ベルティーナのお使い②



 悪戯を完了し、部屋を出たアルジェントが次に向かったのはアンナローロ公爵の執務室。執務室と私室、何処に日記を置いているのかを考え、先ずは執務室に向かった。個人的見解で言うと私室の方が高そうだが、日記の他に何か情報を得られないかと選んだ。

 周囲と室内から人の気配がないのを確認後、扉をそっと開けて入室した。

 使用人が毎日掃除をしている部屋は埃一つ落ちていない。窓縁も然り。

 壁側に設置されている本棚に近付き日記はないかと目を通していく。



「ないか」



 なら、他に何かないかと室内を見渡した。

 執務机にはインクと羽ペンが置かれているだけで書類は何もない。



「ふむ」



 引き出しを開けても目ぼしい書類は入っていない。鍵の掛かっている引き出しは魔法で簡単に開いた。

 入っていたのは色褪せた紙で出生届と記載されている。



「ミラリア=アンナローロ……」



 生年月日はベルティーナと同じ。

 という事は、生まれてまもなく死亡したというベルティーナの双子の姉の名前だろうか。

 生きていたら提出していたであろう出生届をずっと大事に仕舞っていたのか。



「あの公爵がベルティーナをね……」



 ベルティーナに拾われ、アンナローロ公爵家で過ごしたアルジェントが見て来たのは常にベルティーナを卑下し、嘲笑い、駒扱いしていた公爵や家族達。一部の心無い使用人からは軽い虐めに遭っていたが家令を筆頭としたベルティーナを大切にしている使用人達が守ってきた為、酷い生活は送っていなかった。

 薬剤師から聞いた公爵と二人が見ていた公爵はどちらが本当の姿なのか。

 きっと、日記に手掛かりがあるに違いない。


 次にアルジェントは公爵の私室に転移した。誰もおらず、探しやすいと手早く動いた。

 扉付きの本棚に日記は仕舞われており、子供の時から日記を書いているだけあって量も多い。

 背表紙には日付が書いてあるのでベルティーナが生まれた日の日記を手に取った。


 ページを捲り、文字を目に通していくアルジェントは無言のまま読み進めた。



 “最愛の妻が産んだ最愛の娘達。先に産まれた子は医師の尽力虚しく亡くなってしまった。次に産まれた子は弱弱しいながらも必死で生きようとしている。カタリナは亡くなった我が子を抱き締め泣いていた。私は、ただ見ているだけしか出来ない自分が嫌になった。

 亡くなった子をミラリア、次に産まれた子をベルティーナと名付けた。ミラリアの分までベルティーナを育てるのが父親としての私の使命だ。”



 別の日には――



 “大聖堂にいる大神官イナンナ様に腕の良い薬剤師を紹介してもらった。毎日礼拝堂に来ては、妻の回復とベルティーナの健康を願う私を見兼ねての事だと。二人が元気になるのならと私は自ら薬剤師の許へ向かった。

 初めは渋られたが必死の思いで薬の調合を頼むと薬剤師は薬を飲ませる時の手順と注意を記した紙と調合した薬を渡してくれた。これで二人が元気になってくれる事を願う”



 更に別の日――



 “漸くカタリナが長い時間起きられるようになった。まだベッドで過ごす日々は続くだろうが順調に回復すれば、一月後には歩けるようになると。ベルティーナも乳母の力を借りて日々成長している。二歳離れたビアンコもベルティーナが気になって仕方ないようで、ビアンコの乳母が時々連れて来ては寝ているベルティーナを見せていた。

 一つ気掛かりがあるとすれば……妹のアニエスだろうか。ビアンコは髪や瞳の色は私と同じだがカタリナによく似ている。幸いな事にあまりビアンコには興味がないようだ。アニエスは昔から私に異常な執着心を見せていた。歳が五つも離れていたのがあり、忙しい両親に代わり私がよく遊んでいたのがいけなかった。友達を作っても常に私の後ろを付いて回り、異性の友人が出来ると激しい嫉妬を見せ、時に喧嘩になる騒動まで起こした。両親にアニエスについて相談しても『可愛い妹なんだから大事にしなさい』『アニエスは可愛いから仕方ないの』と取り合ってくれなかった。可愛ければ何をしても良いのだろうか? と何度も悩んだ”



「これか……モルディオ夫人は小さい頃から既に魅了の力が使えていたのか。それも自分の親にも」



 日記を見ていると少なくとも公爵はベルティーナが赤ん坊の時は、まだ正常な理性を持っていたとなる。

 更に読み進めていき、ベルティーナが一歳の時辺りの日記に手を伸ばした。



 “ベルティーナは髪や瞳の色だけではなく、私にとても似てしまった。カタリナは私にそっくりだと嬉しそうだが私にとっては不安でしかない。日に日に私に似ていくベルティーナをアニエスは欲を込めた目で見つめていた。

 アニエスは昔から私にベタベタと引っ付き、何度窘めても止めない。一度、きつく叱りつけると激しく泣き出し、両親から可愛い妹を大事に出来ない兄だと罵られ殴られた。それからアニエスが引っ付いても恋人のように接しても私は叱れなかった。なんなら、私にも恋人の振る舞いを求め、断ればまた泣かれ両親に折檻を受けた。

 何故両親は疑問に思わない。実の妹が兄を異性として見るのを異端視しない。

 また、時折私は自分の意識が自分じゃない別の何かに操られる時があった。その時の私はアニエスが求める優しく愛情深い兄であり恋人となった。側には、私が婚約を申し込んだカタリナがいたのに。カタリナは悲しみもせず、怒りもせず、ただ微笑んで私とアニエスの恋人ごっこを見つめていた。”



「公爵夫人には、最初から魅了の力を掛けていたって事か」



 読めば読むほど明らかになるアニエスの異常性とアンナローロ公爵の苦悩。見えないナニカによって意識を奪われ、正常になったら後悔し苦悩する日々。

 ページを捲っていたアルジェントの指がある場所で止まった。

 全てのページは達筆に書かれていたのに、このページは走り書きされていて非常に汚い。激情を文字にして表していた。



 “私の妹は人間なのか、その妹の夫も人間なのか。アニエスの夫モルディオ公爵に相談があると言われモルディオ公爵邸を訪れた。ルイジ殿が通した部屋には裸のアニエスがいた。すぐに私は逃げようと扉に向かった。だがルイジ殿に阻まれた挙句、アニエスと目が合った瞬間意識が途絶えた。次に目覚めたら、裸のアニエスが私の腰に跨ったまま倒れていた。火照った肌と多量の汗、呼吸の荒いアニエス、……すぐに自分の身に何が起きたか、アニエスが何をしたか理解した私は絶望のあまり絶叫したかった。声は出なかった。虚ろなまま天井を見上げているとルイジ殿が顔を覗き『如何でした? ご自身の妹との行為は』と紡いだ。

 私は何も言えなかった……私自身に起きた事、アニエスが何をしたかという現実から逃げたかった”



「……」



 所々走り書きされている文字が滲んでいる。きっと公爵の涙。

 妻を愛し、息子と娘を愛する公爵からすると信じられない屈辱だったろうに。

 次のページ、また次のページを捲っていき。この頃になると公爵は一時的にしか意識を保てなくなり、その間自分が何をしているか思い出すまでに時間を要すると書いてあった。

 最後のページにはこう記されていた。



 “アニエスが妊娠したと報告をしに我が家を訪れた。何も知らないカタリナは喜び、アニエスと抱擁を交わしている。

 私が願うのは……私の子でないと願うだけ……あの後も何度かアニエスによって犯された。モルディオ公爵邸への招待を断固として断っても、夫婦で我が家に来ては私の意識を奪い、ルイジ殿だけではなくカタリナまで部屋に置いて行為を見せ付けていた。カタリナは微笑んで見ていただけだった。

 アニエスは人間の皮を被った悪魔だ……ベルティーナを見る目に強い欲を滲ませるようになった。幸いにもビアンコには然程執着心を見せていない。私によく似たベルティーナが危険だ。

 ベルティーナだけは……何が、何でも、守らないといけない。

 女神マリア、どうか私の娘を守ってください。

 ミラリア、不甲斐ない父で済まない。私の代わりにベルティーナを、妹をどうか守ってやってほしい。”



 日記を乱暴に本棚へ戻したアルジェントは凭れ、途方に暮れたように天井を見上げた。



「ベルティーナに、どう言えばいい……」



 何を知っても許さないとベルティーナは言っても、公爵の事実を知れば必ず動揺し、気持ちを変えてしまう。強気な態度を崩さない彼女だが根は優しく、人一倍寂しがり屋で心の奥底では家族の愛を求めている。アルジェントがいるから表に出さないだけ。

 アルジェントは正面を向いて自嘲気味に呟いた。



「ごめん、ベルティーナ。……君は知らない方がいい」



 予想だが公爵の方も事実を知られるのを望んでいない気がする。

 魔法で全ての日記を一気に開封し、瞬時に内容を脳に刻み付けたアルジェントは転移魔法で屋敷を出て行こうと魔力を上昇させた。その直後、外から悲鳴が上がった。侍女の声か、頻りに公爵や夫人を呼びクラリッサの名を叫んでいた。

 アルジェントのした悪戯が見つかったのだ。

 アルジェントの部屋の寝具で一人淫らな行為をするよう暗示を掛けただけ。後は本人が勝手にする。思惑は成功。



「母親も大概だから、似た者親子だよ」




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