魅了を使われなかったのは何故?

 


 ――ベルティーナ……


 一人王宮に戻ったリエトは駆け寄った従者から国王と王妃の言い争いを止めてほしいと懇願され、二人がいる執務室へ足を向けた。

 脳裏に浮かぶのは、親の愛を得られず寂しげに語ったベルティーナの姿。



 八歳の時、湖で溺れかけた。

 息を吐く度消えていく体内の酸素と口から出る多くの水泡。意識が濁っていく中、力なく上げていた手を強く握って引っ張る手を見た時、消えかけていた意識が一瞬明確になった。リエトが見たのは水中に漂う黄金と青。オレンジ色のフリルが少々目立つドレスを着た何処かの令嬢だった。

 次に気付いたら、黄金の髪を持つ女の子が顔を覗いていた。濃い紫色の瞳が瞠目し「――ジェ――、目が――……あ」と近くにいるであろう誰かを呼ぶと女の子は視界から消えた。

 息をしているのが不思議だった。

 息が苦しくないのが不思議だった。

 生きているのが不思議だった。


 当時、王家が所有する別荘へ来ていたリエトは王妃に口酸っぱく湖に入ってはいけないと言われていたのに、異母弟のアレクシオが喜ぶだろうと湖にしか生息しない魚を捕まえようと入った。護衛の目を潜り抜け、こっそりと湖に向かったから他には誰もいない。このまま溺れ死ぬ、母はきっと怒って悲しみ、異母弟も悲しませ、父には失望される……絶望しかけたリエトは誰かも分からない女の子に命を救われた。

 自分と然程年齢が変わらないであろう女の子に。


 上半身裸でも夏だったのもあり風邪は引かず、次に目を覚ますと別荘の中だった。リエトを見つけた護衛曰く、髪は濡れていたが肌は濡れておらず、タオルが体に掛けられていたと。リエト以外の人間は誰もいなかったと説明をされた。リエトを探し回っていた他の護衛も誰も見なかったと話した。


 自分を助けたのが黄金の髪を持つ濃い紫色の瞳の女の子だと話すと王妃はアンナローロ公爵家の長女ベルティーナだと話した。王国にその特徴を持つ令嬢だとベルティーナしかしない。平民の可能性もあるがリエトが水中で見たドレスは平民では購入がとても難しい高価な品。裕福な商人の娘も有り得るが可能性で言うとベルティーナが大きい。

 その頃、丁度ベルティーナとの婚約が結ばれ、顔合わせの日が決まったと母から聞いたリエトは勝手に婚約が決められていた事に怒りが込み上がる。両親はお互い恋愛で結ばれたと家庭教師から聞いた。自分も何時か好きな女性と結ばれたいと思いっていたのに、だ。

 母に訴えるとかなり複雑な顔をされ、日頃真面目に王太子教育に励んでいるリエトになら話しても良いと嘗て父には別の婚約者がいて、だが母と真実の愛を貫く為に罪もない婚約者に婚約破棄を突き付けてしまったのだと。結果婚約者は実家を追放され、今は隣国で暮らしていると聞いた。


 尊敬していた両親の馴れ初めを聞いて失望したと同時に、絶対に自分は他の相手を好きになるかと誓った。婚約者を決められたのは癪だが決まったものに何時迄も文句を言っても仕方ない。

 因みにこの時はまだアレクシオが異母弟だとは知らされていなかった。知らされたのはもう少し後の事。


 顔合わせまで後数日の時にスペード公爵と王城で擦れ違った。挨拶だけをして次の授業に備えようと書庫室へ向かおうとしたリエトをスペード公爵は呼び止めた。ベルティーナとの婚約を何処で嗅ぎ付けたか知らないがスペード公爵は憐れむように語った。

 アンナローロ公爵令嬢はとんだ我儘娘で、公爵夫妻も優秀と名高い長男からも見捨てられている。国王がアンナローロ公爵令嬢を王太子の婚約者に選んだのは他に見合う令嬢がいなかっただけ、と。

 自分を助けてくれた女の子がベルティーナと知ってからリエトはどんな令嬢なのか知りたくて情報を集めていた。きっとそれをスペード公爵は知り、態々言いに来た。だがリエトが得た情報と一致していた。知れば知る度に落胆し、命の恩人の本性はとんでもない性悪だと聞く度この婚約が嫌になった。


 顔合わせ当日。アンナローロ公爵からもベルティーナはとんでもない我儘で可愛い従妹を泣かせる、と。そんな相手でも王太子の婚約者になれるのだから、公爵令嬢は得で良いなと本人に会ったら言ってやろうと思うも流石に止めた。

 最低な印象しかないベルティーナとの顔合わせは周囲に人がいるのもあり何事もなく終わった。

 ただ、絶対にお前を好きになるかという気持ちは強く現れていたようで、終始ベルティーナを睨み続けていると俯かれ、両親には注意をされたがリエトは自分の気持ちを変える気は更々なかった。





 ●○●○●○



「他国、か」



 夜。大聖堂の正面入り口にある階段に座って無数の星に埋め尽くされた紺色をぼんやりと眺めながら、事態が落ち着くまで他国へ行こうとアルジェントに提案をされた。婚約破棄をされる直前ベルティーナが考えていた案だ。王家もアンナローロ公爵家もモルディオ公爵家の手が届かない他国へ行きたいと。行くのならスイーツが盛んな西の王国、スイーツで有名な街でもいい。とにかく王都から出たい。



「妹から見る兄って、そんなに魅力的なの?」

「どうかな」



 独り言のつもりで呟いたから、当然答えはないものとしていた。が、予想に反し返答が来た。



「アルジェント」

「冷えるよ」



 アルジェントが肩にブランケットを掛け、出来立てのホットカフェオレを渡された。チョコレートクリームとチョコレートソースが掛けられたベルティーナ仕様と珈琲にアイリッシュを入れたアルジェント仕様の二種類があり、前からアイリッシュ珈琲が気になっているベルティーナは一度自分も飲んでみたいと示すが「ベルティーナには無理」と一蹴された。子供舌なベルティーナに砂糖もクリームも入っていない珈琲はまだまだ遠い。


 ジト目でアルジェントを見つつ、渡された特性ホットカフェオレを飲んだ。チョコレートとカフェオレが混ざった大好きな味にほっこりとしつつ、気になっていた事を口にした。



「叔母様が魅了の力を持っているなら、私やアルジェントにはどうして使わなかったのかしら」



 アルジェントは悪魔だから使っても効果は無さそうだがベルティーナは人間。他と同じで通用するだろうに。



「そう言われると……確かにね。今まで一度もモルディオ公爵夫人が俺に魅了を使おうとしなかったのも気になる」

「そうなの? 若しくは、出来なかったからじゃないの?」

「いや? 掛けられたら気付くけど、まず、普通の人間にそんな力があるとは俺達悪魔は思わない」

「なるほどね」



 そうなるとアニエスはアルジェントが悪魔だと気付いていたというのか? とも考えるが違う気がする。悪魔だと気付いていたら、大事なクラリッサが欲しがろうが阻止する上、大聖堂に訴えている気がする。



「俺個人としては、ベルティーナに使わなかった理由を知りたい」



 ベルティーナに使っていれば、あっさりとアルジェントをクラリッサに渡し、自分の意のままに操れていただろうに。



「私やアルジェントに使わなかった理由……アルジェントはクラリッサが好きな相手だから使いたくなかった……でもそれなら、言う事を聞かせたいなら、魅了の力を使った方が手っ取り早いよね」

「うん」

「他国へ行こうと提案されたのに、気になる事が増えて困ったわ」



 苦笑しながらホットカフェオレを味わう。


 ベルティーナは不意にリエトの話題を出した。



「あの王太子は……」

「うん?」

「殿下が……私を王太子妃にしたい理由って何なのかしらね」

「……うん?」

「だってそうじゃない。今まで散々嫌っていたくせに、クラリッサとの関係は偽装だとか婚約破棄は嘘だとか、意味不明な事ばっかり言って」

「ベルティーナはやっぱり気付いてないんだ」

「何がよ」

「王太子は君が好きなんだよ」



 ………………。


 長い沈黙と微妙な空気が二人を包み込む。何度も瞬きを繰り返すベルティーナは意味を理解すると有り得ないと首を振った。



「アルジェント、他国に行く前に医者に診てもらいましょう。王都でも腕利きと名高い名医を紹介してもらうわ」

「良いよ大丈夫だよ」

「今までの殿下をどう見て私が好きだと」

「最初はまあ、初恋の君が忘れられず君を嫌ってはいたけど、途中から君を恋しそうに見ていたよ。で、常に君の側にいる俺には嫉妬心全開で睨んできてた」

「うそ」

「ほんと」



 言われて思い出しても見ても、どれも睨まれている記憶しかない。

 リエトとのやり取りを思い出しても皆無。

 婚約が結ばれて半年が経過した辺りでベルティーナが誘っても応じなかったお茶や要らないと拒否されたクッキーを食べようと誘われたのを思い出すが。どれも今更で且つ、アルジェントとお茶をしてクッキーを食べた方が何倍も楽しいから全部お断りした。


 口にすると「その頃からじゃない?」と指摘された。



「ふん、知らないわよ。どんな心境の変化があったか知らないけど、楽しくもない殿下とのお茶なんて真っ平御免」

「はは。君にそうやって断られて、王太子は毎回泣きそうになってたよ」

「ない事を言わないで」

「あるの」



 ベルティーナに覚えはない。


 常に側にいるアルジェントはベルティーナだけではなく、周囲の人間の様子も見ていた。


 理由? ――人間は面白い観察対象だから。



「きっと、今までの行いを挽回しようと君を積極的に誘っても、既に君の中の王太子への気持ちは消えていた。だからベルティーナは気付けないんだ」

「言われても……」



 アルジェントに細かく指摘を受けても、思い出せない。

 記憶の奥深くの引出しを開け、中を探っていく。言われてみるとあったのはあった。鮮明には覚えていないが強く睨みながら硬い声でお茶やスイーツに誘ってくるリエトの姿があった。が、大方王妃や周りから言われて相当渋々に誘ったのが丸見えなリエトと一緒にいても退屈でつまらなくて苦痛以外なにものでもない、なのでベルティーナはお断りですとだけ言ってアルジェントを連れて屋敷に帰るか、王妃お気に入りの温室で時間を潰した。



「けど、クラリッサを使う時点で殿下なんて更にお断りよ」

「ははは! まあ、そうだろうね。他の女を使って君の気を引こうとしたのは最も駄目な悪手なのに」



 更にその相手がクラリッサの時点で終わっている。


 リエトが拗らせているのはベルティーナの頑なな態度が原因だろうが、見ていて愉しいアルジェントはこのままでも十分良いとアイリッシュ珈琲に口を付けた。


 


 大神官の部屋にて。胸と脚を大胆に魅せた神官服を纏うイナンナは気怠げにソファーで横になっていた。葡萄酒を飲み過ぎてこうなった。


 アニエスの魅了について、国王に関しては必ず解く。王家に大きな貸しを作るチャンス。長期間魅了され続けたアンナローロ公爵夫妻をどうするか頭を悩ませていた。解除すれば今までのベルティーナへの行いとアニエスとの関係で二人とも廃人となるのは確実。特に公爵の方は……。ベルティーナが赤ん坊の時、毎日礼拝堂へ来ては女神マリアに祈りを捧げていた姿をイナンナは見ていた。


 産まれても生きられなかったもう一人の娘の分まで、ベルティーナを生きさせてほしいと。



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