私が代わりをする②



 妙な胸騒ぎを抱えたまま待ってはいられない。すぐに外へ向かったリエトが目にしたのは、大柄の男数人がイナンナに食ってかかる場面。「大神官!」と駆け寄ろうとするが手で制されてしまう。



「随分とお飲みになったようね~此処は酔っ払いが来て良い場所じゃないの。沢山のお水をあげるから帰りなさい」

「うるせえ! いいから女神様とやらに会わせろつってんだ!」

「そうだ! 女神様に仕えるなら、その女神様とやらに会わせてもらおうじゃないか!」



 頭痛で頭が痛いとはこの事か。明らかに酔っ払いだ。顔全体が真っ赤で自分が何を言っているか理解していない、相当飲んでいる。

 怯えた信仰者達を慎重に安全に建物内へ誘導する神官達に時折視線を送りつつ、酔っ払いの相手をするイナンナと目が合った。その時、男の一人がイナンナに手を伸ばした。またイナンナを呼んだリエト。イナンナはひらりと避け、細い脚では想像もつかない脚力で男の顔を蹴り遠くへ飛ばした。

 男が飛んで行った方向には砂塵が舞っており、他の男達が呆然と消えた男の名を呟くと。イナンナは極めて明るい声色で「まだ用はおあり?」と聞いた。



「あ……い……ぃや……」

「す……すいません……ちょ、ちょっと飲み過ぎたみたいで……」

「お、俺達帰ります……」


「何でもかんでもお酒のせいにしてごめんで謝って済むと思ったら大間違いよ?」



 人間離れした蹴りを見せられた男達は一気に酔いが醒め、真っ赤な顔を真っ青にして逃げ腰でイナンナに謝るが。許す気はなかったらしいイナンナの艶笑を見て悲鳴を上げ慌てて逃げ出した。が、イナンナから合図を送られた神官達が次々に捕え、縄で縛ると騎士が来るまで物置に置く事となった。念の為猿轡を噛ませ、物置へ運ばれて行く男達を見届けたイナンナがゆったりとした足取りでリエトの側へ戻った。



「荒々しいところを見せちゃったわね~」

「だ、大神官、大神官は武の心得があるのですか?」

「いいえ? あたし人間じゃないからあれくらい普通よ? 歳を取り過ぎたからかなり力は弱まってるけど」

「は? 人間じゃない? どういう――」


「あ、あの!」



 不可解な発言が忘れられず、問おうとしたが男達に怯えていた信仰者の少女がイナンナに駆け寄った。



「ありがとうございます大神官様! とても怖かったけど、大神官様があの人達を撃退した姿はとても格好良かったです!」

「ありがとう。さあ、お馬鹿さん達はいなくなったから安心して女神マリアに祈りを捧げてちょうだい」

「はい! あ、大神官様! わたし知り合いから大神官様と握手をしたら元気が出るって聞いて……わたしと握手をしてほしいです」

「そんな訳ないでしょう~」



 等と言いながらも少女に手を差し出し握手をしたイナンナ。これで騒ぎは終わり、胸騒ぎも消えてリエトはホッとした。



「――え?」



 部屋に戻り、書類の確認をしようと踵を返した時、不意に赤を見た。気になってもう一度イナンナを見たリエトは目を疑った。

 イナンナの腰当たりから銀色の鋭い切先が現れ、そこを中心に赤が広がっていく。

 周囲から上がる悲鳴と神官達の焦りと怒声が一気に周囲を埋め尽くした。


 ハッとなったリエトが走り出した時には既にアレイスターが先に動いてイナンナから少女を離し地面に倒した。腕を掴み後頭部を地面に押し付け、上体に乗って動きを封じている。リエトは膝を崩し腹を押さえているイナンナの許へ。



「大神官!!」



 イナンナの腹部にはナイフが刺さっていて血が流れていた。



「すぐに医者と騎士の手配を!!」

「はいっ!!」



 リエトは神官に叫び、慌てて言われた通りの手配をしに走った神官を見た後、額に汗を浮かべているイナンナを向いた。



「大神官! 気をしっかり! くそ、何故こんな事が!」

「油断しちゃったわねえ……」

「今医者を呼んでいます、その間に出来る応急処置を」

「いえ、要らない。ナイフで刺されたくらいじゃあたしは死なない」

「ですが!」

「問題なのはこれからよ……刺されてすぐにはあたしでも動けない。これじゃあ、今度の話し合いの場に出られないわね」



 モルディオ公爵夫人の持つ魅了の力や夫妻がしてきた事を暴露するにはイナンナの証言は必要となる。発言力の大きい大神官の言葉がないとモルディオ公爵夫妻は認めない。話の真偽についても大神官だからこそ納得させられるのに、イナンナが欠席となるとそれが難しい。



「……ただのナイフを使ったみたいね。毒を使われていたら、ちょっと面倒だったかも」

「毒!?」

「使ってなさげだから大丈夫。アレイスター」



 もがく少女を必死に押さえ付けているアレイスターは強い焦りの相貌でイナンナを見やった。



「その子を適当な部屋に放り込んで閉じ込めておきなさい。勿論、自殺防止の猿轡を忘れずに」

「この娘はひょっとして」

「多分ルイジ君かアニエスちゃんの差し金でしょうね……王太子の坊や、尋問官を派遣してこの子を吐かせて」

「すぐに手配します!」

「後は……」



 痛みと戦いながらイナンナが的確な指示を飛ばしていく中、神官の呼んだ医者や騎士が到着した。医師の指示の下、イナンナはすぐに担架に乗せられ医務室へ運ばれた。治療に必要な清潔な布や水を医師の指示で神官達が取りに行く。イナンナを刺した少女は駆け付けた騎士に身柄を引き渡し未使用の部屋へと連れて行かれた。



「補佐官殿、ベルティーナは何処にいますか。すぐにこの事を報せないと!」

「ベルティーナ様には此方から連絡を入れます。ただ、問題は先程イナンナ様の言っていた通り話し合いの場にイナンナ様が参加出来ない事です」

「補佐官殿が大神官の持っている情報を聞いて参加しても駄目ですか?」

「ええ。イナンナ様でないと危険です。モルディオ公爵夫人の魅了の力はイナンナ様には通用しません。イナンナ様のように魅了の力が通じない者を代わりにしないと、結局モルディオ公爵夫人の魅了の餌食にされ彼等の都合が良いように動かされるだけです」



 アニエスの魅了が通用しない者を二人アレイスターは知っているが可能なら参加させたくない。特にベルティーナには。

 散々家族から冷遇され続けた理由が魅了のせいだと知ったところで、長年受け続けた冷遇は無かった事にならない。また、アニエスの目的の一つにベルティーナが入っているのなら尚更危険で。


 アニエスからしたら、愛する兄に瓜二つなベルティーナは性別が女だとしても手に入れたい価値がある人間なのだから。



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