悪魔もドン引き


 何といっても気掛かりなのはモルディオ公爵夫妻の正体。アニエスもだがルイジも人間であるのか、調べる必要がある。また、アニエスについてはどうやって魅了の力を手に入れたのかとなる。赤子の時に大聖堂で洗礼を受ける際、女神マリアの愛し子であるかどうかの調査と並んで、別の力を持っていないかの調べはする筈。何より、大神官が気付けない時点でおかしい。ただ、愉快な事が大好きな大神官であるから、態と見逃したという説もある。



「ないか、さすがに」



 自身を透明にしたままアンナローロ公爵邸を暫くうろつき、全身真っ赤になったクラリッサが侍女に抱えられながら出て来た時は声を上げて笑いかけた。幸い声は出なかった。出たとしてもアルジェントの声より、周囲の声が大きいからきっと気付かれなかった。

 アニエスは娘のはしたない姿に顔を赤くして激昂しており、クラリッサは羞恥心から顔を上げずにいた。

 最後までいては何時まで経ってもベルティーナの許へ戻れないので名残惜しいが一旦屋敷を後にした。



 ベルティーナを待たせているカフェに戻ると焼きたてのラズベリーパイが置かれた直後だった。



「お帰りなさい、アルジェント」

「ただいま、ベルティーナ」



 ベルティーナの前に座ってホットミルクとラズベリーパイを注文した。早速、屋敷の成果を聞かれまず日記についての話をした。



「最近の物はなかったけど、丁度ベルティーナが産まれた時くらいのはあったよ」



 双子を難産の末出産したカタリナが暫くベッドで過ごし、双子の内先に産まれた姉はミラリアと名付けられる筈だった事、次に産まれたベルティーナも弱弱しく大きく育つかも不安視されていた事などを話した。


 薬剤師が語っていた通り、大神官の紹介を受けて自ら薬剤師の許を訪れ薬を調合してもらった事実も語った。日記の内容を聞かされると父が魅了に掛かっているとは思いにくい。



「お父様は何時から魅了に掛かっていたと思う?」

「それについては何とも。ただ、モルディオ夫人は子供の時から魅了を使っていたみたいだよ」



 日記にはアニエスの異常性を両親に訴えても逆に自分が叱られ、可愛い妹を傷付けた罰として折檻を受けていた記載があったと話した。複雑な面持ちのベルティーナの心中はきっと表情と同じ。



「アニエス叔母様は、どうしてお父様に固執するのかしらね……」

「それもチラッと書いてあったよ。歳が離れているのがあって構い過ぎたせいかもって」

「確か、五つ違ったのよね」

「そう書いてた」


 


 ――ベルティーナはアニエスが父に固執する理由を幾つか頭の中で浮かべてみた。一つ目は父の見目、だろうか。黄金の髪と濃い紫色の瞳の美形。若い頃から異性にモテていたとは聞かされており、年齢を重ねても衰えない美貌は社交界の貴婦人の目を釘付けにしてきた。二つ目はアルジェントが日記を読んだ通り、兄として妹に構い過ぎたのが災いして今のような性格になってしまった。三つ目は……当たっていそうではあるがアニエスの理想の男性像が実の兄だった。


 アルジェントに話すと「当てはまりそうだ」と納得された。



「もう一つ。ルイジおじ様よ」

「モルディオ公爵、か」

「ええ。子供の時からお父様に夢中な叔母様とよく結婚したいと思えたわね」

「俺個人の感想で言うなら、あの夫婦はお似合いだよ」

「え」

「自分の幸せしか考えない。他人の不幸はどうも思わない……俺より悪魔らしいよ」



 人間ではなく、悪魔の可能性がありそうだがアルジェントは多分違うと首を振る。二人は人間、人間だからこそ悪魔もドン引きする行いに戦慄する。



「悪魔より、人間の方が恐ろしいよ」

「アルジェントが言うと説得力があるわ……」

「ありがとう」

「褒めてないわよ」



 ラズベリーパイを頂きつつ、ふと、ある事を訊ねた。



「お父様の日記以外は何もなかった?」

「一応、ベルティーナの部屋を見に行ったよ。荒らされては無かったけど……ちょっと引いた」

「どうしたの?」



 アルジェントが寝泊まりしているウォークインクローゼットでクラリッサが寝ていたと聞かされ、ベルティーナも同じ気持ちになった。

 ちょっとした悪戯を仕掛け、結果は大成功だと得意気に語るアルジェントに何をしたか訊き、呆れ果てた。


「前言撤回。悪魔の方が恐ろしいわ」



 自分がクラリッサの立場だったら、暫くアンナローロ家には行けない。


 


 

●○●○●○

 


 




 怒気によって顔を赤く染め上げ、肩を震わせるアニエスが怒りをぶつけるのは俯いて小さくなっている娘のクラリッサ。王家から登城するようにアンナローロ家とモルディオ家は指定日を告げられ、更に大神官が同席すると聞かされ焦りを強くしていたところにクラリッサがやらかした。魅了の力を所持していると遂にバレてしまった。赤ん坊の時に受けた洗礼で気付かれなかったのは当時は持っていなかったから。アニエスが魅了に目覚めたのは四歳の時、そしてある記憶が目覚めたのも同時だった。


 ずっとバレずにいたのに、今になってバレたのはベルティーナのせいだ。ベルティーナが大人しくアルジェントをクラリッサに渡さず、王太子に愛を乞わず、家族にさえ愛を乞わず、自分勝手に動くから順調だった計画が全て台無しとなってしまった。

 ずっとずっと夢だった。夢が漸く叶えられる直前にまで来たというのに、台無しになるのは絶対に嫌だ。


 アニエスに叱られ続け、小さくなって終いには泣き出したクラリッサを抱き締めたのは夫のルイジ。



「アニエス、そう怒らず。若気の至りは誰にだってある」

「何を言っているの! 旦那様はクラリッサを甘やかしし過ぎではありませんか!」

「可愛い一人娘なんだ、甘くなってしまうのはしょうがないさ。愛しい君との娘なんだから」

「……だとしてもです」



 夫ルイジは自分に惚れ込んでいる。更に魅了を使ってアニエスが何をしようと疑問に思わないよう忠実にさせている。クラリッサは夫との子じゃない、実兄クロウとの子だ。アニエスにしたら悲しくても、アニエスに似たクラリッサをルイジは溺愛している。その点については助かっている。

 やはりベルティーナが欲しい。ただ一人、兄に似た子供。長男のビアンコが似ているならベルティーナには見向きもしなかったのに、どうして彼女は男として産まれなかったのだ。魅了の力に性別を変える力はない。



「お父様ぁ!」

「よしよし、ベルティーナ嬢の従者が欲しいなら、似た子を探してこようか?」

「嫌です、私はアルジェント君が良いんです!」

「なら、ベルティーナ嬢か、もしくは従者を説得しなさい。従者がクラリッサの許へ来たいと言えば、ベルティーナ嬢も強制は出来ないだろう」

「あ!」



 良案を聞いたとばかりに表情を輝かせたクラリッサは父に強く抱き着き、アニエスに叱られていたのを忘れて飛び出して行った。「クラリッサ!」と呼び止めてもルイジの提案を実行するために考えないとならないクラリッサに母の声は届かず。


 娘の後姿を微笑まし気に見つめると憤慨するアニエスを抱き締めたルイジ。背中を撫でられるので気分じゃないとルイジの体を押して離れた。



「ご機嫌斜めだね」

「誰がそうさせたの」

「娘の願いを叶えてやりたいだけさ」

「旦那様はもう少しクラリッサに厳しくしてください。あんなはしたない真似をするなんて……誰に似たのよ」



 まさか、ベルティーナの部屋に無断で入った挙句、従者の部屋にまで入り一人ではしたない真似をするとは思いもしなかった。どこで覚えてきたのかと怒り、愛する兄との娘がこんな風に育ってしまった事に絶望した。


 けれどクラリッサが可愛い娘である事に違いはない。


 ルイジにまた抱き締められ、今度はあやすように背中を叩かれるので好きにさせた。



「さあ、落ち着いて僕の愛しい人」

「……ええ、分かったわ。少し感情的になり過ぎたわ。後でクラリッサに言い過ぎたと謝ります」

「ああ。君達の仲が悪くなるのはとても悲しい。仲直りをしたら、一緒にお茶をしよう」

「ええ、旦那様」



 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせたアニエスは大きな背中に腕を回した。

 話し合いの前に大神官さえ、どうにかしてしまえば、話し合いどころではなくなる。自分には魅了がある。たとえ、疑いを掛けられようと魅了の力さえあればどうにでもなる。



「ねえ……旦那様……わたくし、イナンナ様がとても怖いわ……わたくしの為にイナンナ様を」


 


 ――殺して?


「ああ……良いよ、僕の愛しいアニエス」


 


 


 


「っ!」


 背筋に冷たい雫が落ちた感覚がイナンナを襲い、手に持っていたワイングラスを落とし掛けた。


 こういう時に起こるのは大体不吉なものばかり。


 何が起こるか愉しみにしつつ、警戒を強くしておこう。


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