王太子妃になってほしい②



 冷たい紅茶が喉に通り、大声での言い合いで乾いた口内を大変潤してくれる。スライスしたレモンを口に含むと酸味と紅茶の味が混ざって好きな味になり、そのまま食べて飲み込んだ。



「食べるの?」

「好きなの」

「そう」



 ベルティーナが紅茶に入れられたレモンを好きだと知りつつも予備を持って来なかったアルジェントは鋭い視線を送って来る前方に苦笑をし、紅茶のお代わりを要求するベルティーナに応えた。

 新しい紅茶を受け取ると帰る気のないリエトへ目をやり。



「王太子殿下、紅茶を飲んだらお帰りください。貴方に何を言われようが私は王太子妃にはなりません」

「……」



 改めて自分の意志を伝えた。

 それについての返答は無言。

 はあ、と隠そうともしない溜め息を吐き、グラスを一旦掌に置いた。



「貴方とクラリッサの目的は解りました。しかし他の貴族達も貴方達の関係を知っているのですよ? 良いではありませんか。アンナローロ公爵にもモルディオ公爵にも可愛がられているクラリッサを王太子妃にすれば」

「クラリッサの目的はお前の従者だ。第一、元からクラリッサを王太子妃にするつもりはない」

「別の相手を見つけなさいと言えば良いのでは。アルジェントは私の従者です。誰に何を言われようと渡す気はありません。

 それに、です。陛下はクラリッサを王太子妃にしたいのでは?」

「……」



 リエト個人の感情は置き、王家としては二つの公爵家が後ろに立つクラリッサを王太子妃にしたいだろう。スペード公爵家を抑えられ、大国である隣国の王族と血縁関係を持つアンナローロ公爵家と他国と貿易を行うモルディオ公爵家とも強い繋がりを持てる。これ以上ない令嬢だ。



「陛下は……父上は……私や母上の言葉に耳を傾けなくなった」

「どういう意味でしょう」

「アンナローロ公爵がクラリッサを公爵家の養女にすると父上に話をした時、父上は最初反対したんだ。アンナローロ公爵家には既にベルティーナがいると。モルディオ公爵家にはクラリッサしか子供がいないのに、後継はどうするのだと」

「!」



 ベルティーナは盲点があったと知る。モルディオ公爵夫妻の子供はクラリッサ一人。公爵の弟や妹に子供はいるが直系はクラリッサしかいない。



「だが、モルディオ夫人が話の場に参加してから父上は意見を曲げて、クラリッサがアンナローロ公爵家の養女になるのを認めてしまった」

「……」



 ――まさか……

 ベルティーナはそっとイナンナに目をやり、頷かれた。

 アニエスは話を有利に進めるべく国王相手にも魅了の力を使った。



「王妃様は今はなんと?」

「母上は未だに反対している。だが父上は聞く耳を持たない」



 それも魅了の影響か。



「母上がどれだけ説得しても父上は決して意思を変えない。人が変わってしまったようにモルディオ夫人とアンナローロ公爵の言いなりになってしまっている」

「クラリッサの養女の件以外ではどうなのですか?」

「そういえば……この件以外では変わった様子はないな」



 つまり、あくまでも目的はクラリッサを養女にしたいが為に魅了で決定を覆さないよう強制しているというわけで。

 リエトに魅了の件を話すべきかどうか悩むも、却って話をややこしくさせる。



「ベルティーナ」

「なんですか」

「クラリッサの養女の件もそうだが、父上と公爵はお前を修道院へ」

「知ってます」

「違う。修道院へ送る振りをして、お前をクラリッサの影武者に仕立て上げるつもりだ」



 長年王太子妃になるよう育てられたベルティーナを手放す気は更々無く、王太子妃にはなれなくても王家の役には立てということ。

 社交はクラリッサが、執務は全てベルティーナが。

 馬鹿らしいと溜め息を吐き、計画にリエトも関わっているのかと問えば勢いよく首を振られた。



「私がお前にその様な役目を押し付ける人間に見えるか!?」

「ええ見えますわ。クラリッサを可愛がる人間全員私の敵です」

「……」

「殿下も体験してみますか? クラリッサが泣けば私のせいにされてお父様やお母様に打たれ、クラリッサが喜べば我が子のように嬉しがって側にいる私を無視して、クラリッサが体調を崩したと知ると同じように体調を崩している私になど見向きもせず馬車を飛ばしてモルディオ公爵家へ向かうお父様とお母様が……何故敵ではないと言えますか?」



 言ったところでその中に兄が含まれていないと思い出した。ベルティーナが熱を出して苦しんでいると侍女が言いに行ってもクラリッサが心配だと実の娘には気を掛けず出掛けて行った両親と違い、普段は嫌味しか言わないのにビアンコは様子を見に来た。どう声を掛けようかと迷っていたように見えたが熱のせいで頭痛が酷く、喉も痛めていたベルティーナは目を開けているだけで精一杯で。

『ちゃ、ちゃんと薬を飲んで早く治すんだ』とだけ言ってビアンコは出て行った。その後もちょくちょく部屋に来ては侍女に追い出されていた。

 何故今になって思い出すのかと抱くも無関係だと首を振った。


 顔色悪く無言となったリエト。異母弟の第二王子と仲が良く、王妃も彼を実子と差別せず平等に愛情を注ぎ接している。



「私は……殿下が羨ましかった……王妃様のような女性を母親に持って」

「ベルティーナ……」

「殿下だけじゃありません……子供を平等に愛する親を持つ兄妹が皆羨ましかった……」



 望んでも自分では決して手に入らないものを欲しがる人間の心理をベルティーナには少しだけ理解が出来た。


 ――それからリエトは帰って行った。帰る間際何も言わず、無言のまま。



「やっと帰った……」

「これからどうする? ベルティーナ」

「そうね……なんだかとても疲れた。お父様や叔母様の目的が知りたいけど、今はそんな気分にはなれない」

「なら、最初に言っていたみたいにこの国を出ようよ」




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