしかなかった。愛する人がいるのに自分をこんなにも愛してくれる人はこの先ルイジ以外現れない。
アニエス自身もルイジ程ではないにしろ、アニエスなりに夫を愛している。
「旦那様との子も、作っておくべきだったわね」
ルイジとの子供もクラリッサ同様に愛せた自信がある。悪阻が酷く、出産時のトラウマからアニエスではなくルイジの方が子供はクラリッサ一人でいいとなってしまった。
扉がノックされ、入室を許可すると侍女が入った。
侍女に耳打ちされたアニエスは侍女を下がらせ、一人になるとほくそ笑んだ。
邪魔な大神官の排除は無事成功した。たとえ死んでいなくても大怪我を負った状態で話し合いの場には出席出来ない。
アニエスの脅威は去った。後はベルティーナと従者をどう捕まえるか、である。
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