王太子妃になってほしい

 


 沈黙が室内を包んで何分経過したか……時計が無ければ、時計を持っている人もいないので正確な時間は不明。

 リエトと向かい合って座るのはこの前にもあったが随分と久しぶりな気がする。短い日数の内に色々とあってすっかりと忘れていた。

 急に訪問したリエトは慌てて大神官部屋に入って以降、口を開こうとしない。ベルティーナは待とうとしていたがあまりに何も言わないので痺れを切らし先に言葉を発した。



「殿下、何用で此方に?」

「お前がいると聞いて……」

「誰にですか、前もそうですが殿下はどうやって私の行動を把握されているので」

「……」



 自分に都合が悪くなると黙る。蟀谷がピクリとするもまだ耐えられる。



「アンナローロ公爵家にクラリッサがいるのはご存知ですね? クラリッサの所に行けばいいものを……」



 自分の所に来てほしくなかったと遠回しに言うと明らかに顔色が変わった。



「……クラリッサとは別れた」

「そうですか、ご自由に」

「……」



 タイミング的に昨日が原因だろう。クラリッサとどうなろうがベルティーナには無関係。



「私と殿下の婚約破棄についてはどうなっていますか」

「お前と私の婚約は破棄されない」

「クラリッサがアンナローロ公爵家の養女になる話が進んでいるのなら、尚の事私と殿下の婚約が継続されても旨味はないのでは。殿下は知りませんが、陛下はアンナローロ公爵家とモルディオ公爵家、両家の力を欲しているように思えますが」

「……私や母上が反対しているんだ。クラリッサをアンナローロ公爵家の養女にする理由が私や母上には分からない」

「本気で仰っていますか?」

「なにを……」



 指摘されても心当たりがないのを見て呆れてしまう。王妃はともかく、リエトに自覚がないのは如何なものだ。

 叔母アニエスの目的は伏せておき、可愛いクラリッサが王太子の寵愛を受けているならクラリッサをアンナローロ公爵家の養女にしてモルディオ公爵家の力も得て、王太子の地位を更に盤石にするのが理由だと話すとリエトの瞳が揺らぐ。

 現在王家は過去の婚約破棄騒動のせいで信頼が著しく低下している。ベルティーナではアンナローロ家の力しか得られなくても、クラリッサなら更にモルディオ家の力も得られる。どちらが王太子妃になれば国にとって利益となるか考えれば後者を選ぶ。



「クラリッサとは既に話が終わっている。元々、彼女は王太子妃になるつもりはなかった」

「にしては、随分と殿下もクラリッサも親しげでしたね」

「……クラリッサが好きなのは私じゃない。ベルティーナ、お前の従者だ」


 …………。


「……は?」



 最近、有り得ない話ばかりされて反応に磨きが掛かっている。間抜け面を晒したベルティーナは、目を点にして瞬きを繰り返すアルジェントを見上げた。



「……クラリッサを誘惑するなんて信じられない」

「してません。お嬢様以外の他家の女性とは、極力関わらないようにしています」

「クラリッサに好かれるきっかけがあったのでは?」

「心当たりが全然……」



 個人的にクラリッサと話してもいなければ、会ってもいない。ベルティーナに問われてもアルジェントには何もない。



「……まあ、クラリッサが殿下を好きだろうが好きではなかろうが私には関係ありませんわ。殿下、婚約破棄を現実にしてくださいませ」

「っ、……嫌だ」

「殿下」

「私と婚約破棄をしたら、お前はそこの従者を選ぶんだろう!?」

「?」



 このタイミングでアルジェントの名前が挙がるのは何故だ、とベルティーナは目を丸くした。


 幼き日から現在まで遡ってもクラリッサがアルジェントを好きになったと思える場面はなかった。単にベルティーナの物を欲しがっているだけなのでは? と疑問にするがリエトは否定した。確かにアルジェントが好きで、ベルティーナの側から引き離したい為にリエトに近付いたと話された。真意はどうであれクラリッサがリエトに近付いた理由は解った。問題は別にある。



「殿下がクラリッサの話に乗ったのは何故ですか。アルジェントをクラリッサに奪われ、一人ぼっちになった私を嘲笑いたかったのなら残念でしたわね」

「違う! 私がそんな真似をする人間だと思っているのか!?」

「思ってはいませんが気があればやったのでは? 殿下に嫌われている自覚だけはハッキリとありますので」

「それはお前が……!」



 言葉を切り、唇を噛んだリエトが憎々し気に睨む先にいるのは常にベルティーナで。時折、側に控えるアルジェントに流れる。



「お前はいつもそうだ! 拾った従者にばかり気を掛けて私を見ようとしないっ。クラリッサを側に置いても同じで、そんなに王太子妃になるのが嫌なのか!?」



 頭の中の何かがプチンとしたベルティーナは勢いのまま反論した。



「意味不明な事を仰るのがお好きですわね!? 私が殿下を見ていない? 会った時から初恋の相手が忘れられず嫌々な態度をずっっっと見せられて、王妃様に気を遣われても殿下と仲良くなれるどころか、公爵家の連中が挙って可愛がるクラリッサを殿下まで側に置いた時今までの努力がどれだけ無駄な時間だったか失望した私の気持ちが、私を大嫌いな殿下には一生分かりませんわよ!!!」



 最近自分史上大きい声だったり、低い声だったりと様々な声を出してきた。役者志望への将来に切り替えようとふと過るも、すかさず言い返すリエトの声にハッとした。



「何時私がお前を嫌いだと言った!? 勝手にそう思い込んで私を受け入れなかったのはベルティーナの方だろう!」

「言葉にしなくても十分分かります、私はそこまで鈍くありません! ご自分の今までの態度を思い出してみては如何ですか!? そうすれば、殿下が私を嫌いな事がよおく分かりますわよ!!」

「嫌っているのは私よりもベルティーナの方だろう!!」

「ええ嫌いです大嫌いです貴方の妃にならずに済んで心底安心しております他にもありますが全部お伝えしますか!!?」



 売り言葉に買い言葉、二人の言い合いは過熱していき止まらない。見守っているアルジェントとイナンナも止める気はない。気が済むまで言い合えば、その内疲れて終わるだろうと考えて。


 ベルティーナとリエトの言い合いは約二十分後に終わった。二人とも大声で言い合いをしていたせいで疲れ、喉が渇いていた。見兼ねたアルジェントがお茶を用意すると言って退室。


 給湯室は使用経験有りで場所は知っており、迷いなく足を進める。ベルティーナとリエトの言い合いを纏めるとしたら、お互いがお互いを嫌っていると思い込んでおり、相手の気持ちを確かめる前から決めているせいでややこしくなっている。

 ベルティーナは諦めが強く、同時にクラリッサを可愛がりだしたリエトを信じる気持ちはゴミ箱へ投下され何も残っていない。

 リエトに関しては……ある意味ベルティーナが原因で拗らせていそうだ。何割かはアルジェントにもあるが大部分は結局のところはベルティーナ。


 ふと気になるのはリエトの初恋の相手。初恋の君が忘れられない割にベルティーナに拘るのは、やはり王太子妃教育を長年受け続け手放すのが惜しくなったとかか。初恋の君がいるからベルティーナを嫌っていたのではないのか。

 リエトの初恋の君に関しての情報は殆どない。貴族の娘で、歳は同じぐらい。これだけである。外見情報が一切ない。偽物が出ない為だろうが、婚約が決まっても初恋の君を想うなら情報公開して探せばいいものを。



「人間ってよく分からないなあ」



 悪魔の自分なら、見つけ出せる手札を全て使って早々に終わらせるのに。



「まあ、今はベルティーナが優先だ。明日、気分転換をさせないと」



 人が少なく心を落ち着かせる場所……浮かんだのは幼い頃よく足を運んでは服を着たまま水中に潜った湖。丁度、ベルティーナに双子の振りをしようと提案され女装少年になっていた時期。



「そういえば……王太子が溺れたっていう湖もあそこだったな」

「関係ないか」と独り言ちて、給湯室に到着したアルジェントは慣れた手つきで三人分のお茶の準備に取り掛かった。



 ——同じ頃、アンナローロ公爵家に残された人の内、アニエスは泣いているクラリッサを連れてモルディオ公爵邸へと戻る最中。馬車の中でも顔を手で覆って泣いているクラリッサを可哀想と思うが苛立ちは増えるばかり。昔からそうだ、ベルティーナとアルジェントに魅了の力が効かない。大神官に使うのは自殺と同等。どんな目に遭わされるか、考えるだけで恐怖そのもの。ベルティーナさえ魅了を掛ければ、あっさりとアルジェントを渡してくれるのに。


 ——ほんっと、なんて忌々しい子!


 そして、兄にそっくりな愛しい子。





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